花塵




  −5−


 岩長姫のやることに間違いはないとは思いたい。
 けれどあのような少女に全てを負わせるなんて。
 ……二の姫は確かに最後の直系の王女で、中つ国の王位継承者だ。
 確かに中つ国再興に彼女は不可欠だ。
 担ぐべき神子たる女王がいなければ中つ国とは呼べない。
 ……風早は何を考えているのだろう。
 折角彼女を世界から隠し穏やかに暮らしていたのに。
 きっと彼女は表舞台に出てきてはいけなかったのだ。
 彼女にはきっと過酷な運命が待っている。
 けれど風早は何があっても彼女を支えるつもりのようだった。
 自分の育てた彼女に間違いはないと。彼女の望むようにさせてやりたいと。
 その愛情は男が女に向ける情のようなものよりずっと大きいもののようだったが、
 自分には……その気持ちは理解できそうになかった。
 中つ国を再興できても、出来なくても。どちらにしろ彼女の進む道は茨の道だ。
 まさか大将軍を彼女にやらせるなんて。
 あのような少女に……いつか見た彼女はとても華奢で。
 少なくとも戦や餓えや悲しみに塗れずまっすぐ育ったあの少女に、
 血まみれの道を行けと。
 同胞に死にに行けと号令を出せというのか。
 岩長姫の言うことは確かに一理ある。
 前に立つ指導者にこそ人の心は集まるのだと。
 自分の国は自分で掴めと。
 ……そして女王の血を引く王女の号令のもとに戦うから意味があるのだと。
 理解は出来る。けれど数年自分も兵を率いて前線で戦ってきたのだ。
 前線で戦ったとしても、後方で陣を見ていても号令を出すのは自分なのだ。
 戦は勝っても負けても死者は必ず出る。多い少ないの差はあれど。
 兵に向かって死にに行けと、敵を殺せと号令を出すのが指揮官だ。
 その……覚悟を彼女に迫るのか。
 彼女の手を血に染めて我等は還るのか母なる中つ国に。
 確かに子は母の血に塗れこの世界へ産まれ出ずる。……そうといえばそうだ。
 ただの感傷だとはわかっていた。けれど彼女が戦場へ出ることへの嫌悪感は拭えなかった。

 彼女は戸惑い、苦しみながら少しずつ学び、賢明に自分の立場を理解していった。
 彼女は……この豊葦原でない場所で暮らしていたのだと言っていた。
 戦のない、平和な世界に風早と那岐という少年と三人で。
 平和に慣れていた彼女の戸惑いは大きかった。
 そして故郷であるはずの豊葦原の環境に慣れていないようだった。
 戦になれた自分達とは違う感性を持ち、通常の兵法ならなら見捨ててゆくような
 味方をも救助したいと願うような心根の甘さがあった。
 ……自分ならそんな感情で動くようなことはできないし、許されない。
 けれど王女である彼女の願いだから。それは叶う。叶っていく。
 今まで敗戦の色濃かった戦局が変わっていく。
 そうなると自分もだんだんと岩長姫の采配を理解しだす。
 ……兵の士気がまるで違うのだ。
 彼女は心の底から死んで欲しくないと願い号令を出す。
 兵も生きて彼女の喜ぶ顔を見たいと、強く願う。
 けれどそれは結局死にに行けと言っているのには違いはないのだ。
 勝っても負けてもそれは変わりはしない。
 彼女の心の裡はわからない。
 けれどやはり戦の後は堪えるようだった。
 自分に出来ることは出来る限り負けない戦をすることだった。
 負け戦の苦い味は彼女には知ってほしくは無い。
 岩長姫はそれを知るのも将たるものの務めだとも定めだとも思っているようだったけれど。
 出来れば泥沼の負け戦にだけはすまい。それだけは心に誓った。

「忍人さん」

 彼女は自分をさん付けで呼ぶ。
 育ての親とも言える風早は呼び捨てなのに。
 いちいち注文をつけたのがよくなかったのだろうか。
 王女ともあろうものが臣下にさん付けなどと。
 おかしいとは思うけれど、彼女に自分の名を呼ばれるのは悪くはないと思った。
 どんな苦言も彼女は素直に受け止める。こちらが拍子抜けしてしまうほどに。

「忍人さんに認められたい」

 まさかそんな風に受け止められるなんて。
 嫌われるだろう、憎まれるだろうそう思って口にする注意や苦言……
 人に対して優しい言葉遣いなど知らない俺が口にする決して優しいとはいえない
 むしろ厳しい言葉を彼女はそんな風に受け止めてくれた。
 俺は知らない優しい言葉など。
 優しい言葉など思い出の中には残ってはいない。
 常に正しくあれと、強くあれと。厳しく躾られ。
 年若く、岩長姫の邸に弟子として入門し、橿原の宮に入り、
 ……子供らしい時期など過ごした事はない。
 自分には何か欠けたものがある。それは自覚していた。
 けれどそうだからこそ戦場の中ではただの二振りの刃になれる。迷うことなく。
 だから悪いばかりではない、そう思ってきた。
 彼女の真っ直ぐな眼差し。疑いを、醜いものを知らない瞳。
 出来れば彼女には美しく、優しいものに囲まれていて欲しかった。
 戦場には不似合いな華奢で、優美な姿。
 それでいて引く弓は強い。王族に伝わってきた神弓、天鹿児弓。
 その冴えた清らかな弓は彼女に相応しい優美な形をしていた。
 彼女には神意がある。
 そう周囲に思わせてしまうほどに。
 彼女の流れるような金髪は確かかつて橿原宮では忌み嫌われていた。
 けれどそんな嫌な感じはしない。
 いつのまにかその金の髪を目で追っていた。いつも探していた。
 それはただ彼女の無事を知りたい、最初はそれだけだと思っていた。


背景素材:空に咲く花

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