飛雲




  −11−


 久々に貴方に会えて浮き立つ気持ちを抑える。
 ……抑えすぎたせいで少し冷たい物言いになってはいないだろうか。
 そんなことを考えてしまう自分を可笑しいと笑ってみる。
 貴方は不思議そうに私の顔を見る。
 貴方は寒いといって火桶を囲い込み、頭から袿を被っている。
 失礼ですよね、ごめんなさいといいつつ、貴方の鼻の頭が赤い。
 本当にこの寒さが堪えているのだろう。
 貴方が呼んだ冬。
 この寒さが私には心地いい。

「神子殿にお会いするのは、長岡京に行って以来ですね。
 ……よく、頑張りましたね」

 はっとして貴方は私を見上げる。
 私はあの日、本当は告げたかった一言をやっとの思いで口にする。
 嬉しそうに微笑んだ貴方を一瞬抱きしめたいと思い、そんな自分に驚く。
 もし、貴方に触れても痛みが走らなかったら、私は今貴方に何をしようとしていた?
 貴方は汚れなき神子。
 私などが触れることは叶わない。今は。
 神子としての勤めが終わったらどうなのだろうか。
 そんな期待をしてしまう自分に可笑しくなる。
 いつになく機嫌がよさそうに見えるのか、貴方は私を不思議そうに見つめた。
 貴方が見つめるのは、今は私だけ。
 そう思えるのがなんて心地よいのだろう。
 ……貴方に触れてみたい。
 その柔らかそうな頬に。猫の毛のように柔らかい髪に。
 寒さに凍えるその手を火桶でなく私が暖めて差し上げられたら。
 一瞬情熱を込めた目で見つめてしまった私の瞳を貴方は見つめ、
 照れたように目をそらした。
 ……耳が赤い。
 今まで何度かあった物忌みの日。
 すべて貴方が呼ばれたのは私でしたね。
 期待しても、良いのですか?悪戯っぽい目線で貴方を見つめる自分に気付く。
 私は貴方に惹かれていた。知らず知らずの内に。
 貴方を取り巻く八人のうちのひとりに過ぎない私だけれど。
 貴方をお慕いしていると、伝えても良いのだろうか。
 ……真実を取り戻そう。貴方の手にある鍵をつかって。
 私は浮かれ過ぎていないだろうか、一瞬不安がよぎる。
 けれど、貴方に触れたい。
 貴方と共に真実を手に入れられるなら、私はもう迷わずにいよう。
 そう心に決めてしまったら、貴方の顔を真っ直ぐに見つめられる自分がいた。
 ……それいいのだ。そう思っていた。

 あの日幸鷹さんに貰いたかった一言が思いがけずに貰えて、
 少しわたしは浮かれていたのかもしれない。
 久々に見る幸鷹さんは、穏やかに笑っていて。
 わたしは貴方のその笑顔がみたかったんだな、と思い知る。
 いつもと違う瞳で見つめられてわたしは貴方をまともに見つめることができない。
 ふたりっきりで、その瞳は反則だよ。
 自分は今耳まで真っ赤だろうな。
 恥ずかしさで袿をより深く被ってしまう。
 貴方がそんな私を見て目を細めて笑う。
 ……わたしの気持ちはきっと貴方にわかってしまっているね。
 どう誤魔化していいかもよくわからないから。
 幸鷹さんに会いたくて、物忌みを利用して呼んでいたこと。
 頭がいい貴方にはきっとわかっているんでしょう?
 でも断らずに貴方は来てくれた。……いけないと思うのに期待してしまうよ。
 貴方をこんな風に意識していなかった頃に、手をとってもらったことはあったけど、
 幸鷹さんの手ってどんなだったか今は覚えていないの。
 誰の手よりも、幸鷹さんの手に触れたい……触れて欲しい。
 そんなことを思ったことがないから気恥ずかしくてまともに貴方の顔が見られない。
 こんな理由で幸鷹さんにかけられたまじないを解きたいと思うなんて動機が不純すぎると思う。
 けれど、一度自覚してしまったら、この気持ちはとまらない。
 こんな気持ちは知らなかったから、どうしていいかわからない。
 だから貴方のこの言葉が嬉しかった。

「まじないを解こうと思うのです。貴方の力をお貸し頂きたい。
 貴方がいれば迷わず進むことができるように思うのです」

 幸鷹さんにまっすぐに見つめられて。
 わたしはただ頷くことしかできなかった。
 幸鷹さんの望みを叶えたい。その一心で頷くことしかできなかった。
 まさか貴方があんなことを言うなんてこの日のわたしは、
 そして幸鷹さん自身もきっと思っていなかったと思う。

 現代へひとりでお帰りなさい、と。

 蚕の社を出た後、牛車に揺られて帰る間幸鷹さんはずっと考え込んでいた。
 わたしを見て、微笑んだり、辛そうな顔をしたり。
 わたしは貴方に想いを告げてもらえた喜びと、同じ故郷を持つ人がいたことの安堵、
 そして自分の想いの成就に浮かれて何も考えられず、ただぼうっと貴方の顔を見ていた。
 貴方に抱きしめられた時のその腕の力の強さとか。
 案外広くて自分がすっぽりと入ってしまった胸とか。
 わたしのものよりもさわやかな侍従に紛れた幸鷹さん自身の薫り。
 見つめられた眼差しの優しさ、近くで見ると意外と長かった睫が瞳に影を落としていた。
 すこしつめたい貴方の手は、やっぱり大きくてわたしの手をすっぽりと包んでしまう。
 筆の使いすぎで指にはたこが出来ていた。手からは墨の匂いがした。
 そういった全てがわたしには初めてのことで。
 ……わたしはどうしたらいいのかわからない。けれど、
 貴方とわたしはきっと一歩を踏み出したんだ。そう思えたことが嬉しくて。
 わたしは貴方を見つめていた。
 貴方はわたしと目が合うたびに何かを言おうとして迷い、遠くを見ていた。
 わたしはその時は何もわからなかった。
 幸鷹さんが何を考えていたか、なんて。


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ここから。反転……。【091028】
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