残心
-9-
少しは眠ったほうがいいだろう、そう思うのに離れがたくて。
貴方の手をつないだまま傾いていく月を見ていた。
貴方は今までの貴方の旅をぽつりぽつりと話してくれた。
二度、俺を失った旅を。
きっとその二人の俺も精一杯貴方を愛していたのだろう。
いつだって俺は貴方を愛してきたのだから。
俺はその二人の想いにも報いなければならないと感じる。
必ず、俺が幸せにならなくては。貴方を幸せにして。
握り締めた手を二度と離してはならないのだ。
改めて手を強く、強く握り締める。
貴方の長かった旅の話が終わった時、うっすらと明け方の光が見えた。
数時間でも眠ったほうがきっといい。
貴方を貴方の天幕まで送る。
貴方は俺におやすみのキスをくれた。頬に。
悪夢をもう見ないで眠れるように、おまじない。
そう貴方は照れて微笑んで、天幕の中へ消えた。
俺は久々に自分に割り当てられた天幕へと戻った。
ごろり、と横になった時、敦盛の声が聞こえた。
「神子と話は出来たのか、神子は譲をずっと探していた」
「……ああ」
「良かったな。まだ時間はある。少しでも眠ったほうがいい」
「……ありがとう」
敦盛に礼を言って目をつぶる。
ヒノエも起きていたのだろう、そういう気配がした。
自分で精一杯で何も見えていなかったことに気付く。
こうして自分は多くの人に支えられてきた、守られていたのに。
自分だけで生きていけるような気になって。
本当に馬鹿だな。俺は。
……それでも今気付けてよかった。
皆に感謝が出来る自分に満ち足りたような気持ちになって、すっと眠りが降りてきた。
夢を見た。
貴方を俺の自転車の後ろに乗せて、高校へ向かう夢。
登り坂ばかりで、俺はとても辛かったけれど幸せだった。
二人で笑って、海を眺めていた。
……そこで目が覚めた。
数時間も眠っていなかっただろうけれど、ひさびさによく眠れた気がした。
気持ちが澄んでいた。頭が冴えているような気がした。
精一杯運命に抗おう。
貴方の俺の未来のために。
俺は初めて俺の意思で戦う。貴方の為だけじゃなく俺自身のために。
金色の扇は夢と同じように、夕日に煌いてとても綺麗だった。
とても遠いそれを射抜ける自信は普段の俺にはなかっただろう。
心眼で上手く捉えられれば射抜けぬものはない。
師匠の言葉が心に響いた。
那須与一。
弓の名手と名をとどろかせた俺の師匠。
その名を汚すことはしない。
師匠が鍛えてくれたのは弓の腕だけではない。
人を射ることに迷いや躊躇いがあった俺に、弓を番える覚悟を教えてくれた人。
先輩を、俺の愛するあの人を喪いたくないのなら。躊躇わずに射れと。
あの人は繰り返し、甘かった俺を叱咤した。
そして、源氏の皆。
今まで一緒に戦ってきた皆の信頼に応えたい。
誰に扇の的当てをさせようか思案している九郎さんと景時さんに声をかけた。
「那須与一、俺の師匠は怪我をしています。
俺では役不足かもしれませんが、代わりを務めましょう」
「譲くん……やってくれるのかい?」
「お前に頼む」
九郎さんと景時さん、そして皆の視線が俺に集まる。
俺は何処までも利己的で自分勝手で、先輩を守るためだけにこれまで一緒に行動してきた。
そんな俺に貴方達はこの大役を任せてくれるという。
夢で見て知っていた。
そうなるだろうと、わかっていた。
けれど、今は任せてくれた貴方達の信頼が嬉しかった。
この一矢は皆のために。
俺は砂に足場を固めた。
大きく息を吐き、ひとつひとつ基本に忠実に動作を重ねていく。
「南無八幡大菩薩(足踏み……)
我が国の神明(胴作り……)
日光の権現(弓構え……)
宇都宮(打ち起し……)
那須の湯泉大明神(引き分け……)
願わくば………、(会……)」
真っ直ぐに的を見つめた時に、不意に兄さんの声がした。
「譲!!ここだ!!」
何故ここにいるのかは、考えない。迷わない。
これは巡りあわせだ。
白龍の言った言葉が蘇る。俺は現在の気の流れを辿ることができるのだと。
その力があるのなら。あの黒い奔流を立つ、力をこの一矢に。
目に見える的だけでなく、心に浮かんだ的へ俺は矢を放った。
『離れ』、……『残心』。
俺の放った矢は、確かに的を射抜いた。
金色の扇では無かったけれど。貴方の命を、俺の命を奪った力の源。
それが砕け散ったとき、黒い龍が天空へと舞い上がった。
それが何だったのかは俺にはわからない。
けれど、兄さんが危険だということはわかっていた。