飛雲
−15−
その朝京を覆う空気は異様な色をしていたけれど。
この八葉の控え室程でははないと幸鷹はひっそりと笑った。
花梨の部屋へ次々と八葉が向かい思いの丈を述べている。
……どれほど皆が貴方を思っているのか。
丸聞こえだ。
貴方に私は思いの丈を告げる権利はない。
貴方に告げたのは、ただ貴方に私を最後まで伴って欲しいと。
護らせて欲しいとそれだけ。
自分でも驚くほど淡々とした声が出たと思う。
久々に控え室に出向いた私を皆が異様なものを見るような目で見た。
お忙しい別当殿も最後のお勤めを果たすために『ご出仕』か。
出仕……内裏への伺候にかけて『出仕』とは。さんざんな言い様だな。
八葉として最低限の勤めは果たしてきたつもりだった。
ここへ毎日顔を出すことだけが八葉の勤めではないだろう。
信頼関係は大事だ。
けれど恋敵ともいえる面々と馴れ合うことなど私は不要と考えていた。
鍛錬は続けてきた。
他の面々に遅れをとるつもりはない。
目を閉じ、他の男達が貴方に思いの丈を述べるのをじっと待つ。
貴方は他の八葉の言葉に心揺さぶれたりなさるのだろうか。
それもいい。貴方が選ぶことだ。
ただ貴方を必ず現代へおかえしする。誰を伴ったとしても。
紫姫が気まずそうな顔でわたしを見ている。
こんなことになるなんて。
わたしは暗澹たる気持ちで皆の思いを受け止めた。
受け止めなければいけない。わたしが招いた結果。
でもわたしが選ぶのはただひとりだけ。
ごめんね。
でも、その人はわたしを選んではくれない。
久々に見た貴方は少し痩せていた。
でもそれ以上わたしに言わせてくれない。
静かに貴方は自分を伴って欲しいと告げ、穏やかに微笑んで控え室に戻った。
みんなごめんね。
自分に正直なわたしを許して。
わたしは幸鷹さんの名前を告げた。
貴方がわたしの名を告げたとき、八葉たちは明らかに落胆を見せ、
そして最後の勤めを果たすために貴方のもとへと集った。
これが最後。
貴方を見つめる八葉たちの眼差しは真摯で。
貴方に心からの信頼を寄せている。
かわるがわる声をかける八葉たち。
貴方を中心にして八葉の絆は高められた。
貴方の導きがなければここまではきっとこれなかっただろう。
私は誇りいっぱいの目で貴方を見る。
最後まで貴方をお守りする。
そう願っていたのに………………。
千歳が何を願ったのか。
深苑くんが何を願ったのか。
わたしたちをアクラムがどう利用したのか。それは今はどうでもいい。
ただもう人の手ではどうにもならないほどに肥大した穢れ、百鬼夜行が京を飲み込もうとしている。
空を覆う黒雲は雨雲のようでそうではない。
走る稲光、低くうなる風の音。嵐のようなそれをどう止めたらいい。
皆よく戦ってくれた。封印できたと思ったのに出来なかった。
皆の顔にあきらめが浮かぶ。
座り込むもの、空から目を背けるもの。庇いあうもの。
皆の顔に絶望が浮かんでいく。でも、
わたしは諦めない。じっと空を睨む。
鈴の音がわたしを呼ぶ。そしてわたしは全てを理解する。
龍神様はわたしにここへ呼んでほしくてわたしをここに招いたんだね。
龍神様には力があるけれど。請われて呼ばれなければ何も出来ない。
京を救えと龍神様は命令のようにはじめは言った。
けれどあれはきっと京を救って欲しいとの懇願。神様の譲歩。
今わたしにはそれがわかる。
暖かな絆。龍神様とわたしにある心の絆。
それを辿ればわたしは龍神様を呼べる。
千歳が力をわけてくれたから。龍神様の下へきっと昇れる。
幸鷹さん、そんな顔をしないで。
わたしを犠牲になどしたくないって言ってくれて嬉しかった。
でも、わたしは今このために呼ばれたんだよ。
それがわかるから、もう迷ったりしない。
わたしは龍神様を呼ぶよ。貴方を護りたいから。
もう二度と会えなくなったとしても、わたしは貴方を……護りたいよ。
貴方を護りたいという気持ちが、祈りが力になる。
それが力となるのならわたしはきっと力に満ちている。
幸鷹さん、大好き。
わたしが消えてしまっても貴方を護るためだったらいいな。
でも貴方にわたしの言葉を伝えてない。何一つ。
ああ、わたしは引き寄せられる。龍神様が呼んでいるから。
呼び合うふたつはひとつに融ける。
せめて貴方に伝えられたら。
貴方は悲しみに満ちた瞳でわたしを見ている。
貴方が手を伸ばしたけれど貴方の手をとれない。
ああ、引き寄せられる。
わたしは懸命に祈り、龍神様との絆を辿る。
龍神様、どうかこの京に姿を現して、京を……幸鷹さんを護って。