花塵
−3−
岩長姫の本隊に合流したのは、一緒に落ち延びた兵のうちの半数だった。
岩長姫は憔悴しきった俺をちらりと見て、ただ一言今は休みな、と言った。
久々の寝床。
常世の兵に見つかればこの本営だとて安心して眠れない。
けれど久々に中つ国の軍の同胞に会い、気が緩んだ。
眠れるときに寝ておかなければ。
それはここまでに至る道程の中で一番に学んだことのひとつだった。
眠ろうと思えばいつでも、どこでも眠れるようになった。
そして少しの物音でも目が覚めるようになった。
とりあえず今は眠ろう。
久々に夕餉といえるものを食べ、寝床と言えるものに眠れるのは幸せだった。
朝まで眠るなんて。橿原が落ちて以来初めてのことだった。
中つ国とは何だったのだろう。道中で考えていたことばかりが頭を巡る。
常世の支配の下でも人々の営みは変わらずにあり、
平和といっても差し支えの無い村もあった。
しかし、やはり無理な支配をする領主もあるという。
こうして集まれば中つ国を再度立て直してなどという話題も出る。
しかし常世の勢力は強く、何処から現れたのかも不明瞭で、
結局攻めても攻めきれない。
王位を継ぐものという旗頭も無く、自分たちはただの残党に過ぎない。
けれど、いずこかへ風早が隠した二の姫がいたら。
……どうなるというのだろう。
彼女はこちらへ見つかれば、王位を接ぐものとして担がれ、
常世に見つかれば滅びた国の王女として……考えたくも無い末路を辿るのだろうか。
それを見越して風早は王女を隠したのではないか。
誰よりも大事にしていた姫だから。姫の幸せを願うのならそれが一番良かったのかもしれない。
中つ国とは何だったのだろう。
そして何処に在ったのだろう。
今は中つ国はここに集う兵たちの中にしかないのかもしれない。
そう思い、少し悲しくなった。
「忍人、ちょっと話があるんだ、こっちに来な」
大将軍である岩長姫の執務室に呼ばれたのは本隊に合流して暫くしてからのことだった。
師である岩長姫と二人で話すなんて久しぶりだと思いながら、岩長姫の部屋に入る。
「お久しぶりです。師君。何か御用ですか」
「ああ、忍人。
こっちはずっと人不足でね。だ〜いぶやられちまったし、将軍の頭数が足りなくなっちまった。
だから忍人、今日から将軍をやんな」
「……ですが、師君」
「若すぎるってのはわかってるさ。でもこういうのは年齢じゃあないんだよ。
教えなけりゃあいけないもんはすべて仕込んだ。実戦にも出た。
なんか文句あんのかい。信頼してるって言われて悪い気はしないだろ」
にやりと笑った師に返す言葉も無い。
少し考えた末、敬礼を返し
「わかりました」
「じゃあ今日から将軍として、調練をやるんだよ。
みっちり仕込みな。……無駄死にさせるんじゃないよ」
「……はい」
「それと」
「……なんですか?」
「あんたの業物、ちょっと見せてみな」
真剣な顔をして岩長姫は俺を見つめた。
すらりと双剣を抜く。
金色に光る刃。岩長姫は睨むように見つめる。
「こりゃあ、あんまり良い謂れのものじゃあないだろう。相当な業物だけどね。
……あんたこれどこで」
「黄泉で拾いました」
「…………そうかい。
金色の剣を翻したあんたがまるで常世じゃ死神みたいに言われてるそうだよ。
まるで見ているだけで魂を吸い取られそうな美しさじゃないか。
魅入られないように気をつけるんだよ。あんたはまだ若いんだからね」
年寄りばっかり生き残っちまって仕方のない世の中さ。
そう呟いた岩長姫は多く散った門下生のことを考えていたのだろうか。
それとも前線で散っていった兵のことだろうか。
風早や羽張彦、柊のことを考えているのだろうか。
もし彼らがいたら、師君はまだ死にそうにありませんなどと軽口をたたいて
場の風通しを良くしたかもしれない。けれど俺にはそんな術はない。
岩長姫は少し考え込んで、ふとまだ俺がそこに立っている事に
今気付いたとでもいうように顔を上げると、話は済んだあっちに行きなと手をやった。
岩長姫の部屋を出て、兵練をするために中庭に出ようとして、先ほどの言葉を思い出す。
死神。
確かに破魂刀の威力は素晴らしかった。
調子にのって暴走しかねないほどその威力は絶大だったけれど、
その反動は必ず来た。
痛みと疲労。そして悪夢。
これは確かに『破魂刀』なのだった。
相手の魂を砕くのに、自分の命の炎を使う。
破魂刀を使うのは必要最低限に留めなければと思う。
けれど、執拗な残党狩りを振り切るために、何度も破魂刀の力を使ってきた。
そうして救えた仲間の命は少なくない。
だからこれは『正しいのだ』そう思い込む。
自分の命を削っても、何かを成したい。自分が成したと誇れるような何か。
今はそれの形はわからない。けれどいつかその願いが叶うなら。
……願いの形がわからない今は、仲間の命を救う。ひとつでも多く。それを誓う。
破魂刀の『力』に頼らなくても、剣技の冴えで相手を圧倒できるなら。
調練を任されるのは不服はないけれど、自分の修練の時間もとらなくてはならない。
強くならなくては、いつかその時の為に。
……その時とは何なのだろう。考えてもまだ答えは見つからない。
けれど全てをかけても護りたい何かにいつか出会う。
出会った時には護れる自分であるように。
厳しいと罵られてもいい。恐れられてもいい。一人でも多く生還できるなら。
厳しく鍛え上げよう。
自分に信頼が集まらなくとも、岩長姫に信頼があればいい。
俺と共に戦場をかけるものが一人でも多く帰る場所へ帰れるのなら。
今は、まずこの本陣を護る。
ここが今の帰る場所なのだ。
皆故郷を遠く離れてもここへ集ったのだ。
こころの中にだけ在る、中つ国に。