花塵
−9−
青龍と対面は果たしても加護を得るまでには至らなかった。
しかし二ノ姫の指に残された、青龍の指輪。
約定を果たせば助力するとの証のように、それは外れないようだった。
出雲を辞する日。
世話になった領主シャニに挨拶がしたいという二ノ姫の願いで夜見に出向いた。
本当は義理立てなどせず静かに去ればよかったのだ。
シャニに正体が知られずに、厚遇されていたこと。
黒雷に連れられた二ノ姫に被害が及ばなかったことでどこか油断があったのだろう。
夜見の領主の館で、常世軍の来襲の報を聞く。
……何かあっては、と前の晩に天鳥船の場所を移動してはおいたものの、
合流が難しいことには変わりはなかった。
場所を移動しようと、あれは大きく、目立つ。
敵に見つかりこちらと遮断されるのはもう時間の問題だった。
領主に挨拶するだけという目的のため連れてきた配下も少ない。
塞がれた道に配備された敵兵を打ち破るには手駒が少なすぎた。
柊の夏の間の仕込み、の案が採用され、皆は炎神岳の山頂を目指すことになった。
山頂の言葉におおよその想像がつく。
柊は物腰は柔らかだが敵となったものには容赦はない。
ひと夏をかけたという柊の言葉を信じるならばその策は苛烈なものに違いなかった。
その策は悪くはないが、それだけでは足りない、と感じる。
天鳥船の場所が敵に漏れ、我等が帰りつく前に攻められてしまったら全てが終わりだ。
斥候を全て討たなければ。
連れてきた狗奴のものがいれば事足りる。
本当はもう少し人数があればよいのだろうが。本隊がやられては何の意味もない。
気の知れた、信頼できる狗奴のものがいればいい。
自分が倒れなければなんとかなるだろう。
二ノ姫に策は告げず、同行しないで別の道を辿るとだけ告げ、分かれた。
何か言いたげだった姫に何も告げずに。
告げてしまえば反対をされるに決まっている。
危ないとただそういう理由で。
彼女は生き残らなければならないのだ。絶対に。
替えのきく我々とは違うのだから。
天鳥船を探す斥候を誘い込み、不意打ちのような形で殲滅していくことを繰り返す。
ぐるりと回り込もうとする包囲の陣を切り崩し、そして天鳥船の場所を隠す。
今は天鳥船への包囲網に穴を開けなければならない。
炎神岳での策がはまっても、天鳥船に帰りつけねば意味がないのだから。
兵も殲滅させなければならない。ひとり残らず打ち倒す。
伝令などに走られて包囲されることも、包囲網を繕われることも避けねばならない。
足場の悪い中を駆け抜ける。
まっすぐ天鳥船の方角へ進むことは敵を引き込むことになりかねない。
方角をたびたび変えては狗奴の耳と鼻で敵を探る。
低木に足をとられ、足がふらつくが気にせず駆け抜けた。
こんなに駆けたのは久しぶりかもしれない。橿原陥落以来か。
あの時は敗走だった。けれど今は違う。そのことが自分に力を与える気がした。
今は容赦してはならない。躊躇わず敵を切り捨てる。
どれくらいたっただろう。
遠くから地響きのような音が山中にこだました。
相対する兵がその音に怯んだところを斬り伏せる。
あれはきっと柊の策。成功したのか。
天鳥船と炎神岳の間に隙をつくらなくては。彼らが戻ってこれる路を作らなくては。
息を整え、狗奴のものたちに今一度、と声をかける。
狗奴のものたちは黙って頷き、山中を再び駆けた。
向かってきた敵を切り伏せる。
足元が一瞬ふらつき体勢が崩れたその時だった。
空気を切る音が響き自分に刃を打ち下ろそうとした敵兵の右肩に矢が刺さる。
体勢が崩れたまま一歩踏み込みその敵を断つ。
荒くなった息を整えながら振り返れば、二ノ姫が怒りの形相でそこに立っていた。
どうしてそこに。
そう尋ねれば遠夜の土蜘蛛の路をたどって俺のもとへ来たという。
……そんな路があるのなら、何故遠夜は天鳥船へ直接彼女を送らなかったのか。
舌打ちしたい気持ちを抑え、二ノ姫に向き合えば、
かつてないほどの怒りの形相で見すえられた。
「何故言ってくれなかったんですか」
「別の場所に進軍することがわかっているのなら、言う必要はないだろう」
「……私にいってもわからないから?
それとも危ないと引き止められるのが面倒だったからですか?」
「君が来てくれて助かった。けれど援軍などなくとも仕損じたりはしない」
疲労で答えるのも億劫になり、その問いには応えずに戻るぞ、
そう声をかけた次の瞬間、二ノ姫は肩を震わせて言い放った。
「忍人さんにとって私は、頼りないかもしれないけど……
……でも、この軍の大将は私なんです。
作戦のこととか戦力とか私は確かに忍人さんよりわからない。でも、
だからといって黙って勝手になんていいはずない。違いますか?」
真っ直ぐに目を見つめられ、目をそらすことも出来ずに見つめ返す。
何と誇りと力に満ちた瞳だろう。
自分のやっていることに疑問のない、信念に満ちた煌く瞳。
何故自分はこんな躊躇いがちにしか声を出すことが出来ないのだろう。
君は迷わないというのか。
……この軍を、この国を背負って前へ進む覚悟が出来ていると、そう言うのか。
それを嬉しく思う気持ちと、そこへ追い込んでしまいたくはなかった気持ちが
ない交ぜになり、はっきりとした声が出せない。
「……君は背負うというのか」
君の運命として。
兵の生死を、この国の行く末を。
華奢なこの体で。……まだ少女であるのに。その覚悟が出来てしまったのか。
俺は君に対する認識を改めなければならない。
そういえば青龍に相対した時にも君は強い態度で神を圧倒した。
圧倒せねば従わせることなど出来ないと君は悟っていたのだろうか。
俺は君の何を見ていたのだろう。
ほっそりとした姿に、美しい金の髪、青い瞳。
その優美さの下にある強さを俺は認めなくてはならない。
信じるに足りる主。俺の剣を捧げる相手。
それは君しか残っていない。そう思ってきた。
「では俺のしたことは軍規違反だな。いかようにでも罰してくれ」
そう言葉に出来ることが、いかに嬉しいことか君にはわからないだろう。
君は戸惑って俺を許そうとしてしまう。
そんな姿はいつもの少女のままなのに。
時に君は正しく将として判断を下す。独断で動いた俺を諫めたように。
君は確かに兵の動かした方を知らず、戦をまだそれほど知らない。
けれど何が正しいのか、どうすればいいのか。
それをきちんとわきまえているように思う。
学んでわかることではない何か。王道というようなもの。
君は確かに王に相応しい人間なのかもしれない。
俺が剣を捧げるに、値する。