飛雲
−6−
朱雀門で穢れにあって花梨が倒れたと聞いたときいてもいてもたってもいられずに
駆けてつけてしまった幸鷹を胡乱な目で翡翠は見た。
……翡翠、お前がついていながら。
苦々しい気持ちをどうにかやり過ごし、花梨の元へ向かおうとした幸鷹を、
臥せっている神子殿のもとへ行くのは失礼ではないのかねとやんわりと翡翠が押しとどめる。
「君が行ったところで何も出来はすまい」
「翡翠、お前がついていながら。神子殿をよくも……!」
「我々が平気なのに彼女だけが穢れに当てられてしまったのだ。仕方あるまい」
清めの造花の効力は一月たたないと満ちない。
わかってはいたけれど。いきなり無理をさせるような真似をして。
ギリリと音を立てるようなような目で睨む幸鷹に、翡翠は面白いと眉を上げる。
幸鷹がそれほど入れ込むとは、彼女はいったいどんな少女なのか。
「やめてください、幸鷹さん。
わたしは大丈夫ですから」
八葉の控えの前でにらみ合う二人に困惑した花梨が声をかける。
「神子殿」
「……清めの造花で穢れははらいましたから、もう大丈夫です」
「ではわたしはこれで。また明日来るからね。『神子殿』」
ひらひらと手をふり去る翡翠に向かって花梨はぺこりと頭を下げた。
頭を下げる必要なんかない。あんな忌々しい男に。
面白くないとまるで顔に書いてあるような幸鷹をくすりと花梨が笑う。
「心配して来てくれたんですか?」
「はい。
……昨日は協力するのは難しいと申し上げましたが。
明日から我等も協力したいと思います。貴方に無理はさせられない」
「……本当ですか?」
ほっとしたような花梨の笑顔に。やはりそれでよかったのだと幸鷹は思う。
彼らだとて力を認めた神子を蔑ろにはしないだろう。
けれど花梨は決して弱音をはかないのだ。どんな無茶をしてしまうかわからない。
……そろそろ何か気晴らしも必要かもしれない。
神子の役目とは関係なく、気兼ねなく話でも出来たら。
「今度」
「……何ですか?」
「今度、お暇なときに石原の里にでも行ってみませんか?
お役目とかではなく、……その」
「お休みってことですか?」
「そうです。たまにはお休みをとってのんびり何処かへ出かけてみるのも悪くないと思うのです。
もし神子殿が良ければ、ですが」
花梨は意外そうな顔をして幸鷹を見た。
やはり自分はこういうのは不得手だ。女性を誘ったりするのは。
真面目なだけがとりえのつまらない男と過去さんざん言われてきたのだから。
「幸鷹さん、忙しいんじゃないんですか?」
ああ、貴方はまたそう気を遣う。
そんな必要はないのに。私にはそんな遠慮は無用なのに。
「忙しいとかそういう問題ではないのです」
幸鷹の表情が曇る。
せっかく誘ってくれたのだから一緒に行こう。
花梨は一緒に休むことで幸鷹が休めたらいい。そう思った。
一緒にいるときくらいのんびりして欲しい。
八葉の役目と、中納言の役目と検非違使別当の仕事。
ほとんど寝ないで時間を作って供についた日もあると知っているから。
「じゃ、今度行きましょう」
「では今度のお互いの時間が合ったら。是非」
幸鷹が珍しく笑顔を見せた。
穏やかに微笑むことはあったけれど。こうやって笑う人なんだ。
一瞬見とれてしまった花梨を幸鷹が不思議そうに見つめたので、
花梨は慌てて目をそらした。
幸鷹は今度必ず一緒に行きましょうと言い、約束をして帰っていった。
石原の里は穏やかな秋晴れで、とても気持ちが良かった。
不思議な夢の話をした。
突飛な話であったのに、花梨はじっと聞いてくれた。
思い出が噛み合わなくなっていく違和感が、日毎不安をつのらせていく。
自分が自分でなくなってしまいそうな、自分の存在が薄まっていくような感覚。
花梨と話すたび、浮かび上がっていく見たことのない風景。
遠くなっていく確かな記憶。
自分は何処へ行くのだろう。
この川を流れる笹舟のような頼りない存在に自分が思えてくる。
そんな私にとって確かなものは花梨、貴方だけなのかもしれない。
龍神の神子の八葉として存在する私は確かなものに思えた。
そう思い、貴方を助けたい、貴方の手をとりたいと願うのに。
触れてしまえば走る激痛。
貴方の暖かい手に触れて、確かめたいのに。
それすら、叶わない。
泰継は言った『花梨の気がお前の気を変じさせる』と。
泰継はこの頭痛の意味を知っているのだろう、と感じた。
いつか向き合わなければならない自分の中の曖昧な部分。
泰継に問いたださなければならない。
不安そうな顔をした花梨のためにも。
自分が触れたら相手に痛みが走るなどといわれていい気分になるものなどいない。
触れられないのに、貴方を護れるのだろうか。
貴方を護ると誓ったのだ。だから真実を求めなくてはならない。
知りたいとは思う。けれど知ってはいけないと私の中の誰かが言う。
いつだって真実を求めてきた。どんな時でも。
でもこの探究心は私の人生をきっと変えてしまうだろう。
それが恐ろしかった。
けれど私は『嘘』の自分を壊してしまいたいと、心の何処かで叫び続けていたのかもしれない。
その心の声に貴方が耳を傾けてくれたのだ。
私自身にすら聞こえなかった、ちいさなちいさな声を聞き届けてくれたのだ。
貴方だけが。
私一人では真実に至ろうとはしなかっただろう。
途中で真実を知る重さに耐えかね逃げたかもしれない。
貴方がいたから私は真実に立ち向かう勇気を得たのだ。
真実に至ったとき私はどうなってしまうのだろう。
でも貴方が傍らにいてくれたなら、耐えることができる。
確信はなかったけれど、何故かそんな気がした。