飛雲
−4−
「お前、本当に何にもわかっちゃいねえんだな!」
路上の石を勢い良く蹴って、吐き捨てるようにイサトが言った。
わからないよ、だって来たばかりだもの。
言葉を飲み込んで花梨は必死で笑う。
「わからないから、教えて欲しいんだけど」
「そうやってへらへら笑ってるやつに京の人間の辛さなんてわかんねーよ」
末法思想。そんなの教科書の中にしかない言葉。
1999年ノストラダムスの予言で滅びるとか言った時そういう気分になった人たちが
いたらしいけど、別にそんなに世の中捨てたもんじゃないと思う。
……でないとやっていられないし、救いもない。
ため息をつくと幸せが逃げるのよ。いつも笑っていれば幸せは舞い込んでくる。
そういっていた母親を花梨は尊敬していた。
辛くないわけなんかない。いいことばっかりじゃない。
でも笑える強さをもっていよう。明るく接しよう。そういう考え方は素敵だと思ってきた。
「でも花梨さんのその態度は……その、少し不謹慎なのではありませんか?」
穏やかな泉水ですら困ったようにイサトの肩を持つ。
花梨には京の人間が、ただ不幸に酔っているようにしか見えなかった。
不幸に酔って何もしていないように。
確かに色々な不運が重なって、良くない事ばかり起きているような気がした。
笑ってばかりで不謹慎で、真面目さに欠ける。
お前みたいな能天気なやつにはわからない。
少し配慮が足らないのではないか。
そういう八葉たちも少し本当は失礼だと思う。
みんな不幸だと嘆いている。
けれど、何も関係のない自分が何故ここに飛ばされて、こんな風に頑張らなきゃいけないのか。
神子だから頑張るのが当たり前、帰りたいなら京を救え。お前が神子なわけがない。
……確かに自分が龍神の神子なんていわれることにはピンとこないからそれは賛同する。
でも頑張ることを強要されて、拉致同然につれてこられて。
こんな理不尽を強いられている自分のほうがよっぽど不幸だ。
目の前にいる二人にはそんな風には思えないらしいけれど。
でも自分は不幸だと思いたくないし、帰れるものなら帰りたい。……すぐにでも。
そのためにはこの八葉という見ず知らずの男性たちの力を借りなければならないのだ。
力がないから八葉の信用も得られないと深苑はため息交じりで揶揄するけれど、
会ったばかりの人間の信頼を得るなんて並大抵のことじゃない。
でもやらなければ前に進めないのなら、やるしかなかった。
怒られても、貶されても、呆れられても話を聞く。
怨霊との戦闘でどんな声をかければ彼らは奮起してくれるのか。
八葉は花梨に合わせてくれる気はないらしい。
だったら花梨が合わせていくしかない。
どの言葉で笑顔を見せてくれるのか、やる気を出してくれるのか。
どんな態度でいれば、嫌われずにすむのか。
懸命に彼らを観察し、地道に怪異を解決していく。それしか信頼を得る道はなかった。
龍神の神子は穢れに弱い。
だから物忌みの日は外に出ず、四条の館に留まって八葉の護りを得なければならない。
前日に誰を選ぶと紫姫に言われて、花梨は考えた末、幸鷹を選んだ。
今のところ幸鷹だけが、花梨に対してあからさまな不満を見せたことがないから。
紫姫の過度な期待も、深苑の失望も、八葉の不満も花梨には辛かった。
幸鷹は花梨に大きな期待もしていないようだったけれど、否定されることはなかった。
他の八葉といるときに間にたって庇ってくれることはない。
相手の意見も聞くべきだと考えているのだろうか。
けれど批判が大きくなりすぎると話の矛先をそらしてくれた。
あからさまな仲裁はしないけれど、向こう側に回ったりはしない。
幸鷹がいると正直ほっとするのだった。
話してくれることは京のことばかり。
わたしが知らないと困ることや、仕事について。
京を、仕事を愛しているのだろう。
いつも冷静な幸鷹さんの目は少し輝きを増して、冷静な口調に熱が篭って、
思わず聞き入ってしまう。
何のかかわりのない京を救うなんてイメージがわかないけれど、
幸鷹さんの愛する京を救う手伝いならしたいと少し思うようになった。
懸命な花梨の努力を幸鷹は傍らで眺めていることしか出来なかった。
武士に殿上人に僧兵。皆立場が違えば意見も違い、育ちも違えば価値観も違う。
笑顔でいようとする花梨の努力は、最初彼らの前ではすべて裏目に出た。
でも彼女は笑顔で、それを乗り切った。
その影でどれだけの努力があったのだろう、幸鷹は思う。
八葉たちは最初彼女をのんきだの、楽観的過ぎるだのと影で言い合っていた。
穢れに弱いくせに、力を上手くふるえない信頼に値しない神子と。
彼女はそれを知らないわけは無かっただろう。
でもそれを知らないふりをして、変わらぬ笑顔で八葉と京の怪異に向き合った。
ひとつひとつ地道に。
自分たちより年下の少女のその頑張りに他の八葉はきっと気がつかないだろう。
けれど自分は頭が下がる思いがする。
八葉たちには『帰りたい』とは口に出さないけれど、
幸鷹は花梨が飛ばされた初日に出会い、彼女の本音を知っていた。
帰してやりたい、と思う。
……シリンに操られた花梨を見て、イサトと彰紋は操られていると見抜けなかった。
あれは彼らの花梨への信頼そのままなのだろう。
花梨殿はそんなことを言う筈はないのに。何故信じようとしない。
誠意や努力などという目には見えないものよりも、
開放された朱雀や青龍の札など目に見えるものが花梨への評価に繋がっていく。
それが幸鷹には少し悲しい。
決して面白いとは思えない自分の話にも花梨は耳を傾けてくれた。
きちんと聞いてくれることが嬉しくて、少し青臭い自分の理想も語ってしまったような
そんな気がして今思えば少し照れくさい。
彼女は素直にわかることには相槌を打ち、わからないことには首をかしげた。
聞いてくれることが嬉しい。自分の意見を述べてくれるのも嬉しい。
……殿上人と話すとき、彼らは雅を解さないとされる実務的な幸鷹の話を、
半分以上流しながら聞いている気がする。
自分はこうしてちゃんと話がしたかったのだ。
そういうものに自分が餓えていたのだと、幸鷹は気付く。
そういうことが自分が好きだったことを思い出した時、つきりと頭が痛んだ。
花梨と話すのは楽しい。けれど、頭に痛みが時々走るのだった。
何かを咎めるかのように。