別れの櫛
−7−
これが彰紋の、泉水の……そして幸鷹の心を奪った神子の瞳か。
吸い込まれるような大きな、そして強い意思を秘めた瞳。
宮中でこんな瞳を持つ女はいない。
自分の足で外を自由に駆け、様々な出会いをし、自分の意思で考えるものの輝き。
与えられた豪奢に埋もれた自分とは違う、生き生きとした姿。
その翼を折り、自分の檻に閉じ込めてしまえたら。この小鳥はどんな声で鳴くのだろう。
そもそも自分に閉じ込めることが出来るような鳥なのか。龍に愛されし娘は。
自分や父院の入内の要請を撥ね付け、伊勢へ下るとは。また潔い。
その瞳の中に自分を映してみたい衝動にかられる。
この手で櫛を挿せば儀式は終わり、この人は伊勢へと下り神の妻か。
惜しい。
非難されてもこの腕を手繰り寄せ、閉じ込めてしまいたくなる。
あの幸鷹が、……六条中納言が、愛する娘。そして自分を拒んだ娘。
……神子の話をするときの彰紋や泉水の様子も気になってはいた。
しかしあの歳になっても妻ひとり娶らず、浮かれた話題ひとつない
あの常に正しい男が想いを懸けるただひとりの女、とは。
歪んだ興味にそそられる。
確かに寄り添うもうひとりの少女。
院が執着したあの平の娘も美しい。数年経てばそれこそ都一の美女となろう。
けれどあの幸鷹が。
そう思うと興味はこの娘ばかりに沸く。
もしこの花を手折れば、あの男はどんな顔をするのだろうか。
黄楊の櫛を手にとろうとしない帝に、彰紋はやきもきする。
儀式は進み、あとは『京の方に趣き給ふな』との勅語と共に別れの櫛を花梨の髪に挿すばかり。
しかし兄は花梨を見つめるばかりで櫛を手に取ろうとしない。
兄は決して悪い人間ではない。
……しかし、父から一番濃く受け継いだのは政治の才ではなく、色好みの癖。
兄がじっと花梨から目を離せずにいるのを見て嫌な予感に襲われた。
帝はすっと手を伸ばし花梨の顎を上へ向かせる。
あまりの行動に隣に座る泉水も顔色を変えた。
周囲にざわめきが広がる。
花梨ははっきりと口にした。
「わたしたちを伊勢へ行かせて下さい」
帝の顔色が変わる。
花梨はじっと帝を見つめた。それは貴方たちみんなが望んだことでしょう、と。
この程度で怯みはしない。今、傍に幸鷹はいない。
けれどあの日胸に確かに刻んだのだ。想いと約束と誇りを。
必ず幸鷹のもとへ戻り、二人で生きるのだから。
「どうか御言葉と櫛を賜りませ」
隣に侍る千歳が静かに。しかし有無を言わせぬ調子で述べた。
帝である自分にその言いようとは。
しかし上奏する千歳の瞳に畏れの色は浮かんでいない。
この娘はもうひとりの龍神の神子であったと聞く。
龍の寵を受ける神子は人の子である帝など恐れないとでも言うのか。
面白い。
帝は花梨から手を離し、黄楊の櫛を取る。
言葉と共に櫛を花梨の髪に挿し、儀式は終わり花梨は退出する。
彰紋と泉水が花梨に駆け寄る。
「花梨さん、どうか兄の無礼を赦してください」
「……もうしわけありません、神子」
「大丈夫だよ。……もう出発だね。暫く会えなくなるけど、元気でね」
「早いご帰京を願っており」
大きな瞳に涙をためた泉水の言葉を花梨はさえぎる。
「だめだよ泉水さん。
わたし達が帰ってくるのは大きな不幸があったとき。もしくは帝が変わるとき。
今、帰ってくるなって言われたんでしょ?そんなことを言ったらだめだよ」
「ですが」
「わたしたちなら大丈夫だよ。でもまたいつか会おうね」
「会いに行けたら良いのですが」
寂しげに彰紋が微笑む。
花梨は笑って
「お手紙……じゃなかった文、書くね」
「はい、ぼくも」
「わたくしはいつか斎王宮へ参りたいと思います。
彰紋様は無理ですが、わたくしなら参れますので」
「楽しみにしてるね」
「千歳殿もお体に気をつけて」
「ありがとう。兄様によろしく伝えて」
わかりました、と彰紋と泉水は花梨と千歳から離れた。
輿の準備が出来たのだ。
花梨が輿に乗る。
泉水の瞳から涙が溢れ、彰紋はその肩を抱いた。
斎宮の行列は粛々と組まれ、大内裏を後にする。
決して振り向かないようにと定められた行列は前へ前へと進んでゆく。
彰紋と泉水は見えなくなるまで見送った。無事の帰りを祈りながら。