花塵
−15−
夜眠るのが恐ろしい。
次の日の朝が来るのかと怯えながら眠る。
俺は皆に生き急いでいるように見えるらしい。
生き急いでいるのではない、ただ皆よりも残りの時間が少ないだけだ。
明日目覚めないで全てが終わるそういうことすらありえる状態なのだと自分自身が一番わかっていた。
鏡に映る青白い自分の顔。目だけが異様な光を放っていた。
目が覚めることに感謝する。……一日を無事に生き切ることに専念する。
別に死に場所を探しているわけではない。死にたいわけでもない。
けれど日に日に舌を侵す死の味のようなもの。
だんだんと食欲がなくなり、勘ばかりが冴えていく。
まるで死期を悟った獣のように自分に必要のないものは採らないでいいと、わかってきたようだ。
とんどんと磨ぎ澄まされていく感覚。
剣の腕が上がった気さえする。
いくら修練を積んでも至れなかった境地に至ってしまったような感覚。
布津彦などは怪訝そうな顔で見る。
力の入らなくなった身体で剣を降るうちに、剣の望む軌跡を追えるようになったのか。
逆らうことなく、無駄な力を加えずに円を描くように、力の巡るとおりに剣を振るう。
いかに無駄な力を入れて自分が剣を振るっていたのか思い知る。
けれど体力の衰えは簡単には隠せはしない。
信頼のおける狗奴のものに調練をまかせ休息をとる。
自分がいなくとも橿原宮に近づいたからか兵の士気は充分に高い。
戦も続き、実戦で兵の練度も上がってきた。
……だからこそ調練を任せることもできるのだが、兵たちが訓練に励む間俺自身が休むなど、
どこか居心地が悪く、誰もいない場所を探すのに苦労する。
けれど休まなければ。
こんなに弱った自分を見せて、君に余計な詮索をされたくはない。
橿原宮を奪還し、常世の兵を掃討し、千尋を玉座へ押し上げる。
ここまで来てふらつく俺になど気をとられずに千尋にはまっすぐ前を向いていて欲しかった。
背筋を伸ばした、その曇りの無い眼差しのまま自分の道を行け。迷わずに。
俺はついていけるだけ、ついていこう。
俺がいなくなっても君はそのままで。
気高い王の心と、無垢な少女の心をもったまま。君らしく王道を行け。
俺がそう願うまでもなく、君は自分の運命を全うするだろう。その強い意思で。
俺がいなくとも共に進んできた仲間たちは君を支えるだろう。
信頼できないと思い込んだ仲間達と死線をかいくぐってここまで来た。
もう、信じられないなどとは言えはしない。
自分に寄せられる信頼に応えたい、それのみだ。
信じたかった兄弟子たち。
千尋を慕って集まった仲間達。
……小さいことにこだわりはない。
俺の信頼をかつて裏切ったことはもう、……忘れよう。
心からの信頼をもてない矮小な俺をそれでも仲間と呼んでくれるのなら。
俺が行けなくなった道を皆で行き、千尋を支えてやって欲しい。
皆千尋のことが好きだ。
俺が願わなくともそれはきっと叶えられるだろう。
橿原宮に近い宇陀に降り立った天鳥船から、橿原宮への進軍が始まった。
五年ぶりのこの地。この感傷は……懐かしさか。
いい思い出、悪い思い出がぐるぐると巡り気が遠くなる。
瞼を閉じれば最後にみた赤く燃える空が浮かんだ。
死に物狂いで駆けたあの日々。ようやくここまで来た。
千尋、君がいなければ残党となった我等がこの地に再び立つことなどできなかっただろう。
思い出が薄れ、故郷であるのに懐かしさがあまりないと零した君は、
ものめずらしそうに風景を眺める。
三輪山のふもとを抜けた時、千尋は木々を見つめて呟いた。
「これ、みんな桜の木ですね」
木々のことなど気にも留めなかった俺だが、三輪山が桜の名所であることは覚えていた。
千尋は夢を見るように空を眺めた。
「これだけたくさんの桜の木、春になったらきっと綺麗でしょうね。
……忍人さん、一緒に桜を見に来ませんか」
戦の……橿原宮を取り戻す決戦の前に何を言い出すかと思えば。
けれどふと笑いがこみ上げてくる。
千尋。そうだ、君はそれでいい。
君が戦の後のことを考えられるのなら、きっと未来は続いていく。
「君の考えることは、俺の想像を超えていくな」
「不謹慎、でしたか」
「いや。
……桜か。それも悪くないかもしれないな」
桜になど興味をもったことはない。
けれど君と眺めるのなら。俺にも桜の美しさがわかるのかもしれない。
君と眺めることが出来れば。
せめて桜の咲くころまでは、君と共にありたい。
君の戴冠が桜の頃ならば。
薄紅の花びらが舞い散る中、女王として祝福を受けるのはとても君らしい。
君には絢爛豪華な衣装よりも、桜のほうが似合うだろうから。
優しい春に新しい国が生まれる。それはとても希望に満ちた考えだった。
その姿を見つめるまでは、生きていたい。
だからこそ君と約束をした。
約束があれば春まで生きていられるような気がしたから。