花塵




  ー2−


「闇(くら)の女神が折角貴方の悲しみも、怒りも癒してくださろうとしたのに、
 貴方はそれに身を委ねなかったのですね。実に愚かで救いようがない」
「でもそういうのは、嫌いではないわ」

 立ち眩みの後のような気持ち悪さとともに、目が覚めた時そこは暗い岩の回廊。
 ぞわりと悪寒が立ち上り、ここは自分がいるべき場所でないのだと第六感が警鐘を打ち鳴らす。
 嫌な笑いを浮かべた男女が目の前に立ちはだかる。
 本能が、危険だと叫び、気がつけばその者たちへ剣を向けていた。

「まるで小さいねずみのように毛をそばだてて。
 貴方はそんなにわたしたちが怖いの?
 ……貴方は死ぬことができなかった。これからもっと恐ろしい場所へいくのに。
 今からこんなに恐れていて大丈夫なのかしらね」
「……我等を恐れるか。
 そなたを闇(くら)の女神より預かり、ここ黄泉比良坂へと送ってやったのにそれか」
「その折れた剣で何をしようというのかしらね」

 女が嗤う。
 思わず剣をなぎ払う。
 その剣を男が素手で止める。
 ギリっと歯を食いしばり、もう一太刀踏み込もうとして振り払われた。

「その満身創痍で我等に立ち向かうとは。
 ……見上げた愚かさですよ」

 それが若さかと嗤い、座り込んだ俺を眺める。

「……そんな貴方だから、我等を託すのも一興かと思うのですよ。
 闇(くら)の女神に言われるまでもない。
 貴方の真っ直ぐな心根が、闇の中でどう焼け焦げていくのか。
 それとも」
「清いまま、自分の望む未来の為に自分の魂を糧に突き進むのか。
 ……そそられるわ、貴方」
「五月蝿い!!」
「まあ、貴方に力を貸してあげようとするものに対する言い草かしら、それ」

 女が興味津々といった目で眺める。
 そのいけ好かない目線に苛立ち、立ち上がって再び切っ先を向ける。

「剣を向けるしか貴方、能が無いのね」
「剣一筋に生きた武人の誇りというものでしょう。
 無残に折れてしまっていますがね」
「何が言いたい」

 ギリリと奥歯を噛み締めて、渾身の力を込めて男女を睨む。
 女の眉が面白い、とつりあがった。
 男女は謡うように語りかけた。

「貴方は何かを成したいと望んだ」
「力が欲しいとあの方に願った」
「だから貴方に力を貸そうというのです。貴方が真に欲するなら、
 この清くも禍つ力を」
「貴方は力を求めるとしたら、何を差し出すの?」
「何も持たない貴方が差し出せるものはひとつしかない。
 それでも貴方は力を欲するというのですか?」

 手に握る双剣に熱が篭る。
 欠けた刀身に光が集まり、……金色に鈍く光る刃が伸び、
 ふわり、と目の前の男女の外套が形を失う。
 頭の中に直接声が響き、痛みが走った。

「ははははは!それが答えか。実に小気味良い。
 我等は貴方の望みが叶う刻限まで共に。
 ただの剣として、我等を振るうもよし」
「願いの元に、貴方の命の種火を燃やして力を振るうもよし。
 すべては貴方の望むがままに。
 貴方の願い……それが叶う時、死は貴方の元へと舞い降りるでしょう。再び」

 男女の声が遠のくにつれ、刀身の光が消えてゆく。
 俺は呆然と、手元の変わり果てた愛剣を眺め、握りなおした。
 握ると鈍い光を発し、じわりと暖かい。
 これがさっきのいけ好かない男女であるかと思うと命を託すべき剣かと迷う。
 けれど、この手ごたえは。
 しっくりと手に馴染む柄、濡れるように光る刀身。ちょうどいい重さ。
 理想としていた剣に出会えた偶然に苦笑いする。
 ここが黄泉比良坂だというのなら、戻らなくては。
 中つ国へ。
 焼け爛れた故郷へ。





 力尽き倒れ伏した俺を、狗奴たちが見つけ、中つ国残党の兵に合流したのは
 橿原の宮が落ちて、二週間後のことだった。
 傷のせいで熱に浮かされて、暫く生死の境を彷徨い危ぶまれたが、次第に回復していった。
 けれど安心して横になって休むこともままならない逃亡の日々。
 執拗な常世の残党狩りを退けながらの日々は極限まで心も体も消耗させた。
 追い詰められ、投降するものもいた。
 しかし残党狩りは残酷にも投降したものたちをも斬り捨てるという容赦のないものだった。
 兵糧も次第に減り、鼻の利く狗奴のものが狩をして食糧を得られた日は良かったけれど、
 得られない日には草木をかじり、根をかじり、雨露をすすり、
 先に落ち延びた本隊への合流を目指し、駆けた。
 服を変えることも出来ず、満足に体を洗うことも出来ない。
 行った先々で常世の支配下に置かれた村々を見た。
 その村の民は哀れみをもった目で見たけれど、
 常世の統治によって厳しく協力を禁じられていたため、
 ごくわずかの食糧と衣料を渡すと出て行ってくれ、と苦しげに言うのだった。
 暖かな家々の明かり、夕餉の匂い。
 遊びまわる子供、畑仕事に精を出す人々。
 そこに平和は在った。中つ国が滅んでも。人々の営みは変わらない。
 自分達は何を護ってきたのだろう。
 わからない、何を信じていいのかわからない……。
 皆むっつりと黙り込み、ただひたすら先行する岩長姫の率いる本隊との合流を目指し進んだ。
 一人減り、二人減り。
 弱っていく仲間を行く先々の村に残し、進んでゆく。
 力尽きて逝った仲間の塚の石をいくつ積んだろう。もう覚えていない。
 暫くして自分達を捨てて、国を捨てて逃げた将軍の処刑をきいた。
 感覚が麻痺して何も考えられなかった。
 哀れみも、嫌悪感も何も、感じない。今自分達が生き延びるので精一杯で。
 考える余裕も、感傷に浸る時間もなかった。
 けれど師である岩長姫の言葉が浮かぶ。
 将とは、率いる兵が、帰るべき場所へ帰れるように勤めるべきであると。
 自分の帰る場所とは何処にあるのだろう。
 葛城の里か?
 国を見捨てて保身に走った郷里に帰る気はなかった。
 もう、帰れない。遠ざかっていく故郷に懐かしさはなかった。
 今は前に進まなければ。
 帰りたい、そう思ったらもう一歩も進めなくなってしまうに違いなかった。


背景素材:空色地図

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