残心




  −7−


「譲くん」

 呼び止めたその声に俺は決して逆らえない。
 人の見る目が気になって、貴方を陣の外へ連れて行く。
 見上げれば今夜は降るような星空。明日はきっと晴れるのだろう。
 ……夢で見た屋島は確かに晴天だった。赤い鮮やかな夕日。
 その残像を頭を振って、消し去る。
 星を眺めたのは久しぶりだった。
 龍神温泉で星の話をした貴方と、今の貴方は違うのだろうか。
 ……どんな貴方であっても、俺は貴方の魅力に逆らえない。わかっていた。
 本当に馬鹿だな、俺は。
 騙されても、裏切られたとしても。俺はきっと許してしまう。それで傍にいられるのなら。
 貴方は無防備に俺の肩に寄り添い手を握る。
 いつのまにか習慣となったそれを俺は拒んだことはない。一度も。

「こうやって話すの久しぶりだね」

 無防備に俺に甘える貴方を肩越しに見つめる。
 こんな風に甘える貴方を見るのはこれで最後なのかもしれない。
 貴方を見つめる。
 震える睫。上下する胸。漏れていく吐息。大きな瞳。
 その瞳に俺だけを映して欲しいと願うのは罪なんだろうか。
 俺の醜い独占欲だとわかっていても、それを望んでしまう。
 望むだけなら、罪ではないと言い訳をして。
 息を吸い込んで、……覚悟を決める。

「明日は屋島ですね」
「……そうだね」
「先輩は、明日何が起こるのか、全部知っているんでしょう?」

 不意に俺が口にしたその言葉に貴方は動揺して、手を離して身をかわそうとした。
 ……貴方を、逃がさない。

「貴方の胸にあるそれは、白龍の逆鱗。……そうなんでしょう?
 貴方は、俺の知らない未来からここへ来た。それで時を辿って。
 ……違いますか?」

 貴方は俺の顔を見つめてくしゃり、と顔をゆがめた。
 貴方を慰めてあげたいと思う。けれど、今を逃したら、もう俺には時間が無い。

「いつから、気付いてた?」
「貴方が那智の滝の話をした時に。
 貴方は俺を追ってくれたといっていたけれど、貴方は兄さんと降りてきたんです。
 ……何故俺の夢のことを知っているのかずっと、疑問でした。
 でも思い出したんです。京邸で白龍が言っていたことを。
 白龍の逆鱗には時を超える力があると。
 俺は、貴方が白龍の神子だから、逆鱗のレプリカを持っているのかと思っていました。
 けれど、本物だったんですね、それ」
「……譲くんは記憶力、いいもんね」

 ずっと騙せるなんて思ってなかった。そう言った貴方の顔は俺の知らない貴方の顔だった。
 静かな、大人びた顔。女の人の、顔をしていた。
 俺は貴方にその表情に呆然と見とれた。そして思う。貴方のそんな顔も好きだ、と。

「何で今、そんな話をするの?」
「最後かもしれないから。ちゃんと話をしたかったんです」
「最後だなんて言わないで」
「……貴方にはわかってるんでしょう。明日、何が起こるのか。
 死ぬのが俺なのか、貴方なのかわからないけれど。最後かもしれないから。
 ちゃんと俺は貴方と話をしたことがなかったから、ちゃんと向き合って話、したかったんです。
 いつも俺は貴方から逃げてばかりいたから。聞いてくれますか?」

 貴方は黙って俺を見つめた。静かな瞳で。
 それは話してもいいという合図だろう。俺は貴方に感謝した。

「俺は貴方が俺を好きだって言ってくれて嬉しかったんです。
 一緒にいられて嬉しかった。でもずっと寂しかった。
 貴方は俺に誰かを重ねてみてるって気付いてしまったから。
 ……そしてそれはきっと貴方を守って死んだ俺、なんでしょう?」
「……うん」
「貴方は俺にぬくもりとか、安心を求めてた。
 だけど、それだけだったんじゃないですか?
 俺にそれ以上を求めてくれなかったんでしょう?」
「ごめんね」

 その、ごめんねは俺の心をぐしゃりと潰した。
 それは貴方の純粋な肯定。
 貴方の瞳は静かで。嘘は無かった。
 嘘をついて欲しくないと願っておきながら。俺は息が出来ない。

「譲くんのいうとおりなのかもしれない。
 譲くんが死んじゃって。寂しくて、辛くて、寒くて。
 傍にいてわたしを暖めて欲しかったの。
 でも、それは譲くん以外は考えられなかったけど。
 確かにわたしは、譲くんを利用してたのかもしれない」

 利用。
 貴方になら利用されてもかまわない。そう思っていたのに。
 そう言葉にされると心の傷がぱっくりと開いた。
 あまりの痛みに理性で押し留めていた何かが蠢き出す。
 俺の中で俺が昏い顔をして笑ったような気がした。
 本心が暴かれる。今まで必死に綺麗に蓋をしてきたそれが今、開いていく。
 利用だなんて。
 それでそばにいられたらそれでいいなんて。
 俺はそうやって俺自身を騙してきたんだな。必死に。
 俺自身そんな風には本当には思ったことはなかったのだと、今思い知る。
 俺は、貴方に必要とされたかった。かけがえの無いものとして。
 便利な道具だとか、代用品でなく。
 ただひとりの俺として。

