みせばや
−7−
いきなり抱きしめてしまった俺を貴方は怒らなかった。
拒まなかった。
色んな感覚が麻痺して、白い閃光が脳内で爆ぜて、まったく頭が回らない。
現実感のまるでないふわふわとした妙な感じ。
腕の中に暖かなぬくもりを感じる。これは本当のことなのか。
信じられない。
拒まれたら、嫌われたら、最初からいなかったことにされたら。
その恐れていた気持ちが徐々に喜びに変わっていく。
暖かな気持ちに塗り替えられていく。ゆっくり、ゆっくりと。
俺は腕の中にいた貴方を解放する。
夢なら消えないで、と願いながら。
でも、貴方は消えない。まっすぐに俺を見つめてくれている。
……貴方が好きです。俺は確かにそう口にしてしまっていた。
抱きしめてしまっていた。
いきなりそんな態度をとって、貴方に失礼だったと思い、いきなり我に返る。
でも繋いだ手は離したくない。
だから貴方と手を繋いだまま、向き合う。
「……いきなり、すみません」
謝った瞬間自分の仕出かした事に堪らなくなり耳まで赤くなったことを自覚する。
恥ずかしくて貴方の顔が見れない。無我夢中だったからとは言え、なんてことを。
思わずうつむいてしまった俺を貴方は笑って許してくれた。
「嬉しかったから、いいよ」
「本当ですか」
「……うん」
「すみません」
「謝ることないのに」
「でも、いきなり、……その、
抱きしめたりしてすみません」
「譲くん、真っ赤だよ」
指摘されてより赤くなるのを感じる。
眼鏡を外し、まだ涙が残る目元をごしごしと擦った。
そんなに擦ると腫れちゃうよと貴方は笑う。
「譲くんが泣くのを見たの久しぶりだね。
譲くんちっちゃいとき結構泣き虫だったのに」
「……そうでしたっけ」
そうだ。
小さな頃の俺は泣き虫だった。兄さんにさんざんからかわれて悔し泣きした。
兄さんや、貴方を追いかけているときよく転んで泣いた。
貴方と、兄さんが幼稚園に先に行ってしまい、寂しくて泣いてばかりだった。
泣いていた俺に振ってきた貴方のちいさな暖かな手のひら。
今でもありありと覚えていて、……俺の赤面は一向に収まる気配はない。
拗ねたふりをして、照れの極致をやり過ごそうとしたけれど、貴方にその手は通用しない。
貴方は俺の汗ばむ前髪をするするとすいて、おかしそうに笑った。
「照れてるの?」
「……照れないほうがおかしいですよ」
「譲くんがしたことなのに?」
ぐっとつまる。確かに正論だ。
何も返せる言葉はない。……でも伝えたいことはある。たくさん。
「……貴方に俺の気持ちを言わなければ、伝えなければ、と思って」
「うん」
「久々に貴方に会えて嬉しくて、でもどうしていいかわからなくて」
「……うん」
「なんかもう必死だったから……いきなり抱きしめたりしてすみません」
「いいのに」
「あの、……先輩?」
「なあに?」
「貴方を、好きでいて、いいんですか?」
「……うん」
「本当ですか」
どうして?ときょとんと見上げる先輩の表情が、可愛くて。
気持ちを許してもらえて、受け止めて貰えて、幸せで。
心底ほっとした俺の膝が突然がくんと力が抜けて、座り込む。
手を繋いだままだったから、貴方も俺にひっぱられて……
「きゃあっ」
「危ない」
尻餅をついた格好で座り込んだ俺の上に貴方が降ってくる。
貴方を受け止める。……抱きしめる。
……まるで貴方に押し倒されたような格好になり、思わず笑ってしまう。
おかしくておかしくて、こんな風に心の底から笑ったのは随分と久しぶりな気がする。
声を立てて笑うなんて。二人で笑い転げる。
貴方は笑い続ける俺を一瞬びっくりしたような顔で見つめ、笑顔で言った。
「譲くんってそういう風に笑うんだ」
「おかしいですか?」
「ううん、嬉しい」
貴方の顔が一瞬寂しそうに見えて、……俺は注意深く尋ねる。
「……何故ですか?」
「譲くんのそういう顔見るの初めてだから」
「そうかもしれませんね」
「そういう風に笑って欲しかったの。にこにことか、くすくすとかじゃなくて。
あはは!って楽しく笑って欲しかったの」
「俺、感情表現得意じゃないですし」
「……違うよ。
譲くんに幸せそうな顔で笑って欲しかったの」
ふいに見せる寂しそうな顔、貴方に何がそうさせているのだろう。
そして、貴方が俺のことをどう思っているのか。ちゃんと聞いていなかった。
「聞いてもいいですか」
「なに?」
「あの、先輩は……俺のことをどう思ってるんですか?」
ごくり、とつばをのみこむ。
貴方は寂しそうな横顔を見せて、立ち上がる。
遠い目。貴方のそんな顔を俺は初めて見る。
俺は立ち上がることも忘れてその横顔に見入り、貴方の言葉を待つ。
「ごめんね。よくわからないの」
「俺が嫌いですか」
「嫌いじゃないよ、好きなんだと思う」
「……」
「あんまりそういうの意識したことがなくて。
譲くんのことは小さい頃から好きだったし。でもそれは将臣くんとおんなじで」
「……おさななじみ、ですか」
「今は違うと思う。でもこういう風に好きとか思うの初めてだから。
まだよくわからない。どんな好き、とか愛とか、恋とか」
「俺はそういう対象じゃないってことですか?」
「違うよ。
みんな好き、で違いとか今までなかったから。あんまりよくわからなくて。
ただ」
「……ただ?」
貴方が龍神の神子の貌になった。
あの荒れ狂った海で見せた最後の、あの時の貌。
「譲くんが死んじゃうのは絶対にいやだった。
だからわたしは迷わず龍神を呼べたの。純粋にそう願ったから」
「俺に生きていて欲しい、と。皆が、じゃなくて」
「うん」
「貴方はそう願ってくれたんですか?」
「……」
「それだけを?」
「それしか思いつかなかったし」
それだけを願ってくれた。そう口にしてくれた貴方。
喜びが全身を駆け抜ける。
それで充分だと思うのに、俺はどうしても期待してしまう。
そんな言葉を口にされてしまったら。
拒まれなかったということが、俺に自信を与えているのか。
貴方に気持ちを伝えられればそれでいい、それだけを願っていたのに。
俺はなんて欲深なんだろう。
でも、今、貴方を追い詰めたら。
貴方は俺だけのものになってくれるかもしれない。
そんな予感に誰が抗えるというんだろう。
俺は立ち上がり、貴方を正面から見つめる。……貴方を逃がしたく、ない。
「でも……貴方がいない世界で俺は、生きてなんていけない」
「でも生きていて欲しかったの。生きて幸せになってほしかったの。
ここには来ちゃいけなかったのに、……来ちゃうんだもん」
貴方の声が震えた。
貴方が泣いている、と思ったらたまらなくなって貴方の肩を抱き寄せる。
華奢な肩。この肩に貴方はどれだけの命と、使命と、責任を乗せていたんだろう。
「でも俺は、貴方に会いたかった」
「うん」
「俺が貴方に会えたのは、貴方が会いたいと願ってくれたから。そうでしょう?」
「……うん」
「俺は貴方がいなかったら、幸せになれないですよ。絶対」
「そんなことない」
「いいえ。
だから俺は貴方がいればどんな場所でも幸せになれるんですよ。
隣に貴方がいてくれれば。どこでだって」
例えここから帰れなくても、貴方さえいれば。