残心
−2−
このぬくもりがどれだけかけがえのないものか。今のわたしにはよく、わかっている。
昼間皆といるときは普通にしていられるけれど。
でも、夜静かになると不安でいっぱいになってどうしても確かめずにはいられない。
秋が深まって夜がだんだん長くなる。どんどん寒さが増していく。
冬が近づく。
譲くんが死んだ、冬に。
冬になってしまうのが、怖い。屋島に出来れば行きたくない。
今でも瞼に浮かぶのは降り積もる雪の中冷たくなっていった譲くんの白い貌。
わたしの膝の上で、死にたくない、離れたくないと言いながら譲くんは瞳を閉じた。
睫が長いな、とか。瞼を閉じてただ眠っているみたいだとか。
目を閉じた貌は、普段の譲くんと違って幼いなあとか。
譲くんが死んでしまったことを心で受け止め切れなくて。ぼんやりとそんなことを思った。
でも握っていたてのひらが、どんどん冷たくなっていくのを止められなかった。
スカートごしに感じていた譲くんの暖かさが失われていくのがわかった。
生きているから、暖かいんだ。
当たり前だけれど、暖かさを失うのは命の灯火が消えた証拠だった。
勿論哀しかった。
でも哀しすぎて。どこかで麻痺してしまった心では現実を受け止め切れなくて。
本当は叫び声をあげたいのに。悲しみを外に出してしまいたいのに出ていってくれない。
ただ呆然と譲くんの顔にかかる雪をはらいながら見つめていた。
だけど皆は、悲しそうな顔をして、譲くんを連れて行ってしまった。
怨霊になってはいけないからと。
連れて行かないで、もう少しそばにいさせて。
待って、と声をかけ譲くんを追った朔がうらやましかった。
素直に涙を流せた朔が。
わたしもそうしたいと思っているのに。
わたしは全ての力が抜けて、追いかけることも出来なかった。
まだ、ちゃんとお別れもしていなかったのに。
あの冷たい掌をわたしは、忘れることが出来なくて。
どうしても譲くんの暖かさを確かめたくなってしまう。
夜毎譲くんを訪ねて。暖かさを確かめたくて。ただ、そばにいて欲しくて。
わたしを暖めて欲しくて。
譲くんを失って凍ってしまった何かを融かせるのは、譲くんの暖かさだけだから。
寒くもないのに感じるこの寒さを譲くんにどうにかしてほしくて。
そういうわたしは譲くんにはどう見えているんだろう。
こんな気弱なわたしは、わたし自身知らなかった。
譲くんにはおかしな風に見えているのかもしれない。でも、
譲くんの暖かさが嬉しかった。譲くんの声が、笑顔が。
そばにいてくれることがわたしにどれだけ幸せをくれるのか、譲くんにはきっとわからない。
躊躇いがちに、不思議そうな顔をして。
でも譲くんは傍にいてくれた。わたしがいて欲しいと願った時間だけ。
でも、少し寂しくなるときがある。
時々よぎるのは、『あの時』の譲くんの面影。
穏やかな譲くんの顔の上に色んな譲くんの面影を見る。
秋の鎌倉で初めてわたしに本心を打ち明けて逝ってしまった譲くんの貌。
自分が死んでしまう未来の夢と戦い続けて、結局わたしを守りきって逝ってしまった。
あの強い瞳も、最後にわたしを抱きしめた腕の強さも。
失ってしまったぬくもりも、全部全部覚えている。
あの譲くんにもし、もう一度会うことができたら。
わたしは今度こそちゃんと伝えるのに。
わたしだって、譲くんのことが一番大事だよって。
今度こそわたしは間違わない。
譲くんを、失わない。もう一度出逢えた大事な、大事な人を失ったりしない。
今度こそ自分にできる全ての努力をする。
今までやらなかったことをやってみようという気持ちになった。
それは譲くんに未来のことを告げること。
譲くんは怪訝そうなな顔をするだろう。
どういうことか追求してくるだろう。
でも、それで譲くんを救うことが出来るのなら。
最善を尽くさなければ。使えるものは全て使って。
わたしに使えるのは自分が未来の道筋を知っていることだけ。
怖がるな。
未来は変えられるんだ。
良いほうにも、悪いほうにも変えてしまえる。
だから今度は強く願う。
譲くんと一緒にいられる未来を。
それは、最後の奇跡。二度はもう、ない。
今度は決して失わない。絶対に。
鎌倉を出て、屋島に近づくにつれ、譲くんの態度がよそよそしくなっていった。
前みたいに距離を置くようになった。
皆が見ていても違和感を感じない程度にうまく距離を置いていってしまう。
話をしていても、時々何か言おうとして躊躇って、ごまかしてどこかへ行ってしまう。
手を握って欲しいと強請れば、握っていてくれるけれど。
その手のぬくもりは前みたいにわたしを包み込んではくれなかった。
譲くんが目をそらすのはどうしてなんだろう。
わたしと一緒にいたくないって思っているとしたらどうしたらいいんだろう。
わたしはどうしたらいいのかわからない。
譲くんに生きて、そばにいて欲しい。
……わたしを、好きだと言って欲しい。
そんなことを思った自分に戸惑う。
身体の芯を貫いていくような強い願い。
こんなこと、今まで考えたことは無かった。
譲くんを失った時、ただもう一度会いたいと強く思ったあの時ですら。
ただ大事だと思っていた。どんな大事なのか今ちゃんとわかった気がする。
ふいに『あの時』の譲くんの面影が頭をよぎった。
心に甘い痛みが走る。
あんな風に、好きだと言って欲しい。…………もう一度。
穏やかな譲くんも勿論好きだ。
でも、わたしの心を捕らえたのはあの譲くんの深い色をした強い瞳。
あの瞳を思い出すと、ぞくりと震えが走る。
そんな震えも初めてで。わたし自身を持て余してしまう、どうしていいかわからない。
……そして思い出す。
あの時もこんな風にすれ違って。
わたしがちゃんと譲くんを捕まえなかったから、譲くんは行ってしまったんだ。
わたしの手の届かない場所へ。
譲くんはわたしをかわすのが上手い。このままだと避けられたまま行ってしまうかもしれない。
冷たくなったてのひら。閉じられた瞼。顔に積もった雪。
あんなのは、もう、イヤだ。
絶対に繰り返さない。そう思うのにどうしたらいいのかはわからない。
でも、もう一度は絶対にないから。譲くんの手を放さない。
譲くんがイヤだと言っても。……離さない、絶対に。