別れの櫛
ー2−
「では、京を捨ててしまえばいい」
誰もが口をつぐむ中、事も無げに意見を述べたものがいた。
京のことなどどうでもいいと常日頃口にしてきた翡翠らしい言葉だった。
「別当殿は、京の栄華と神子殿、どちらが大切なのだね。
私なら迷わず、神子殿を連れて京を離れるよ。
何よりも大切な宝を奪われても平気なほど私は人間が出来ていないからね」
「幸鷹殿、それだけは……」
幸鷹は翡翠のほうを見ようともせずぐっと拳を握りこんだ。
京を離れ、花梨をつれて逃げる。
それは幸鷹も考えたことではあったのだ。
「それは、できません」
口を開いたのは放心していたはずの花梨だった。
何故?と眉をひそめて翡翠が無言で問う。
「幸鷹さんのお母様が心配だからです」
「花梨」
呻くように幸鷹が花梨を見やる。
花梨はわかっています、と幸鷹を見つめた。
「出家された義母様のことが心配だから京を離れるわけにはいかないの。
それをしたら、義祖母さまにも紫姫にも深苑くんにも迷惑がかかっちゃう。
こうやってきてくれた彰紋君や泉水さん。八葉の皆にも。
だから、それは出来ません」
「じゃあ白菊、君は帝か院か神の妻になるというんだね」
「帝や院のもとへ行くのは無理です。
他の男の人のお嫁さんになるなんて絶対にイヤ。
でも神の妻ってどういうことなの?わたしよくわからなくって」
神子殿はこの世界のことを良くご存知でなかったのですね、と泉水は説明を始めた。
「神の妻、つまり巫女ですね。
帝と院は貴方が御所にこられない場合、斎院か斎宮となられることをご所望です。
斎院とは上賀茂神社などの祭祀を司どる京におわす尊い方、
斎宮とは伊勢の神宮に下り祭祀を司る……共に帝の血筋より選らばれる女の方のことです。
卜定などとはもはや名ばかり。宣旨が下るのは時間の問題なんです」
「巫女ってことは」
「恋愛沙汰はご法度です」
「幸鷹さんには」
「お会い出来なくなりますね」
うつむいた花梨の表情は見えない。
「無理やりにでも幸鷹さんをさらって帰っちゃえば良かったかな」
ぽつり、と花梨がもらした。
「幸鷹さんの意見を聞かずに無理やり龍神様に送ってもらっちゃえばよかったかな」
「花梨、それは」
「だって幸鷹さんのふるさとはあっちだもん。一緒に帰ったってよかったんだよ。
何のために、こっちに残ったの?
全部捨ててでも幸鷹さんと一緒にいたかったからだよ。
幸鷹さんだってあっちに帰ればお父さんもお母さんもお姉さんもいるのに。
勉強してた物理学だって……」
「花梨」
「幸鷹さん。いやだよ」
「花梨!」
「離れるなんて、いやだ」
「……」
いやだと繰り返し嗚咽する花梨を幸鷹は抱きしめた。
一同は花梨が口に出した、幸鷹のふるさとはあちらの一言に動揺する。
「幸鷹殿、あなたは」
幸鷹は花梨を抱きしめたまま、答えない。
答えない幸鷹の代わりに、泰継が澱みなく答えた。
「幸鷹は、神子と同じ場所から来たものだ」
思わず幸鷹は泰継を睨む。
泰継は何もなかったかのように続けた。
「神子がこちらに来る八年ほど前に、幸鷹はこちらに飛ばされたのだ」
「わたしのせいでね」
いきなり聞こえた女性の声に一同はぎょっとなる。
簀の子縁を振り返ると苦虫を噛み潰したような顔をした勝真と、そして千歳が立っていた。
「幸鷹殿はわたしが黒龍に願ったから京に呼ばれたのよ。わたしのせいなの。
花梨大丈夫?
貴方が困っていると思って、兄様につれてきてもらったの」
「千歳」
泣き腫らした目を向けた花梨の目じりを拭い、心配ないと千歳は微笑んだ。
「伊勢に行きましょう。京を離れるの。わたしが共に行くわ」