「……そう、ハッキリ言われるとショックですね」

 自分で笑ってしまうほど、低い声が出た。
 笑ってみたけれど、うまく笑えなかっただろう。
 貴方の気遣わしげなその顔に初めて怒りが湧いた。
 怒りはずっとあったのかもしれなかった。
 ずっと心の中にありつづけて、麻痺していただけだったのかもしれなかった。
 もしくは、たまに貴方が与えてくれた甘い喜びが、それを忘れさせてくれていただけなのかもしれない。
 長年貴方を思い続けてきた。
 愛してきたのと同時に、貴方を憎んできたのかもしれなかった。
 利用してた、そういうくらいならもっと平然としていればいいのに。
 ごめん、と貴方が呟いた時。
 俺は貴方の腕を掴んでいた。
 ビクっと跳ねて目を逸らした貴方の顎を掴んで、瞳を睨む。
 貴方の目が泳いだ。
 俺は貴方の瞳を初めて睨んだ。
 …………逃がさない。

「貴方をずっと思ってきた。ずっとずっと長い間貴方だけを見てきた。
 貴方が好きだと言ってくれて嬉しかった、願いがかなった、そう思ったのに。
 貴方は遠い。隣にいてもこうして目の前にいても貴方は遠くばかり見ている。
 ずっと遠くにいてくれれば、諦めがついたのに。
 好きだなんて言って。こんなにそばにいるのに。触れることさえ出来ない。
 貴方は俺のものにはなってくれない。
 俺の腕の中にいても、抱きしめられないなんて。
 ……貴方はどれだけ俺に拷問を強いれば気が済むんですか」

 ごうもん。
 貴方の唇が動いた。

「貴方を守って死ねたらいい、そうも思った。
 でも、貴方を守って死んだ俺は、貴方に深い傷を負わせて貴方の中に永遠を刻んだ。
 それを超えられる気がしないんだ。
 貴方が俺に重ねる面影以上に貴方に好きになってもらえる自信なんて、ないんですよ。
 貴方が、俺を望んでくれるなら。俺は何をしても生き残りたい。
 けれど、貴方が望んでくれないのなら、明日俺は消えてしまいたい。貴方を守って」

 貴方は顎を掴んでいた俺の手を振りほどき、俺の頬を打った。渾身の力で。
 打たれた痛みよりも、衝撃に我に返る。

「譲くんの馬鹿!!」

 貴方は、泣いていた。
 どん!と俺の胸を貴方の拳が叩いた。
 その痛みに、みっともなくわめいた俺は冷静さを取り戻した。

「……そんなの、ちっとも嬉しくないよ。偉くないよ。
 わたしを好きなら、……勝手に守って死ぬんじゃなくて。ずっとそばにいてよ。
 わたしをひとりにしないでよ!
 譲くんが死んでどれだけ哀しかったか、譲くんにはわからないでしょ。
 やっと好きだってわかった時にはもう譲くんがいなくて。
 どれだけわたしが譲くんに会いたかったか、譲くんにはわからないんだよ」

 どれだけ俺に会いたかったか。
 貴方は俺に会いたくて、時を超えた……そう言ってくれるのか。
 その言葉は俺に向けられた言葉なのだろうか。
 貴方の言葉は俺の皮膚を通して沁みて、全身に広がり、心に灯火がともったような気がした。
 ちいさな希望。
 期待していいのだろうか、貴方に。今なら俺の気持ちが届くと。
 俺が今貴方を好きだと言ったら、貴方は応えてくれるのか、……今なら。
 俺は万感の気持ちを込めて貴方に告げた。

「俺は、貴方が好きです」
「……うん」
「好きだ」

 真っ直ぐに見つめた俺を貴方は同じ強さで見つめてくれる。
 俺は貴方の答えが聞きたくて、貴方の答えを待った。
 貴方は泣き笑いして、一度目をそらして……もう一度俺の瞳を真っ直ぐに見て言ってくれた。

「……うん、……今度はちゃんと貴方に言うよ。
 譲くんが、好きだよ」

 貴方の眼差しは、今確かに俺を見ていた。
 俺に似た誰か、じゃなくて俺自身を。
 だって確かに感じたから。貴方の視線が触れた場所に確かに、熱を。
 掴んでいた腕を、離す。
 貴方の腕を見れば、赤い痕がついていた。
 身体に刻む印のつけ方なんて、俺はまだ知らない。
 けれどそれは確かに俺がつけたもので。
 貴方にすまない、と思うの同時にどうしようもない熱が駆け抜けた。
 貴方に、触れたい。……今度は優しく。

「……触れても、いいですか」
「どうして?」
「……だって、嫌がったじゃないですか。
 前少し触れてしまったとき、貴方は過剰に反応したから」

 貴方が赤くなったのは暗かったけれど、何故かそれがわかった。
 貴方の動揺が、熱が空気を伝って、俺に伝染する。

「……嫌じゃないよ。
 ただ、何か変な感じがするから。ドキドキするっていうか」
「ドキドキ、ですか」

 俺に触れられて、貴方はドキドキするんですか。
 俺だって、貴方に触れると思うとドキドキするんですよ。
 どうしようもなく。
 でも俺は貴方に触れてみたいと思っていた。ずっと俺の意思で。
 おずおずと手を伸ばせば、俺が貴方に触れるか、ふれないかの距離でため息を洩らした。
 それはとても甘くて、俺を痺れさせるには充分だった。


背景素材:空に咲く花

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