花塵
−10−
護りたいものほど、護れはしない。
使い古された言いまわしだ。
けれどその言葉を噛み締める時がくるとは思っていなかった。
今でも目に浮かぶ、舞い散った金の髪。
あまり言葉を交わした覚えのない母の面影、言葉。
髪は女の命だとそういっていたのではなかったのか。
流れ流れる旅続きの暮らしでも決して輝きを失わなかった、
まるで豊穣を象徴するような金色の髪。
君は無造作にそれを断ち切ったけれど、俺の瞳には残像として焼き付いている。
さらさらと揺れる髪を無防備に揺らし、君は何もなかったかのように笑うけれど、
その切っ先は俺の護れなかった何かを糾弾するように眩しかった。
君を護る、そう心に決めたのに。
零れ落ちるように何か大切なものが指をすり抜けていく。
それは俺にもう何かを掴むだけの力が残されていない、
ただそれだけのことかもしれなかった。
折れた剣にただ縋りつくようにして、這い上がってきただけの俺の生に、
何か意味を与えるものがあるとしたら。
それは君の為に何かを成す。それ以外はきっとありえないのだろう。
自分の生きた証を何か残したかった。
自分が生きたことが無駄ではないのだと。
自分の信じた何かの為に、生ききることこそ俺の望み。
その先に君の中つ国が在る。
平和の形を知っている君の作る国ならば、きっと平和な国になるだろう。
誰もが幸せになどはなれないかもしれないが、きっと今より笑顔の多い国となるだろう。
君の意思は驚くほど堅固で。
君はそう決めたなら迷わず進むだろう。すっと背中を伸ばしたその姿勢のままで。
細った自分の命の種火。
あとどれだけ時間は残されているのだろう。
自分の願いがかなう時、そういう契約だ。
願いはまだかなえられてはいない。
だからきっとまだ、……時間はある。
ふとそんなことを考えていたら。
二ノ姫が俺に声をかけてきた。
俺に名前を呼んで欲しいと。
何故そんなことを思うのだろう。君は王となる人だ。
けれど何かを期待するような瞳で見上げるその視線に耐えられず。
俺は君の名前を口にする。
「千尋」
君は自分でそう願ったにもかかわらず、驚くように目を丸くして、
そしてゆっくりと微笑んだ。
千尋、そう口にするまで躊躇いがあったものの。
一度口にしてしまえば、するりとそれは唇に馴染んだ。
君はまた呼んで欲しい、そう言った。
何故自分はそんな風に答えたのだろう。
気が向いたら、なんて。
自分らしくもない。君が背を向けた瞬間自分に苦笑いする。
気が向いたら、なんて。
そんな冗談めいた言葉を自分が口にする日が来るなんて。
千尋、君は本当に不思議な人だ。
俺の知らない俺を君は俺の前に連れてくる。
肩先でゆらゆら揺れる髪。
日に透けたそれは綺麗だ、と思う。
何かを見て美しいと思うことはなかったのに。
不思議にそれは心に沁みた。
君と見るならば、今まで知らなかった世界の美しさが俺にもわかるようになるのだろうか。
俺の瞳に映り、心を打つこともあるのだろうか。
今はそんなことを考える余裕はないけれど。
いつか君と美しいものを見ることが出来たら。
何故自分がそんなことを思うのかわからなかったけれど。
それを追求してはいけない気がして、俺は君から目をそらした。