花塵
−7−
ダン!
響いた音に一同は眉を顰める。
壁に打ち付けた拳が痛い。
そんなことしても仕方がないそうわかっているのに。
二ノ姫が黒雷に何処へと誘われた。
誘われたと言ったのは出雲の領主シャニだ。
誘われたのではない。……連れ去られたのだ。
そういってやりたかったが、旅芸人を名乗る我々に、珊瑚についての話を聞いた後、
一礼をして帰る以外に何ができたのだろう。
こうして天鳥船に帰り着いた後も二ノ姫は帰らない。
狗奴のものを斥候に放つ。
無駄なことを、と柊は言った。
柊は心配することはありませんなどと言う。
星がそう告げているから。……理解できないその発言に背を向ける。
風早や柊などは、二ノ姫が連れ去られたことよりも、どうやって珊瑚を手に入れるかの算段をしている。
彼らは正気だろうか。
二ノ姫が戻らないのに。
常世の皇子に連れ去られたのに。奪い去られたのに。
自分の不甲斐なさに腹を立ててみても彼女は戻らない。
彼女の姿が見えないことにこんなに苛立つなんて。
自分はいったいどうしてしまったのだろう。そんな自分にも腹が立つ。
斥候を放ってだいぶ時間が経つのに何もわからない。もう日が暮れて暫くたつ。
……捜索隊を出すべきではないのか。
彼女が戻らなかったらどうなるのだろうか。
こうしてようやく希望が見えてきたのに。
……希望?
そんなことを考える自分に可笑しくなる。
希望。
久々にそんな言葉を思い浮かべた。
彼女に過大な期待はすまいそう思っているのに。
高千穂、筑紫の地の開放は確かに大きな期待を抱かせるには充分だった。
過度の期待は彼女のためにも自分のためにもならないのに。
大きなため息をついてやりすごそうとしたその時、
傍にいた足往が鼻をひくつかせて言った。
「忍人様!花のにおいがします」
「……花?」
見張りの兵が回廊に伝令にやってきた。
二ノ姫がお戻りなりました!
回廊に安堵の空気が流れる。
おずおずと階段を下りてきた彼女を見れば髪に花を挿している。
それの薫りだろうか。
しかしこの薫りは。たった一輪の花だけでこれだけ薫るものだろうか。
嬉しそうに二ノ姫を出迎えた足往のように無邪気に出迎えることなど出来ない。
また言わねばならない。自分の立場をわきまえろ。無謀だと。
二ノ姫はそれを覚悟するように俺の顔を見つめた。
もう何を言われるのかわかっているのだろう。
けれど俺は言わずにはいられない。
「君は無謀だ。敵将についてゆくなど」
「でも何もされませんでしたよ」
黒雷と共に笹百合の群生地に行ってきたのだと彼女は言った。
夢を見るような瞳で髪に挿した花に手をやる。
それは、黒雷が挿したものなのか。
その表情は敵と相対したとは言えない表情。
君は将としての自覚が足りない、そう言おうとして口をつぐむ。
言いたいことはそんなことではない。
君は無防備過ぎる。
他国の男について行くなど。
黒雷も何を考えているのだろう……。
そう考えてひとつの考えに思い至る。
黒雷は二ノ姫に惹かれているのだろうか。
男が女に花を贈るなど。美しいものを見せようと誘うなど。
そうとしか考えられない。
強い笹百合の薫りがまるで彼女は黒雷のものであると主張するように二ノ姫のまわりに漂う。
その清らかな薫りは彼女によく似合っていた。
それは黒雷の願いそのものなのかもしれないとふと思う。
血の匂いよりも、花の薫りのほうが二ノ姫に似合うのだと。
自分はそう鋭いほうではない。けれど彼女の惑いのようなものが透けて見えた。
彼女は黒雷と出来れば戦いたくないと、そう思い始めているのではないか。
確かに彼女と黒雷が結ばれればこの戦いは終わる。
ある程度の中つ国の自治が認められる形か、もしくは
より完全な常世の属国とこの国が成り果てて。
けれど戦をそれで避けることが出来るのなら。
この優しい王女ならそんなことを考えているのかもしれない。
無事を祝い、珊瑚の入手の手段を考える輪にいながら、二ノ姫はどこかうわのそらで。
それを見つめるだけの自分に心の中で舌打ちをした。