飛雲
−10−
降り出した雪に、幸鷹さんは確かに嬉しそうに笑ってくれた。
その久しぶりの笑顔がわたしはとても嬉しくて。
わたしは幸鷹さんの喜ぶ顔が見たかった。幸鷹さんともっと初雪を喜びたかった。
頑張った成果を幸鷹さんに褒めて欲しかった。
でも、貴方はわたしから目をそらした。
貴方の笑顔が消えていくのをわたしは見てしまった。
イサトくんが冷えたわたしの手を暖めようと握ってくれたのを見て貴方は目をそらす。
イサトくんは良かれと思ってしてくれたことだからわたしは手を振り払えない。
イサトくんの手がわたしは欲しいわけじゃないのに。
わたしは貴方にそれは言えない。
急ごうと声をかけた時の、幸鷹さんの声はとても冷ややかで。
わたしは思わず貴方を見てしまった。
貴方はちらりと私を見て、鞭を入れ先に行ってしまう。
……わたしは別にイサトくんと馬に乗りたいわけじゃないよ。
本当は幸鷹さんの馬に乗りたかった。
でもふとしたことで触れ合ってしまったら、貴方はまた痛みに耐えることになる。
だからわたしは、それは言えない。
言えない言葉が降り積もって、わたしは窒息してしまいそうになる。
貴方はわたしに何も言わない。
わたしは貴方に何も言えない。
聞きたいことはたくさんある。
話したいこともたくさんある。
けれど貴方と二人で話す時間なんてもてない。
次の物忌みに幸鷹さんは来てくれるだろうか。仕事はますます忙しいみたいだ。
八葉の皆が揃って。試練を越えなくちゃいけなくて。
幸鷹さんに供に付いてもらえる日は少ない。
幸鷹さんは仕事が忙しくて毎日来れるわけじゃない。
だから貴方の顔が朝見られるととても嬉しい。
けれどそれは顔には出せない。
貴方と一緒に行きたくても、行けるわけじゃない。
折角朝会えても、そのまま別れることも多い。折角来てくれたのに。
でもその落胆を抑える。
一緒に行ってくれる八葉の皆に悪いから。
貴方の為に、京を救うと決めた。
全てが終わっても家に帰れるか、帰れないかもわからないから。
そんなあやふやな目標より、目の前にいる貴方のほうが大事だった。
そう思っていても、貴方には言えない。こんなことは。
長岡八幡宮から四条の館につくまでの道のりはとても長かった。
遠かったから、だけじゃない。
幸鷹さんの醒めた目がちらつく。
イサトくんの駆る馬に揺られながら、こんな時間は早く終わって欲しいと思った。
四条の館についても、幸鷹さんの顔に笑顔はない。
明日が早いのでこれで、と早々に帰ってしまった。
御霊戦のことや、初雪に浮かれるイサトくんは紫姫と話しこんでいる。
失礼にならない程度に相槌を打ったけれどほとんど話は聞いていなかった。
雪の上についた幸鷹さんの足跡を見る。
降り積もる雪で明日の朝には消えてしまうだろう。
確かに一緒にいたのに。いてくれたのに。
貴方は最近いつもどこか冷たい。
京を救いたいのだ、と熱く語っていた貴方はどこへいってしまったんだろう。
貴方の話をいつまでも聞いていかった。
わたしは貴方の願いを一緒に叶えていきたかったのに。
もしかしたら貴方は同じ時空から来た人なのかもしれない。
でもそんなのは関係ない。
幸鷹さんは、幸鷹さんだ。そうは思う。
でも同じ時空から来た人なら、わたしは京でひとりぼっちじゃない。
……それは純粋に、嬉しい。
けれど、貴方だけを特別扱いすることは出来ない。
幸鷹さんしか物忌みに呼んだことがないわたしを皆はどう思っているんだろう。
色々勉強したいから、そう言って笑って誤魔化すわたしを皆はどう見ているんだろう。
皆の視線が痛い。
……そんなに期待しないで。わたしは神子だけど天女でもなんでもないんだよ。
でも物忌みくらいしか二人きりで話す機会もないから。
わたしは貴方をまた呼んでしまう。
紫姫はわたしが言い出す前に、幸鷹殿で宜しいですか、と笑う。
いつも幸鷹さんばっかり呼んでるから紫姫にはわかってしまったみたいだ。
いつの間にか慣じんでしまった侍従の薫り。
始めはこんな落ち着いた薫りは自分には似合わないと思っていた。
けれど今は他のどの薫りもしっくりこない。
幸鷹さんのものとは違うけれど、貴方はこの薫りが好きだと言ってくれたから。
幸鷹さんに似合う自分になりたかった。
少しくらい背伸びしてでも、なりたかったのに。
さらさらと筆を走らせる紫姫の手元を見る。
わたしはまだ筆でうまく文字を書けない。かな文字は特に難しい。
習字のような大きさならかけないこともないけれど、文を書くことは難しかった。
だから紫姫に代筆を頼んでいる。
貴方に文を送り、返事が帰ってくるのを待つ。
紫姫は幸鷹殿が来てくださるといいですけれど。と、いつも一緒に待ってくれる。
幸鷹さんはいつもすぐに文を返してくれる。
とても綺麗で読みやすい字。丁寧で几帳面な筆遣い。
ほのかに香る幸鷹さんの香り。
この紙はなんていうんだろう。いつもと違う紙。
白地に雲のような文様が藍色で浮かんでいる。
紫姫は言った、この紙は飛雲と言うのですよ、と。