花塵
−8−
何故彼女が目の前にいるのかわからなかった。
星が降るような夜。祭の夜に。ひとりで。供もつけずに。
こんな面白みのない男の前に何故二ノ姫は立っているのだろう。
昼間の気まずさを思い出し、こっそりため息をつく。
自分は祭などの華やかな明るい場所には似合わない。そぐわない。
その平和な空気に……馴染めない。
村の外で警備に立つほうがずっと気が楽だった。
自分の顰め面は祭を楽しむ者の興をそぐだろうし、何よりうるさい場所は嫌いだった。
なのに何故、俺は二ノ姫に一緒にいこうと誘われて応じてしまったのだろう。
二ノ姫の供がいないから?ひとりでは危ないから?
彼女の言葉には俺に逆らえないような響きがあって。
俺は気がつけば狗奴のものたちに警備を頼むと村の中へと戻っていた。
祭にはしゃぐ彼女は歳相応の少女に見えて。
やはり平和の中にこそ彼女を置いておきたいと思う。けれど。
時々見せる誇りや、負けん気の強さ、勝負強さ。
それは岩長姫にも負けずとも劣らないような資質で。
彼女は彼女なりに将とはどうあるべきか考えているようだった。
昼間兵の調練を見た彼女の感想は厳しすぎるというものだった。
失望はしていない。
そう思われても当然のことを俺は兵士に強いている。
それぐらいでなくては強い兵は育たない。
男達のすべてが兵士にむいているとは思わない。
二ノ姫の人望に惹かれて多くのものが集まってくる。
しかしその全てが兵士にむいているわけではない。
人を殺すのに向いていないものも確実にいた。
戦は恐怖で崩れていく。そういうものたちを内包していてはいつ陣が崩れてもおかしくない。
それは結果多くの兵士達を巻き込み、多くの死者を出すのだから。
二ノ姫の力になりたい、その志を否定したりはしない。
けれど向き不向きはある。それを振るい分けるためにも厳しい訓練は必要だった。
兵は数だけが大事なのではない。
国に兵士だけがいても富むことはない。田畑を堅実に耕すものたちも必要だった。
それは俺には出来ないことだ。
忍耐強く作物を育て、収穫する。
俺にはそれは出来そうにない。
二ノ姫には両方必要なのだ。戦うものと耕すものと。
そんなことをぼんやり考えていたら。
俺の顔二ノ姫が不思議そうに覗き込む。
彼女は甘いものが苦手だといった俺のために甘くないものを探してきてくれたようだった。
「忍人さん。何、考えていたんですか?」
「……これからのことだ」
「獣の神との対面のことでしょうか」
「いや、もっと先のことだ」
くすっと二ノ姫は笑い、時々考えないことも必要ですよ、と言った。
考え続けないことも、良い案をひねり出すときには有効だと風早は言うらしい。
風早らしい。そう思った。
彼のように柔軟に物事を受け止め流すほど俺の器は大きくはない。
大局を見る目に欠けているのだ。そう自覚してみても上手くはいかない。
二ノ姫は星空を眺めて呟いた。
「今を楽しむことが、明日に繋がると思うんです」
「……今を楽しむ」
「だから今はお祭りを楽しみましょう?
この後神と対面がありますけど。その時にならないとわからないし」
「そうかもしれないな」
「でしょう?
で、このお祭りっていったい何のお祭りなんですか?」
「……君はそれを知らないで楽しんでいたのか」
きょとんとした顔で君は俺にそれを問う。
それで俺に声をかけたのか。
この星の祭は一年に一回だけ出会うことの許された男星と女星の逢瀬にちなんだ、
……いわゆる歌垣だ。
夜が更け、祭が最高潮になるころには思いを寄せ合う男女は闇にまぎれて消えていく。
この夜に誓った想いは叶うと信じて寄り添う。
そのような夜に何故俺と。
疑問が晴れた瞬間に、緊張をしていた自分に気付き苦笑いする。
自分がそのような対象になりえるなどと思ったことはなかったのに。
二ノ姫、やはり君は不思議な人だ。
唇に酒の糟をつけて気がつかないでいるのを見かねてそっと拭えば、君は恥ずかしそうに微笑んだ。
柔らかな唇。
君は何処まで無防備なのだろう。
もといた世界では短冊に願いを書いて、笹に吊るして祈るのだという。
その方が彼女に相応しい気がした。
君なら何を願うのか。興味が湧いて尋ねては見たが彼女は教えてはくれなかった。
自分なら何を短冊に願うのだろう。
『願い』という言葉に破魂刀が反応する。
自分の願い……それを考えるとあの黄泉比良坂の出来事を思い出す。
願いが成就した時に、自分の魂の種火は残っているのだろうか。
ぼんやりと考える。
暗い表情をしてしまっていたのか二ノ姫は心配そうに俺を見つめる。
心配はかけたくはない。
俺は人酔いをしたと言い、彼女の元を離れた。
俺の願いが叶うとき、何が起こるのだろう。
俺の願いとは、望みとは何なのだろう。
満天の星空に何を願ったいいのかわからない。
中つ国の再興。それすらも自分の本当の願いではないような気がした。