残心




  ー1−


 白龍の逆鱗が砕け散ったとき、そのかけらは夕日に煌いてとても綺麗だった。
 何が起こっているのかわからなかった。
 ただ、譲くんの腕が強く強くわたしを抱きしめた。
 わたしは譲くんの背中を黒い光が貫くのを見ていない。
 けれど譲くんの背中に何かが激突した衝撃はわたしにも伝わった。
 それでも、譲くんはわたしを抱きしめて守りきってくれた。
 あの、わたしを狙った黒い光から。

 それはほんの一瞬だったはずなのに、繰り返し繰り返し思い出す。

 わたしは逆鱗を失った時、全てがもう終わってしまった、と思った。
 逆鱗があることに甘えて、やり直しがきくと思い込んで、どこか油断していたわたし自身に絶望した。
 人生にやり直しなんて本当はありえないのに。
 人が生き返ることだってありえない。
 わかっていたのに、逆鱗で時空(とき)を超えることにいつしか慣れていた。
 最初に全てを失ったときの痛みは徐々に薄れて。
 わたしは自分のしたかったことを見失い始めていたのかもしれなかった。
 失敗を重ねても、またわたしは時空(とき)を超えて皆と出会えた。一緒にいられたから。
 だからそれは、罰だったんだと思う。
 運命を甘く見始めていたわたしへの。神様が与えた罰。

 一番失いたくないと思い始めていた人と、一緒に逆鱗を砕いた。

 わたしの命と譲くんの命はどっちが重いんだろう。
 譲くんはどうしてわたしなんかを庇って逝ってしまったんだろう。
 離れたくない、と口にして。
 わたしは冷えていく譲くんの身体の温度を忘れることができない。
 わたしを庇って抱きしめてくれた時の腕に込められた力強さも。
 わたしを好きだと、激高した譲くんのあの深い色をした強い眼差しに今も心を射抜かれたままだ。
 あの時は突然すぎてただ驚いて、うまく返すことができなかった。
 だから、そんなわたしに絶望した譲くんは、わたしを避けて、避けて、避けて……
 ちゃんと見詰め合うこともしないで行ってしまった。
 手の届かないほど、遠くへ。
 わたしを一人残して。
 最初あんな寒い海に譲くんを置き去りにしてしまったと思っていた。
 けれど、譲くんはわたしの知らないところで白い煙になって雪の降る中、天に昇った。
 だから、本当はわたしが、あの寒い海にひとり置き去りにされたのだ。
 あの日に心の一部は確かに凍り付いて、解けることは無いのだから。

 いなくなって初めて、自分にとって譲くんがどんな人だったのか考え始めた。
 考えたくないのに、いつも譲くんのことが頭に浮かんで。
 声が、面影が消えてくれなかった。
 いつもいつも傍にいて。
 好きとか嫌いとか、いるとかいらないとか考える必要もないほど自然に一緒にいたから。
 お互いが、物心ついたときから。ずっと傍にいた。
 傍にいたのに。
 わたしと譲くんはまるで背中合わせのようで。
 一緒にいた筈なのに。同じものを見ていなかった。
 時空(とき)を超えるまでわたしは譲くんについて実は何も知らなかった。
 見ているつもりで、知っているつもりでいただけだった。
 背中の裏側に気配を感じていただけ。
 譲くんがどんな表情をしていたのか、何を見つめていたのかわたしにはわからない。
 譲くんを失ったから、もうわたしはそれを知ることも出来ない。
 でも今だからわかることがある。

 わたしは譲くんに甘えすぎていたんだ。

 仕方ないですねと笑っていたその陰で譲くんはいつも何を考えていたんだろう。
 笑っていてくれたから、何も言わなかったから、何も気がつかなかった。
 眼鏡の奥に潜んでいる瞳がどんな色で、何処を見ていたのか知ろうともしなかった。
 わたしはきっと譲くんに酷いことをしてきたんだろう。
 でも譲くんも悪いと思う。
 いつも普通の顔をして。ただ傍にいただけで。ずっと態度も変わらなくて。
 わたしには譲くんの考えていることはわからなかった。
 でも譲くんを失って初めて、わたしは自分の中に潜んでいた願いを思い知らされた。
 わたしは譲くんにずっと、もっとそばにいて欲しかった。
 自分が思っているより、ずっと譲くんのことが大事だった。
 大事すぎて。その意味を考えたことが無かったけれど。
 譲くんはわたしにとって多分一番大事な人だった。

 空気みたいに自然にってよくいうけれど。
 空気が無かったら息が出来ない。息が出来なければ生きていけない。
 あの時のわたしは苦しくて息が出来なかった。
 譲くんのことを思い出すたびに、失ってしまったものの大きさが胸を圧迫するようで。
 文字通り息が出来なかった。
 何を見ても譲くんを思い出すのはきっといつだってそばにいてくれたから。
 譲くんの面影ばかり浮かぶのは、本当はもっと一緒にいたかったから。
 譲くんの穏やかな微笑み、優しい声、長い睫、強い眼差し。
 わたしの好きな物を魔法のように作ってくれる手はとても綺麗で。
 弓を番えて出来たたこがところどころ固いけれど、しなやかに動く。
 指が長くて、器用で、ものをとても丁寧に扱う手。
 譲くんがものを扱うときの仕草が好き。とても丁寧で。見ていると不思議に胸が熱くなる。

 わたしは再び譲くんに出会って、そんな暖かさがあることを知った。

 譲くんのてのひらは暖かくて優しくて、そのぬくもりは心に沁みて泣きたくなる。
 手に触れているだけなのに。まるでぬくもりに全て包み込まれているみたい。
 でも、譲くんの手がわたしの何処かに触れるたび、漣のように何かが広がっていく。
 くすぐったいような、気持ちいいようなその感覚に、わたしは敏感に反応する。
 どうしてだかわからない。
 ぴくり、と反応したわたしに譲くんは戸惑うような顔をして、触れてくれなくなった。
 譲くんと一緒にいるときだけ、わたしは本当に安心できる。
 でも、譲くんといると安心とは反対の気持ちも湧き上がってくるのも知っていた。
 だけど今は、安心させて、甘えさせて欲しくて。
 譲くんに触れて欲しいのに、それをわずらわしいと思ってしまうわたしも確かにいた。
 ごめんね。
 今はとても疲れているからとにかく譲くんのそばで休ませて、お願い。
 わがままだとわかっているけれど。心の中で譲くんに詫びた。


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