別れの櫛




  −13−


 勝真と共に馬に乗り鈴鹿峠を越え、伊勢に入った深苑を出迎えたのは、千歳だった。
 とにかく目通りを!と門兵と揉める二人を、頼忠が見かけ、
 ひとまず千歳に引き合わせたのだった。
 花梨とは会えないのかと千歳に詰め寄るが千歳は首を横に振る。
 斎宮の御所には女官も、神官も多数侍っている。
 直接会うのは親族とは言えど難しい。
 とりあえず花梨には知らせるからと千歳は一度席を立った。

 千歳が花梨に幸鷹のことを告げると花梨は苦笑して、
 胃潰瘍かなと呟いた。
 どうせ無理を重ねて胃を壊したのだろう。
 まったく幸鷹らしい。無茶ばかりして。
 花梨は少し考え、千歳に夜御殿へ夜に来て欲しい伝えて欲しいと告げた。
 夜が更け静まり返った御所の中を頼忠の手引きで一同は夜御殿へ通された。

「これはどういうことなのだ」

 それは花梨の夜伽を邪魔されてむっとしていた。
 ……角子結いの童形の少年が。

「ごめんなさい。この人たちは。わたしの大切な」
「何故吾と神子の神聖なこの……」
「本当にごめんなさい。今夜だけ?ね?」

 少年は花梨に頭を撫でられ、むっとしながらも黙った。

「こいつは何だ、花梨」
「こいつとは何だ。無礼な」
「ああ、勝真さん、この子はここの神様です」

 一同は拍子抜けする。
 花梨は本当に神の御座所に自分達を手引きしたのか。
 千歳も初めてその子供を見て驚く。
 これがここの神の姿、とは。

「あのう、最初は大人だったんですけど、最近どんどん小さくなってきて」
「この方が神子に甘えやすいのだ」
「ええと」

 少年は花梨の膝の上に座る。
 傍若無人なその振る舞いに一同は目を丸くするが、
 花梨は慣れているのか動じもしない。

「神子は幸鷹という男の妻になると言い、吾の妹にはなれぬと言った。
 だからこうして甘えても良いと言った。母として、姉として」
「……まあ気にしないで下さい。
 この子の結界の力は強く、決して音は漏れません。
 そしてその扉は明け方まで決して開くことはありません。
 ですから安心してお話しましょう?ね、久しぶりなんですから」

 のんきな花梨の姿にがっくりと勝真はうなだれ、腰を落とす。
 それに倣い、深苑、千歳も腰を下ろした。

「幸鷹さんが倒れた時、血を吐いたってききました」
「ああ、俺たちが見た時青い顔をしていた」
「……胃潰瘍ですね」
「イカイヨウ?」
「どうせ仕事とお酒と心労で胃を壊しちゃったんでしょう。
 ……まったく馬鹿なんだから」

 強く罵った花梨を、それはないのではと深苑と勝真は幸鷹に同情する。
 幸鷹はあんなに花梨を恋しがって……。
 けれどもう一度馬鹿なんだからと呟いた花梨の目の端には涙が光っていたので
 男二人は黙り込んだ。

「見えないところで無茶ばっかり。本当に馬鹿なんだから」
「幸鷹はばかなのか」
「頭がいいとかそういう馬鹿ではないの。
 けれど自分のやりたいこと、大切なもののためには自分のことを
 省みずに頑張りすぎてしまうの。ちっとも自分を大事にしない。
 だから一緒にいて、無理をさせすぎないように見張ってなくちゃって……」

 よくわからないという顔をする少年の頭を撫でながら、
 花梨はぽろぽろと涙を流した。
 少年は花梨が泣くのを見て、神子を泣かせる幸鷹はばかだと言ったので、
 花梨は涙が溢れて止まらない。

「姉上。
 ……幸鷹殿を励ます、文など頂けぬか?」

 深苑が恐る恐る口にする。
 あんまりまだうまく書けないけど頑張って書けば伝わるよね。
 花梨は涙を拭いながら、笑った。
 しかしここは寝所。筆も無ければ紙も無い。

「御子、お願いがあるの」
「筆と、紙を所望か」
「うん。お願い」

 少年が指をぱちんと鳴らすと文机が現れた。
 花梨は薄萌黄の料紙を願う。
 少年が再びぱちんと指を鳴らす。
 花梨は照れ笑いを浮かべながら、少し一人にしてくれるかなと言った。
 一同は花梨と少し距離をとって座り直す。
 少年は花梨から離れるのを嫌がったが、
 千歳の膝の上に載せてもらうと機嫌が直ったのか、千歳の膝の上ですやすやと眠り始めた。

 花梨が一心に筆を走らせている姿を見て、勝真は胸が熱くなる。
 あのように一途に想って貰えたら。そう願ったこともあったのだ。
 髪は伸び、少し顔立ちは大人びて、水干姿で走り回ることはない。
 姿は変わっても花梨の花梨らしさ、一途さ、まっすぐさは変わらない。
 虚勢を張り、本当には人を受け入れる強さを持たなかった勝真を、
 励まし続けてくれたあの日々は今でもありありと思い浮かぶ。
 もし自分が幸鷹の立場であったなら。
 きっと京など捨てて逃げただろう。二人で生きればなんとなると信じて。
 ……そこまで考えて、千歳の視線を感じ思考を止めた。
 今願うのは花梨の幸せ。その気持ちに嘘はない。
 自分に出切る事は精一杯してやりたいと思うのみだ。
 少年の眠気に誘われたか深苑がうつらうつらし始める。
 自分が起きているから寝てしまえ、と声をかけるとことんと深苑は眠りに落ちた。


背景画像:【10minitues+】

相変わらずの超展開。(苦笑)
でも龍神がいるんですから伊勢の神もいてもいいのかなあと。(まだ言うか)【090930】