飛雲
−8−
もう霜月も終わる。けれど、四条の館の紅葉は真っ盛りのままだ。
葉も落ちもせず、鮮やかな色を保っている。
そろそろ雪が降ってもいい頃なのに、何かおかしい。
聞けば京の時間は秋のまま留められているのだという。
そのために結界として怨霊が使われているのだと。
そんなことがあるのだろうかとは思うけれど、実際に起こっているのだ。
信じないわけにはいかない。
花梨は天地の八葉と信頼をとり結び、京を駆け巡る日々を送っている。
信頼以上の気持ちを持つものが増えた、と思う。
八葉の詰め所でため息をつくもの、物憂げな目で庭を眺めるもの、
……花梨の供に選ばれたものを羨ましそうに見るもの。
皆それぞれに花梨に対しての感情を示すようになった。
詰め所に漂う微妙な空気。
前は確かに仕方ないと、義務のような形で伺候していたものもいたのに。
今は花梨の自分を名前に呼ぶ声を一心に待っている。
幸鷹は冷静な目でそれを見る。
もう彼女に無茶を強いるものも、文句を並べるものもいない。
信頼と……愛情を奉げる男達。
皆それぞれに個性を持ち、優れた資質に恵まれた男達。
それに取り巻かれた貴方は知らず知らずの内に花開いていく。豊かに。
今日も朱雀の二人を伴い貴方は出かけていった。
その後姿を、見送る。
今日の笑顔も溌剌としていた。順調に進んでいるのだろう。幸鷹は安堵する。
けれど他の八葉たちがそれぞれに散っていくのを見やりながら立ち上がることもできず、
じっと庭の紅葉を眺めた。
……年末に向けて検非違使庁の仕事も、中納言としての職務も忙しさを極めていく。
私がいなくても、もう大丈夫だろう。
私の支えがなくとも、貴方はもうやっていける。
西の札もとり終え、私が絶対に必要な局面は終わった。
……私が貴方にして差し上げられることは、もう何もない。
そうなのかもしれない、と気付き呆然とする。
私の供を必要としない貴方を見て、失望したのはいつの日までだったのか。
今はもう何も感じない。
こうして職務の隙を縫って伺候はしてみても、貴方は私を指名はしない。
貴方は京を救ってくれている。
けれど、もっと私は貴方の力になりたかった。
私が貴方と京を救いたかった。手を携えて進みたかった。共に。
けれど私は貴方に必要な八人のうちの一人で。
貴方と私が京を救うのではない。
何を私は誤解していたのだろう。貴方に必要とされているなんて思い上がりも甚だしい。
私は貴方が初めて出会った八葉に過ぎないのだ。
貴方は私を頼らざるを得なかった。ただ、それだけだったのに。
貴方は笑顔で他の男達に囲まれているのを見ていると虚ろな気持ちになる。
貴方を案じている。けれど貴方を見ていると寂しさを感じる。
……もう無理をしてまでこちらに伺候しなくてもいいだろう。
確かに職務は忙しい。けれど仕事に身が入らない自分も知っている。
仕事に確かにやりがいを感じているのに。そんな自分に苛立ちを感じる。
考えたくないことが多すぎる。
こっそりため息をつく私を翡翠が盗み見ている。
恋煩いなど珍しいと顔に書いてあった。
これは恋煩いなどではない。うまくいかない何かに対しての苛立ちだ、これは。
翡翠は物問いたげな目線を向け、薄く笑うと立ち上がって部屋を出て行った。
苛立ちを押さえ、庭にもう一度目をやる。
誰にこの迷いがわかるというのだろう。
泰継は相変わらず淡々としていたけれど傍には絶対に寄ってはこない。
当然か。
幸鷹は眉根を寄せる。
泰継を見るだけで、花梨に触れた時の激痛が思い出される。実際に痛みはなくとも。
泰継を問い詰めたあの日、私は貴方に真実を取り戻す勇気が満ちるまで待って欲しいと伝えた。
あの時から私と貴方の間には微妙な距離感が生まれた、と思う。
相変わらず貴方に触れれば私に耐え難いほどの痛みが走る。
いざとなれば痛みだと恐れもせず、貴方を命がけで守る。その誓いは胸にある。
けれど貴方は私に対して距離を置くようになった。
誰だって人に進んで痛みなど与えたくはない。貴方は優しい人だから。
八人の男に守られたその中心で貴方は次第に花開いていく。
貴方の生来の明るさが、いきいきとした瞳が、溢れる生命力が。
周りを励まし、動かし、前へと進んでいく。
確かに私も貴方を支えた時期があった。
けれどそれをもう思い出したりはすまい。貴方はもう貴方としてやっていけるのだから。
……後は私は私の処遇を決めるだけ。
真実を取り戻すのか、取り戻さないのか。
貴方が握るその鍵を使って扉を開くのか、それとも永劫にその扉を封印するのか。
……古参の女房やら、家人の証言で自分が確かに京に存在したのが
十五の歳のころだということはわかった。
そして断片的に浮かぶ思い出、情景、言葉……。
貴方のいた世界にあったものと一致するというその記憶。
つまり私は貴方と同じ世界にいたのだろう。
それはうすうすわかっていたことだった。
後は真実としてそれを受け入れるのかどうかだけ。
それを受け入れたとき私は何を手に入れ、何を手放すのだろう。
貴方がこの世界にいる時間はもうそれほど長くはないだろう。
つまり、貴方が帰るまでに決めなければならないのだ。
……貴方は帰るのだろうか。
貴方は貴方に愛情を奉げる誰かの為にこの世界に留まることはあるのだろうか。
望むものは少なからずいる、と思う。
それほどの愛情を花梨に奉げる男達に埋もれて、自分はいったい何が出来るのだろう。
空虚さだけが胸を支配する、この私に。