花塵
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中つ国の再興を、と息巻いても月日が経てばその意義も薄れてゆく。
担ぐべきものがいないのは大義もないに等しく、兵の士気は落ちてゆくばかりだった。
残党狩りの手は一向に休まらず流転の日々。
けれど士気を少しでも高め、練度をあげることは結局その兵を助けることになる。
そう信じて厳しい兵練を続けた。
若い俺に疑問を持つものも多かった。
中つ国が在ったころにはよく有力な豪族であった葛城の出であることで、
実力を疑われることはよくあることだったのだ。
中つ国が滅んだ今いったい何の力が?
常世に恭順を誓った一豪族に過ぎない一族に何の力が?
そう思うけれど、そういうやっかみは懐かしかった。
たしかにここには中つ国があるのだと。良くも悪くもそう思えた。
誰よりも厳しい鍛錬を積み、寄せ付けない力を付ける事でしか、
厳しい訓練に耐える兵の信頼を得るものはない。
年の功も、実戦経験も、全てが足りないのだ。
風早のように、風を読むが如くのらりくらりと受け流すことも、
柊のように難しい言葉を並べて相手を煙に巻くことも、
羽張彦のように明るい笑顔で周りの不安を払拭することもできない。
……道臣のように誠実に静かに振舞うことも。
剣でぶつかってきた者には剣でしか返すことが出来なかった。
返した剣で相手に何かが伝われば、痛み以外の何かが。
そう願い相手を打つ。
打った痛みは結局自分に帰るのだ。
打つことでしか返せない自分の無力さに。
他に返す術を持たない自分の愚かさに。
残党狩りを続ける常世の勢力と小競り合いを繰り返し、
逃げのびた人々を受け入れながら各地の豪族に協力の要請を繰り返しながら日々は流れ、
気がつけば五年の月日が経っていた。
自分でもよく生き延びたと思う。
そしてよくこの軍は残ったと思う。
希望が持てず、所帯を持ち、抜けていった者も多くいた。
続いていく戦の中怪我をしたもの、命を落としていったものも多くいた。
けれど志を同じくし、多くの若者も集った。
それは大将軍の岩長姫の人柄、器の大きさなのだ。
屈強な狗奴を従え、破魂刀を振るううちついた二つ名は虎狼将軍。
強さを認めてくれたのか、それとも人を寄せ付けない孤独さからついた名か。
自嘲してみても、常世の注意が自分にむいて、兵の生き残る確率が増えるのならそれもよかった。
そしてその名のお陰で、調練の集中度があがるのなら。
常世の支配が上手くいっている地域の豪族は耳を貸してはくれなくなったが、
無茶な支配を受けている地域からは、救援を求める声もあった。
救援にかけつけても上手くいくことは少なかった。
けれど諦めないものはまだ残っていた。
橿原陥落から五年経った。
けれどまだ完全には中つ国は滅んではいない。
それは、龍神の神子の伝承を信じる民の心のうちにあった。
二の姫がまだどこかに隠され生きている。執拗な常世の探索がそれの証拠だと。
神意により龍神の愛し子は隠されて、今にきっと中つ国を再建されると。
どこから流れた噂だろうか。
そんな噂が流れ始めた。そして、兄弟子であった柊を常世の軍で見たという噂も。
柊が何を考えているのか昔からわかった試しはなかった。
わかるのは何か悪戯心で自分に近づいてくる時の表情と、
自分を何かの手段で騙そうとしている時の妙に優しい声音だけ。
……今思えば、羽張彦と一の姫が消えた次の朝。
廊下に落ちていたかわらけ。あの割れた杯は水杯を交わした後ではなかったのか。
落ちていたかわらけは四つ。
……羽張彦、一の姫、柊そして風早で交わした杯の意味は何だったのだろう。
どうして二人が消えたのか、そして柊が片目を失い帰ってきたのか、
自分には何も告げられなかったから今もわからないままだ。
隻眼となった今、柊が何を見ているのか、何を見ようとしているのかはわからない。
けれど裏切られた、と心の奥底で失望を感じたのは確かだった。
何故二人が消えた理由を教えてくれなかったのだろう、自分が若すぎたからだろうか。
兄弟子たちは自分を可愛がってはくれた。学ぶ内容は努力で追いつくことも出来た。
けれど歳の差だけはどうにもならなかった。
今の自分になら話してくれたのだろうか。水杯を交わして見送ることが出来ただろうか。
それだけの信頼を得ることはできたのだろうか。答えは自分では導き出すことはできなかった。
次第に豪族の元へ出向き協力を要請することも慣れて来た頃、
岩長姫の伝書を持って四国へ海を渡り、その地の豪族との協議に向かった。
大きく広がる海、果てなく広がる空の蒼。
美しさに心うたれる余裕など持たず、ただ常世の監視に見つからぬよう四方に注意を払う。
……確かに海も空も美しいのに。
美しいものとして目に入ってはこない。心に何も響いてこない。
野に咲く花も、天を覆うがごとく咲き誇る桜の花も、冴え凍るような月も。
淡々と眺めるのみだ。
美しいものを美しいと愛でられないのは寂しいことだとかつて兄弟子たちは言った。
それは余裕の無さなのだと岩長姫も言った。
情が薄いのだろうか、と忍人は思う。
野に咲く花も美しいと確かに思うのに、気がつけば踏みにじってしまっていたりする。
それと知らずに。
空を翔る大きな翼が見えた。鳥ではない。
あれは日向の民ですね、と狗奴の者が言った。
ああやって空から眺めたら、見下ろされる自分とはきっと小さき存在なのだろう。
翼があってもし空を飛べたら。きっと世界は違って見えるだろう。
遙かに広がる空の中、広がる大地を眺め暮らしたら。
ちっぽけな自分の心に新しい何かが生まれるのだろうか。
美しいものを美しいと愛でることのできる心が。
一剣士として、兵士としてこの世界に生きる自分は、捨石なのだろうと思っていた。
自分の代わりなどいくらでもいるただそこに転がる路端の石。
生まれながらに世界を変えてしまうような運命を持つような輝く玉とは違うのだと。
けれどただの石でも、運命の水盤の水を揺らすくらいのことが出来たなら。
この無駄な生にも意味はあるのかもしれない。
研がれた刃も振るうものがなければ、錆びてゆくまで。
自分を生かしてくれる存在に出会えるのだろうか。
自分の命の種火を使い果たすその前に。