残心




  −2−


 長年貴方をずっと見つめてきた俺にしかきっとわからない、違和感のようなものを感じる。
 何が変わったとか、そんなことははっきりとは言えない、わからない。
 でも、何かが違っていて。その違和感は拭えなかった。
 でも本当に気持ちが通じ合っていたら、俺はもっと幸せになれるはずだ、と何故かそう思う。
 本当には恋を知らない俺の、それはただの憧れなのだろうか。
 信じられなかった。それを口にした貴方も、好きだといわれた俺自身も。
 俺がいくら見つめても、何を言っても貴方が反応を返してくれたことなど一度も無いのに。
 能天気に貴方の告白を信じて舞い上がれるほど俺は浮かれられない。
 今は、何か、ひとつでもいい。確証がほしかった。

 鎌倉の怪異が鎮められ、元の場所に戻るといった兄さんを先輩と二人で見送る。
 遠ざかっていくその背中を見つめながら、俺は貴方の口した言葉の意味をぼんやりと考えた。
 確かに、貴方の態度がおかしい、そう思うのに何故俺は貴方にそれを問うことが出来ないんだろう。
 何がおかしいのかその輪郭がハッキリ掴めないからか。
 貴方を追い込んで、捕まえられなければ、貴方が俺から去ってしまうのではと考えるのが恐ろしい。
 ……単純に俺には自信が無かった。むしろそれを貴方に問う権利すらないような気すらしてくる。
 貴方を手に入れた覚えは無いのに、失うことばかり考えてしまう。

 貴方は屋島で俺に庇うな、と言った。

 信じてもらえるなんて思っていないけど、覚えておいて。
 貴方はそう言って真っ直ぐに俺を見た。
 『屋島』その言葉を聞くと夕日が沈む海が瞼に浮かんで、……消えた。
 消えたけれど、その残像は繰り返し、繰り返し俺を苛む。
 俺の命か、先輩の命か。
 どちらかを選べ、と夜毎選択を突きつけられてきたのだから。
 毎回貴方を助けているわけじゃない。
 散っていく貴方をどこかうっとりと眺めている俺の夢を見ることもある。
 これで貴方は、もう誰のものにもならないと。安堵している俺の夢。
 自分が死ぬ夢よりも何倍も最悪な気持ちで飛び起きる。

 貴方には絶対に知られたくない、こんな俺は。

 ……貴方は何故、俺の屋島で何が起こるのか知っているんだろう。
 何故、これから屋島に向かうことになるのか知っているんだろう。
 まるで俺の夢を、実際に見てきたように語る。
 貴方が語ったことは俺の夢の一部分に過ぎないけれど。
 俺の願望すら見透かされたような気持ちになって冷や汗が滲んだ。
 夢の話は、したくない。
 最近は夢を見たり、見なかったりだ。
 あの鮮明過ぎる夢。
 貴方が死んでしまう夢、貴方の前で俺が死んでいく夢。
 夢という単語を口にするだけでじっとりと厭な汗をかく。
 金色の扇が揺れる海……あれは屋島だ。
 師匠である、那須与一が負傷した時、自分の見てきた夢を本当に理解した。
 扇の的当ては、俺の役目になるのだと。
 師匠に定められていた運命が俺に振られて。
 もしかしたら俺たちがこの地に招かれなければ師匠は負傷などしなかったのかもしれない。
 貴方は、もともと日本史が得意じゃなかった。それは興味が持てないからなのだと言っていた。
 戦を知らない貴方が、軍議で弁慶さんや、九郎さんや、景時さんを圧倒するような冴えた意見を出す。
 リズ先生は『神子だから』と言っていた。
 そんなものなのかと納得しそうになる自分に今までの貴方を知る自分が警告をする。
 人はそんな風にはいきなり変わったりはしない、と。
 貴方には何が見えているんだろう。
 貴方の首にかかる貴方が大事にしているペンダント。
 前は透き通った輝きだったはずのそれ。
 それが何故だろう。今は乳白色の陰りがある。
 細かいひび割れが入ったような、水晶の濁った部分のような鈍い輝き。
 それは何を意味するんだろう。
 それはいつからそんな鈍い光を放っているのだろう。
 どうもそれはあの日からだったような気がして、俺はそこでいつも思考を止めた。

