花塵
−12−
大きい。
対峙した時に感じた大きさは体格だけでなく、すべてにおいて大きかった。
ムドガラ将軍。常世の将。皇の懐刀。アシュヴィンの師。
もし平時であったなら。常世と友好的な関係であったなら。
教えを請いたいと思うほどの武人。
覚悟の大きさも、武術の腕も、兵法も全てにおいて自分より遙か上の存在だと感じた。
全力で立ち向かっても手のひらで転がされてしまうような心細さを感じた。
けれど臆するわけにはいかない。
自分の体調が万全でないことを心から残念に思う。
万全であったなら、そして自分がただの剣士であったなら。
全力で挑み、散るのもまたひとつの喜びだっただろうに。
けれど今は。
今は自分は後には引けない。
今は自分にも護るべきものがあるのだ。
ムドガラに常世があるように、俺にも護らなければならない、
全てをかけて護りぬきたい存在がある。
空気をふるわせ伝わる千尋の怯え。
それを拭い、護りきる自分でありたいのに。
ムドガラ将軍は全てにおいて自分を上回る相手だ。
その上呪術で障壁をつくり、傷ひとつ負わせることが出来ない。
けれど、千尋はやっと出会えた俺の剣を預けるに値する主。
俺の護りたい全てが千尋に繋がる。千尋こそ護りたい全て。
……破魂刀の力を解放してもなおこの事態を打開できないのならもうなす術もないだろう。
今こそ命を力を使い果たしても。ムドガラを撃つことは出来なくても。
退けることが出来るなら。
ふらつく身体に激を飛ばし、静かに剣に語りかける。
「破魂刀よ、我が願いは未だ叶えられず。……さあ、喰らえ我が命」
柄を握りなおせば、かつてなく双剣は熱くなり、怪しく煌いた。
手のひらは熱いのに、身体の奥底は冷え、意識は遠のいていく。
一太刀ごとに、命の種火が細っていくのがわかった。
ふらつく足を一太刀ごとの勢いでごまかし、連撃でムドガラを追い詰める。
けれど、……もっと、もっと力が無くては、ムドガラに刃が届かない。
「破魂刀よ、お前の力はこんなものではないだろう、
……ただ一太刀でいい、呪術の衣を破る力を!!」
御する事も難しいほどの力が溢れ、ムドガラに渾身の力をこめて破魂刀を振るう。
受けきれるとふんだムドガラの目が驚きに見開かれる。
呪術で纏った守りの衣を破魂刀が貫き、ムドガラ本人に痛撃を与えた。
……与えた、と思った時には意識が遠のき、力が抜けた膝から倒れこんだ。
次第に狭まる視界と、聞こえる常世の兵のひいていく足音、
そして俺の名前を懸命に呼ぶ千尋の声がこだまして、そして消えた。
俺はこれで死ぬのかもしれない。そう思いながら保てぬ意識を手放した。
再び目を開けたとき、自分は死後の世界にいるのかもしれないと思った。
額に置かれた濡れた手ぬぐい、握られた手の先に眠る君。
目をあけた俺に、風早が気付き声をかけた。
「忍人」
「……風早?」
「意識はあるようですね。君はずっと眠っていたんです。
千尋が離れないと言って聞かなくて。ああ、おこしましょうか」
「いや」
「……起こさずにいたほうがいいでしょうかね。
俺は皆に知らせに言ってきますよ。足往も寝ずの番でしたからね。
何か食べられれるのなら持ってきましょう」
「すまない」
風早は千尋に上掛けをかけると、静かに部屋を出て行った。
起き上がろうとしたけれど千尋はぐっすりと眠り、手を離してはくれない。
俺はため息をついて、千尋を見つめた。
細かく震える睫。何か夢を見ているのだろうか。
瞼の下の瞳がぴくりぴくりと動く。
……嫌な夢を見ているのかもしれない。手が少し汗ばんでいる。
どうしたらいいのか戸惑ったけれど。
少し考えて、空いているほうの手でゆっくりと千尋の髪を撫でた。
無骨な自分の掌では心地よくはないかもしれないが。
少しでも君が安心できるなら。君の悪夢を払えるのなら。
ぎこちなく、ゆっくりとそろりそろりと頭を撫でる。
千尋の目から涙が零れ落ちた。
零れ落ちてしまう雫が惜しくてすっと拭えば千尋は俺の名前を呟いた。
「行かないで、忍人さん」