別れの櫛
−10−
白虎が夢に現れたのはいつのことだったのだろう。
白虎は夢で確かに言った。神子は息災であると。
必ず戻ると伝えてくれといわれたから、伝えたぞ、と。
白虎、貴方はあの人に会ったのですかと尋ねたら、そうだと応えて消えた。
何故白虎はあの人に会えたのだろう。何か危険なことがあったのだろうか。
……伝言をわざわざ伝えにきてくれたのだろうとは思う。
しかし、花梨に会って話が出来たのだと思えば嫉妬してしまう。
申し訳ないとは思いつつも。
秋が終わり、どんどん夜が長くなる。
何も考えないようにと仕事に打ち込み、限界まで自分を追い詰め、
眠りが墜ちてくるのを心待ちにしながら日々が過ぎていく。
眠れない日は恐怖だった。
冷たい空気と共に孤独が襲ってくる。
こんな日は酒に頼ってもだめだということはわかりきっていた。
誰かを傍において話をしたとしても結局孤独に押しつぶされそうになる。
そんな日はただじっと身を硬くして夜をやり過ごすしかない。
青い夜。
白く日が差すのをじっと待つ。
ちっともたたない時間に絶望しながら、待ち続ける。
女房を抱いて、暖を取ろうかと考えたことは一度や二度ではない。
けれどその度花梨の面影がちらついてやめた。
……現代人としてのの記憶が戻った時点で拒否反応が出るようになったのだ。
もとよりそんなことは出来ないのはわかっていた。
元恋人がよりを戻そうと文を送ってくる。
昔の貴方もよかったけれど、憂い顔の貴方はもっと素敵だわ、と。
やつれ、憂う顔になんの魅力を感じるというのだろう。
うるさい文ばかりが増える。
つれないとばかり非難する文。
うっとおしいと返事もせず、読みもせず打ち捨てられた文の山。
薄様に書き付けられたただ風流なばかりの文。そんなものに心は動かされない。
自分が欲するのはただ一人からの、文。
幸鷹はため息をつく。
青い夜。
また今夜も明け方は遠い。
八葉たちは、何かと幸鷹を心配し、尋ねてきたり一緒に過ごしてくれたりしている。
その日はいい。
しかしその次の日、次の次の日あたりにやってくるのだ。
この青い夜、が。
仲間達の心遣いは嬉しい。
そうやって人の優しさに触れ暖かさを感じるのは幸せなのかもしれない。
しかし温もりとは麻薬なのだ。
与えられたら、もう与えられる前には戻れない。
また求めてしまう。それこそ際限なく。
いっそ除籍の憂き目を見ても伊勢へ駆け、貴方をさらいたい。
そう思ったことも一度や二度ではない。
この青い夜にすべてを捨てて走って行けたら。
そうは思う。けれど。
やはり捨て置けないのだ。人に受けた恩を。そして自分の理想を。
この京を楽園にしたい。
そう願い日々政にも任務にも励んできた。
あの人と共に京を駆け、京を救わんとしたあの日々。
あれは幸せな日々だった。
神子殿……花梨の為に。好きな女の為に、愛する京の為に駆けた日々。
葛藤も苦悩も痛みもあった。しかしなんと充実していたのだろう。
自分の夢と理想にまっすぐにいられた日々。
昔を良かったと振り返ることはしたくないとは思う。
けれど幸せだったのだ。彼女と共に駆けた日々は。
妻戸を上げて外へ出る。
今夜は随分冷える。そしてほの明るい空。
ふわりふわり。
雪が、舞い落ちる。音もなく。降り積もってゆく。
寒い。
貴方がいない夜は。
幾度こんな夜を越えれば、貴方を再び抱けるのだろう。
諦めない、そう誓った。けれど。
「寒」
白い息を吐きながら、幸鷹は両腕を抱え込むようにしてうずくまる。
初雪。
貴方と眺められないなんて思いもしなかった。
去年の雪はあんなに嬉しかったのに。
嬉しそうに雪の中を駆け回る貴方が瞼に浮かぶ。
冷えてしまった貴方を確かにこの腕に閉じ込めたこともあったのに。
それはほんの少し前のことだった筈なのに。