花塵




  −13−


 俺が、何処へ行くというのだろう。
 俺の居場所はこの軍にしか見つけられない。
 この軍が君の傍を離れることなどありえないのに。
 久々に横になった寝床の柔らかさが落ち着かず俺は身体を起こした。
 涙をもう一度拭うと、千尋はぴくりと震え、目を覚ました。
 不安げな眼差しで俺を見つめる。

「おしひと、さん」
「……何だ、千尋」

 こんな風に名前を呼び、敬語を使わず言葉を交わせるのはいつまでだろうか。
 橿原を取り戻した時だろうか、それとも王位を継いだときだろうか。
 その時になってみなければわからないとはいえ、終わりは必ず迎えるのだ。
 どんな形であれ。

「忍人さんずっと昏睡状態だったんです。
 もう二度と目を開けてくれなかったらどうしようかと思った」
「君を護るためだから、後悔は無いが」
「もう少し、……」

 俺の腕を掴み、声を震わせて千尋は呟いた。

「もう少し自分を大切にしてください」

 自分を大切にする。
 俺には考えたことは無いことだった。
 自分を大切にするなど。二振りの剣でありたい自分には考えられないことだった。
 ましてや今は戦の最中だ。
 自分を捨石にしても君を玉座へ押し上げる大事な時期だというのに。
 理解できないという表情を浮かべる俺に千尋はさらに言い募る。

「そんな風に犠牲になってもらってまで勝ちたくなんてありません」
「……君と俺の命の重さは違う」
「違いません」
「違うと思う。俺はいつ消えても誰にも影響などないだろう」
「わたしは嫌です」
「君が嫌だとしても。今は戦に勝つことだけを考えろ。君は将なのだから」
「将だからこそ、人が死ぬのは嫌です。
 甘いことを言ってるってわかってます。だけと忍人さんがいなくなったらわたしは嫌なんです。
 ……傍にいて欲しいんです」
「俺は出来うる限り、君の傍にいて君を護るつもりだが」
「そういう意味ではないんです」

 目を伏せ、うつむいた千尋の頬が赤い。
 じっと見つめると、咳はらいが聞こえた。
 柊が食事を持ってきたらしい。
 千尋は立ち上がると、勢い良く部屋を出て行った。

「つくづく罪作りですね、忍人は」
「……」

 柊は稗の粥を枕元に置くと、苦笑いして出て行った。
 罪作りとは何なのか。
 先の無い命の残量を見つめて生きる俺に何が出来ると言うのだろうか。
 自分は千尋を玉座に押し上げる。けれど、彼女が共に生きるべき人物は別にいるだろう。
 彼女を愛し、支える人間が。
 俺のように剣だけを頼りに、人を切り、兵を率いるしか能の無い人間など、
 戦が終わってしまえば何の価値も無い。
 彼女が作る平和に一番必要のない存在は兵であり、軍だ。
 彼女の作る国が平和であればこそ、より必要のない存在に成り果てる。
 飾りのように彼女を護る儀仗兵となることは考えられなかった。
 そうであるには自分は血に塗れすぎている。
 さんざん人を殺めた自分が大義の為に罪をかぶることは無いにしろ、
 自分が命を奪ったものたちはきっと俺を許さないだろう。
 そんな忌まわしい者からは縁を切るべきだ。
 国を勝利に導いた英雄に持ち上げられても、真に許されるのは俺自身が死ぬ時だろう。
 許されたいとは、思わない。
 正しい行いではないけれど、自分なりの信念と矜持のもとにやっていることだ。
 今更生き方をかえられはしない。安穏と平和の中、生きていくことも想像できない。
 この戦が終わったあと、自分がどうなるのかなど今は考えられなかった。
 ただ千尋はあの性格だ。
 破魂刀のことを知れば、使うなというだろう。
 使わないですめばそれにこしたことはないとは思う。
 けれど使わなければ千尋の明日の命がないのなら躊躇わずに振るえる自分でありたかった。
 破魂刀はもはや俺自身。
 破魂刀の封印は俺を封じろ、と言われることに等しい。
 封印などは在りえない。
 その力は俺の忠誠の証。
 もし振るうな、と言われたならば、破魂刀を置き、自分は軍を抜けるだろう。
 破魂刀のない俺は屍に等しい。
 あの刃があるからこそ、俺は立っていられた。
 情けないけれど、それが事実だと認めざるを得なかった。
 床に横になって眠ることが出来なくなってどのくらいになるのだろう。
 警戒が必要だと言い訳をして破魂刀を抱えて眠る俺はいったい何に怯えているのだろう。
 この重みこそが俺の心を落ち着かせてくれる。
 俺はこの刀に依存している。この刀に支えられて立っている。
 もはや自分の身体の一部なのだ。
 そしてこの刀が仲間の窮地を救ってきた。恩があるといえばそうなのだろう。
 手放すことなど、できなかった。


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