別れの櫛
−14−
深苑が恐る恐る文を渡すと幸鷹は微笑した。
勝真は怪訝そうな顔で見つめる。
花梨に渡されたときから、けったいなと思っていたのだ。
少なくとも普通の文の結び方ではない。
まず結ばれていない、花や枝もついていない、文箱にすら入っていない。
そしてどう折ったらこんな形になるのやらさっぱり深苑にも勝真にもわからなかった。
ただ一言いわれたのは潰れないように注意してねとだけ。
きっと文箱に入ったものを持って帰ったら怪しまれちゃうからこれでいいよね。
そう言って花梨は笑ったのだった。
手のひらに乗るほどの、それは折鶴。
幸鷹の好きな薄萌黄の折鶴。
するする開く幸鷹を一同は驚きの眼差して見つめた。
ただ一言。
『千羽の祈りに代えて、貴方のもとへ』
いきなり歌を詠めと言われて読めなかった花梨が考えた末のこの文。
一心に折ってくれたのだろう。
暖かな心が伝わる。
「どういうことなんだ、これ」
「ああ、これは鶴です。わたしたちの故郷ではこの鶴を千羽折り、
平和や、快癒や、成功や、成就を願うのです」
「つまり?」
「これはただの一羽ですが、それに千羽分の祈りを込めて私に、その、贈ると……」
これが花梨の想い。
幸鷹の快癒を願い、無事を祈り、そして願いの成就……
無事に幸鷹の元への帰還を願い折ってくれた鶴。
嬉しさに我知らず頬を染める幸鷹に勝真は咳払いをし、幸鷹は我にかえる。
イサトはいいなあとしげしげと眺める。
「私も折り方は知っています。教えましょうか」
「なんかガキどもが喜びそうだもんな!いいな!!
んー、……やっぱやめた」
「何故です?」
「花梨が京に帰って来たらみんなで習おうぜ。きっとその方が相応しいや」
鶴なんてめでたいしな!とイサトが笑ったのでそうだなと勝真も同意した。
紫姫も、深苑もそれがいいと同意する。
幸鷹はみんなで花梨を囲んで折鶴を習う様を思い浮かべる。
悪い眺めではなかった。
暗い館の奥に花梨を押し込めておくなんて彼女には似合わない。
日のあたる場所で皆と笑っていて欲しい。
笑顔で自分の傍にいてくれたなら、それでいい。どんな形であっても。
私がその笑顔を見ていられるのなら。
快癒した幸鷹が、泉殿へ参内したのはそれから一月ほど経ってのことだった。
久々に袖を通す束帯に、石帯を締めると身の引き締まる想いがした。
久々に見る幸鷹の姿に、人々は道をあける。
今の幸鷹は失墜しつつある、元寵臣だ。
立場を見極めなければ、と息をつめてこちらを伺っている。
久々だなと幸鷹は苦笑いしつつ、院の御前へと向かう。
「久方ぶりだな、六条中納言」
「長くご無沙汰を致しまして、申し訳ございません」
「あれの厭味に体を壊したとか」
「……滅相も」
「あれは、そなたを恐れておるのだ。わが子ながら器の小さき男よ」
「……」
面白そうなものを見るような目で、幸鷹を院は見る。
幸鷹はじっと院の言葉を待つ。
「龍神の神子を与えさえすれば、永遠の忠誠を誓おうような男から
それを奪おうとするなど、愚かにも程がある」
「……」
「余なら与えるぞ、迷わずな」
「それは」
「……一時の己が心の平安よりも、我が世の安泰を余は選ぶ。痛快ではないか。
世に並ぶものなしとされた余にも手に入らぬものがあるということが。
平の娘も美しかった。しかしあれの心は強(こわ)く、ちっともなびこうとせぬ。
余に見えぬ物を見、余の理解しえぬ場所へ行こうとする。そこが良いのだ」
愉快そうに笑う院をじっと見つめる。
主など、別に誰でよいのだ。自分に花梨を与えるものならば。
幸鷹の瞳に宿る野心を、ほうと院は目を細め眺める。
あの清廉ばかりであったあの男が恋に身を焦がすとこう変わるのか。
だからこの世は面白い。
「良い目をするようになったな。検非違使別当」
「それは」
「院宣によってそなたを検非違使別当に任ず。文句はあるまい」
「ありがたくお受けいたします」
「精進せよ」
ぱちんと扇のなる音がして、幸鷹はその場を辞した。
周りに侍る貴族共は幸鷹の快癒を寿ぎはじめた。
適当にそれをかわし、泉殿を出るところで泉水とすれ違った。
「院へのとりなし、ありがとうございました」
「いいえ、幸鷹殿は何も悪くはありません」
「別当職を再度任ぜられました。ただ邁進したいと思います」
「……!そうですか」
泉水は目を伏せる。院と帝の軋轢をまた案じているのだろう。
自分はそれをもう案じたりはしない。
ただ京の平和を護るのみだ。検非違使別当として。
院の元へ伺候する泉水とそこで別れ、邸へ戻ろうとしたところで、
副官である検非違使佐の二人が待ち受けていた。
「お戻りを信じておりました」
「……きっとお戻りになられると信じて、裁可をすすめておりません」
それは怠慢というのではないか、と幸鷹は苦笑いして、
では仕事に戻ろうと二人を伴い自邸に戻った。