残心




  −8−


 わたしが言ったごめん、の一言に譲くんは激高した。
 深い色をした譲くんの瞳。低い声。
 豹変としか言いようのない態度。
 でもわたしの心は甘く痺れた。
 勢いに押されて、逃げようとしたわたしを譲くんの腕が捉えた。
 目をそらそうとして、顎を掴まれる。
 眼鏡越しに見えた譲くんの瞳は、いつかの譲くんと同じ色をしていた。
 そして彼と同じ言葉を口にする。

 『拷問』

 ああ、やっぱり譲くんは譲くんなんだね。
 こんな風に譲くんを追い詰めるわたしは最低だと思う。けれど。
 譲くんの面影と、譲くんが重なった。
 本当に貴方に再会できた、そう思うのは間違ってる。
 けれど、譲くんだって勝手だ。
 怒りを込めて、頬を撃った。……譲くんが我に返る。
 わたしは、『貴方に言いたかったこと』がやっと言えた。

「譲くんの馬鹿!
 ……そんなのちっとも嬉しくないよ。偉くないよ。
 わたしを好きなら、勝手に守って死ぬんじゃなくて。ずっとそばにいてよ。
 わたしをひとりにしないでよ!」

 ひとりにしないで。
 勝手にいなくならないで。
 好きだと気付いた時にもう、いないなんて酷いよ。
 どれだけ譲くんを失って哀しいか、譲くんにはわからないんだよ。
 ……譲くんにはわからない、そして『譲くん』には届かない、言葉。
 これはわたしにしかわからない、気持ち。
 本当に貴方に言ってやりたかった。死ぬなんて、馬鹿だって。
 守ってもらっても嬉しくないって。生きていて欲しかった。ずっと一緒にいたかった。
 譲くんは号泣したわたしを静かに、探るような瞳で見た。

「俺は、貴方が好きです」

 その瞳は、あの譲くんの瞳の色とは違ったけれど、
 もっとしっかりとわたしの気持ちを捉えた。
 だって、好きだという気持ちを溢れさせてくれていたから。
 その瞳は優しかった。
 優しいけれど、優しいだけじゃない。強いけれど、強いだけじゃない眼差し。
 ああ、これが本当の譲くんの貌なんだね。
 ギリギリに引き絞られた必死さはないけれど、真剣にわたしを好きだと言ってくれていた。
 強く求められていることが嬉しくて、心の底から暖かい何かが沸きあがってくる。
 今度は応えたいよ、貴方の気持ちに。
 わたしの精一杯で。

「うん……」
「好きだ」

 重ねられた言葉。
 強い眼差しに捕まって、わたしは一瞬息が出来なくなる。
 ああ、わたしはあなたが好きだよ。
 嬉しいのに、泣きたくなるのはどうしてなんだろう。
 譲くんから一瞬目をそらして、自分の気持ちを確かめた。
 今なら、ちゃんと言える。
 もう一度譲くんを真っ直ぐに見つめた。

「……うん、……今度はちゃんと『貴方』に言うよ。
 譲くんが、好きだよ」

 わたしは初めて、譲くんを見たと思う。
 まったく新しい気持ちで。
 視線が絡んで、気恥ずかしくて、すぐわたしはうつむいてしまったけれど、
 初めて気持ちが通じ合ったような。そんな気がした。
 譲くんは気が抜けたように、わたしの腕を離した。
 少し、痛かったけれど。その力強さが真剣さを伝えてくれた気がして嬉しかった。

「……触れても、いいですか」
「どうして?」

 今わたしの腕を掴んでいたのに?
 可笑しくなって聞き返せば。譲くんは深刻そうな顔をして言った。

「……だって、嫌がったじゃないですか。
 前少し触れてしまったとき、貴方は過剰に反応したから」

 困ったような顔で言われて、かえって恥ずかしくなった。
 だって、それは……。
 どう答えていいのかわからない。でも譲くんは答えを待っている。

「……嫌じゃないよ。
 ただ、変な感じがするから。ドキドキするっていうか」
「ドキドキ、ですか」

 それを神妙な顔で聞く譲くんに気恥ずかしくなる。
 だけど触れて欲しいだなんて、恥ずかしくて言えない。
 そんなことをぼうっと考えていたら、譲くんの手が伸びてきた。
 まだ、触れてもいないのに。
 わたしの口から甘い、吐息が漏れて。気恥ずかしくて顔を背けた。
 譲くんは、優しい手でわたしの頬に触れた。

「ずっと貴方に触れたかった」

 そう笑った譲くんの笑顔は、とても穏やかで。
 わたしは見とれてしまう。
 髪を撫でているだけなのに、髪だけじゃないところまでぬくもりが伝わる。
 わたしは今多分とても呆けた顔をしてるだろう。
 譲くんはわたしの髪を撫でながら、穏やかに言った。

「俺がいなくなって、貴方は悲しかったんですか」
「うん……もう一度、譲くんに会いたかった」
「俺はきっと貴方は俺が死んだら、他の誰かの奴のものになると思っていました」
「そんなことないよ」
「だから嬉しいです。変な話ですけど。
 俺を喪った悲しみを俺で埋めようとしてくれて。
 貴方が逆鱗を使ってでも、俺のところに来てくれて。俺を諦めないでいてくれて」
「逆鱗は……一度砕けてしまったから、もう二度と使えないよ」
「……そう、ですか」

 欠けた逆鱗をわたしは譲くんに見せた。
 譲くんはそれを神妙な顔で見つめた。
 譲くんの命と共に一度砕けた逆鱗。
 破片となって散り、もう一度ひとつになったそれは白く濁っている。
 もう、やり直しが出来ない。わたしは思い出してぞっとする。
 けれど、譲くんは思案顔から不意に笑顔になって言った。

「じゃあ、俺は貴方にとっての最後の俺、なんですね」

 わたしは思わず譲くんの顔を凝視する。

「俺にとって貴方はただひとりのひとですが。
 俺が貴方にとってただひとりの俺になってしまうんですね」
「……?」
「俺でいいんですか?」

 何を言い出すんだろう。わたしは譲くんの言っている意味がわからない。

「貴方と一緒にいる俺は、俺でいいんですか」
「今の、譲くんが、いいよ」
「……貴方がそう言ってくれるのなら。
 俺は明日、貴方と俺の未来のために戦います。
 俺が貴方を喪わない。貴方が俺を喪わない未来のために」

 迷いのないその笑顔が、胸を打つ。
 そんな風に笑う譲くんを見たことがなかった気がした。
 譲くんの瞳には力が満ちていて。
 わたしの心にも希望が宿った。
 その時初めてわたしの心はどれだけ絶望していたのか、理解した。
 諦めていたのは、わたしの方だったのかもしれない。
 明日を越えていこう、二人で。
 明日も明後日も、その先も二人で一緒にいたいから。


背景素材:空に咲く花

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