飛雲
−13−
期待をし過ぎてはだめだった。
打算的に動いたらだめだったのに。
今わたしは皆の想いに埋もれて苦しくて、身動きが取れない。
皆の好意が重くのしかかる。
それを振り切るならわたしは、もう前に進むしかない。
貴方のくれた傷を胸に。痛みを忘れようとしてわたしは神子としての勤めに励む。
蚕の社から帰ってから暫くしてわたしに届いた貴方からの文。
もうしばらく来れないと書いてあるのは文を見る前からなんとなくわかっていた。
何故あんなふうに抱きしめたりしたの?
あの時確かに気持ちが通じ合った。そう確かに感じたのに。
その後幸鷹さんはわたしを突き放した。
幸鷹さんが帰らないというならわたしが残ってもと言いかけるのを聞かず、
貴方は帰っていってしまった。
幸鷹さんが人の話をきちんと聞かないなんて余程のことだ。
その言葉は聞きたくない、そういう意思表示。
こうして顔を合わさないのもきっとその決意のせい。
何が悪かったのかな。わたしは何か悪いことをした?
それすら幸鷹さんに尋ねることも出来ないまま時間だけが過ぎていく。
わたしの世界に一緒に行きたい。
一緒にいたいから残って欲しい。
皆勝手だ、と思う。
初対面でちっとも信頼してくれなかったことを忘れたわけじゃない。
忘れてあげたほうがいいことはわかってる。
空に散ったこころのかけらを集めて、一生懸命試練も越えて、やっとうまれた絆。
それをうっとおしいとは思わない。
でもそんな目でわたしをみてもわたしは応えてはあげられない。
わたしの世界がいいな、行ってみたいと言われた時心に痛みが走った。
確かに便利だけれど。
その豊かな時代の魅力ですら幸鷹さんは振り切ろうとしている。
そんなものにどんな価値があるというの?
そんなことを言っても彼らは首を傾げるだけだろう。
幸鷹さんは、他の誰かをもし選んだら動揺してくれるだろうか。
でも結局一番自分が幸鷹さんじゃないとダメだとわかっていたからそんなことは出来なかった。
ため息をつくわたしを翡翠さんだけが笑ってくれる。
翡翠さんはわたしの視線が何処にあるのか知っている。
仕方ない。
幸鷹さんと一緒に西の札をとりに行ったり、試練を乗り越えたり。
昨日も書きかけの文の山も見られてしまったし。
うまくいかないのかい?と笑いながら面白そうに眺めている。
わたしのたどたどしさがかえって新鮮みたいだ。
翡翠さんにも好意を告げられた。
でも、翡翠さんは大人だからわたしを追い詰めるようなことは言わなかった。
別当殿がへまをやるのを待っているのだよ。
愉快そうに翡翠さんは笑う。
翡翠さんは幸鷹さんが嫌いなわけじゃないみたいだ。
ただ、生き方が真逆なだけ。
でも近いところがある気もします。そう言ったら翡翠さんは笑った。
近いところがあるからこそ、余計に許せないのだよ、と。
白菊を泣かせるなんて、ね。
そう翡翠さんはおかしそうに笑ってちらりと遠くを見た。
昨日の物忌みの後おかしいことはなかったかね。優しく尋ねてくれる。
幸鷹さんへの思いとは違うけれど、今は翡翠さんの優しさが嬉しかった。
昨日の物忌みは私は呼ばれなかった。
わかっていても落胆する気持ちはとまらない。
自分が線を引いたのだ。
それを引き返すなどあってはならないのに、……自分の心の弱さを嗤う。
もう貴方にどれだけ会っていないのだろう。
蚕の社でまじないをといてから、もう半月。
東の札と北の札をとり終えて、明日は北の結界を解きに行く日。
今日は、十二月二十四日。
旧暦だ。本当のクリスマスとは違う。
けれど十二月二十四日。クリスマス・イヴ。
それを知るのは京では私ひとりだけ。
貴方とともに過ごせたら。そうは思うけれど、情が移ってそのままずるずる流されかねない。
今、貴方に会ってしまったら。
きっと私は貴方に言ってしまう。懇願してしまう。
京に残って私と共に生きて欲しい、と。
私に出来る精一杯で貴方を幸せにするから、貴方を生涯かけて愛するから、と。
だから貴方には会えない。会っては、ならない。
そう思うのに。
仲睦まじそうに翡翠と貴方が歩くのを見てしまった。
翡翠は私の牛車に気付いていたのだろう。こちらをちらりと見て、貴方に何かを囁いた。
私は目を背け、膝を握りこんだ。
何もかも捨て去って貴方に愛を請えたら。何故私はそれが出来ないのだろう。
貴方に会いには行けない。
でも今日はクリスマス・イヴ。
貴方はきっと今までずっと家族と祝ってきたのだろう。ひとりでなんて寂しいに違いない。
貴方と祝うことは出来ないけれど、せめて忘れていないと、ひとりではないのだと何かを送ろう。
せめてもの形見に。
京の思い出に。
そのまま送っては貴方にまた期待をさせてしまうか。
酷だとは思うけれど、私が貴方を思い切らなければ。
全ての決着の日は近い。貴方との別離の日が迫っているのだから。
翡翠さんに送ってもらって四条の館についたら久々に幸鷹さんから文が届いた。
綺麗な箱に収められていたのは綺麗な扇と、そして甘いお菓子。
紫姫は不思議そうな顔をしてそれを見ていた。
そうだろう、紫姫には何故この時期に贈り物なんてと思うだろうから。
これはクリスマスプレゼントだ。
ひとりではないと言われた気がして、涙がぽたりと流れてしまった。
でも、幸鷹さん自身が届けてくれたわけじゃない。
幸鷹さんはきっと最後の日まで来ないつもりなんだ。
わたしに会うつもりがないんだ。
文を開くと、普通の文ともう一枚。
……幸鷹さんの両親の名前と、住所。論文の名前と、雑誌の名前が書いてあった。
紫姫はそれを不思議そうに眺める。
英語。わたしと幸鷹さんにしか京ではわかる人はいない。
筆を使うのに慣れた貴方はアルファベットも綺麗に書けるのか。
貴方はわたしにこれを託した。
これはきっと最後通告。わたしにひとりで帰れという。
扇はきっと餞別。京の思い出……おみやげとでもいうつもりなの?
こんなものを贈って欲しいんじゃない。
幸鷹さんとただ、メリークリスマスと笑いあえたら良かっただけなのに。
ただそれだけで良かったのに。