 重なっていく悪い予感は俺をさらに追い詰めるだけだとわかっていたから。

 平家を追って屋島へ向かうことが決まった。貴方の言うとおり。
 俺が知る歴史とは違うけれど、源平の戦は確実に収束へむかっているようだった。
 貴方は決意を決めたような顔をしながら時々不安に揺れている。
 貴方の不安はなんだろう。……俺の悪夢の実現だろうか。
 夢はどんどん細部まで鮮明になっていく。
 眠れないせいでぼんやりとしている昼間より夜のそれは鮮明で。
 そちらのほうがまるで現実みたいだ。
 屋島の海に逃れる平家の船。揺れる金色の扇。
 そして黒い禍々しい光。貴方の流れる髪が俺の視界いっぱいに広がる。
 その一筋すらも守りたくて、渾身の力で手を伸ばし、抱きしめる。
 貫かれる痛み、……次第に冷えて感覚が失われていく体。降り積もる雪。
 貴方の手の、ぬくもり。落ちてきた涙。
 夢が鮮明になっていくにつれ、諦めのような気持ちで一杯になる。
 貴方が俺を好きだと言ってくれているのに。
 生きることを諦めないと貴方に確かに言ったのに。
 何故か虚無感に囚われる。
 夢に出てくる貴方はとても綺麗で。その涙は本物で。
 俺を真実思ってくれるような顔をしている。
 何かをごまかすような素振りや、思いつめた顔。
 何か他のことを考えながら俺の顔を眺めていたりはしない。
 貴方は俺を失ったらあんなふうに悲しんでくれるんだろうか。
 貴方を置いていきたくはない。
 けれどあんな風に悲しんでくれるのならと酔ってしまう自分も確かにいた。
 自分の命を投げ出して貴方を護るなんてある意味本望だ。
 俺の命より貴方の命のほうがどうしたって重い。
 自家中毒になってしまいそうな自分を叱咤する。
 そんな後ろ暗い考えにどうして囚われてしまうのだろう。
 貴方は確かに俺を好きだと言ってくれているのに。
 それに俺は希望を感じて、前を進んでいけばいいはずなのに。
 どうしてこんなに不安なんだろう。

 いやな予感ばかりどんどん的中していく。

 いつものように貴方は夜俺を訪ね、身体を預けに来た。
 貴方に肩を貸し、手を繋いで話しているうちに、貴方と那智の滝の話をした。
 旅の思い出話のつもりだったんだろう。
 貴方はひとつ、……ミスを犯した。
 言っても仕方のないことだから聞き流した。渾身の力で。
 ……実際にはショックで何も言えなかっただけなのかもしれない。
 貴方は那智の滝で俺を追いかけたと言った。
 けれど俺の記憶の中では、貴方は確かに兄さんと一緒に降りてきた。
 貴方は俺を直接追ったわけじゃない。
 それは、どういうことですか?
 繋いだ手を放して、貴方を追い詰めて問い質したい衝動を必死で抑える。
 ……悪い予感のピースがかちりかちりとひとつひとつはまっていく。眩暈がした。
 貴方は他に何か話をしていたけれど、適当に相槌を打つので精一杯で話の内容など覚えていない。
 部屋へ戻る貴方をいつものようになんとか見送って、俺は部屋へ入ってぴっちりと戸を閉めた。
 手が震えていた。ははは、声に出して笑ってみた。
 薄ら寒くなり俺は自分の肩を抱く。
 実感がわかないわけだ。そんな予感はあった。
 貴方は俺を通して他の誰かを見ているのだと。
 貴方の言葉は俺の心を打たなかった。あたりまえだろう。
 それは俺に向けられた言葉ではなかったのだから。
 首筋の宝玉が今晩もまた、冷えている。
 その冷たさに俺は冷静さを取り戻した。

 貴方は屋島で貴方を庇うなと言う。それが何を意味するのか。

 考えるな、考えてはいけない、そう思うのに。
 京邸で朔があげた悲鳴が蘇り俺はきつく眉根を寄せた。
 貴方の胸元で煌くあのペンダントが本物の白龍の逆鱗だと言うのなら、
 ……貴方はきっと未来から来たのだろう。
 俺が死んだ未来から。
 貴方は貴方を庇って散った『俺』を求めている。
 貴方は俺に抱かれながら、『俺』の面影を求めている。
 貴方は俺がその『俺』と違うことをわかっていながらそれでも確かめずにはいられない。
 まだ暖かいと安堵しているのだろう。まだ、……暖かいと。
 できれば気付きたくなかった。一生騙されていたかった。
 貴方と気持ちが通い合ったのだと夢を見ていたかった。
 知りたくはなかった。そんなことは。
 貴方が好きだと言った俺は、きっと俺のことではないのだと。


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