飛雲
−3−
何故龍神の神子にわたしが選ばれしまったんだろう。
今でもその答えは出ない。きっとこの先もその答えだけは出せない。
何故わたしと幸鷹さんが出会ってしまったんだろう。
現代でなく、時空を隔てたこの京で。八年の隔たりを経て。
何か意味があったんだと、思ってはいけないのだろうか。
幸鷹さんはあの時きっとわたしを導くために八年も先に招かれたと言ってくれた。
だったらわたしたちが出会うのは必然だったんだろうか。
……ううん。
幸鷹さんが八葉になるのが運命だったとしても。
他の誰かが選ばれてこの京へ来て幸鷹さんと出会う可能性だってあったはずなんだ。
運が良かったのかな。悪かったのかな。まだその答えも出ない。
せめて最後まできちんとやらないと。折角みんなで頑張ったんだから。
ごめんね。
みんなの為に頑張れなくて。
幸鷹さんが救いたいと願った京だからわたしも護りたいと思った。
ごめんね。
いい子でいられなくて。
みんなに沢山好意を貰うように振舞ってしまって。
ひとりだったから。ひとりぼっちで心細かったから。
みんなと仲良くなりたかった。ひとりじゃないって思いたくなかった。
みんなの失った心かけらを取り戻したい、そう思っただけだったの。
ごめんね。
みんなが好きだって言ってくれたのに。わたしはみんなの気持ちに応えられない。
ごめんね。たくさんごめんね。
みんなのことは大好き。その気持ちは本当。
でも幸鷹さんに心を奪われてしまったから。
その幸鷹さんはわたしに現代に帰れっていう。ひとりで。
これは罰だね。
そんなつもりはなかったけど。結果みんなの心を弄ぶ様なことになってしまった。
これは報い。
本当に欲しいものは、きっと手に入らない。
だから。初めて貴方に書く文にはきっとこう書かないといけない。
『さよなら』
と。
「まったくその短い髪はなんだ。童ですらそんなに短い髪のものなどおらぬものを」
花梨は自分の短い髪が性に会っていた。
くせっ毛でいてこしのない髪は伸ばすのにはむいていない上、
短い髪のほうが自由でよかった。
部活で短距離走にあけくれていたから、頻繁に洗う髪は短いほうが良かったのだ。
それが女なのに何故髪が短いと。みっともないと言われなければいけないのだろう。
確かに見る女性見る女性みんな髪が長い。
目の前にいる紫姫と呼ばれる少女も見事に伸ばした髪はつややかでとても綺麗だ。
でもみんな花梨の短い髪を非難したこともないし、似合うといわれてきた。
十二単というんだろうか、歴史に疎い花梨はその程度の知識しかないけれど、
そういう時代に飛ばされてしまったことは理解する。
でもそんなに自分を悪く言わなくてもいいのではないのか。
泣いてしまったら、きっと何かに負けてしまう。笑っていよう。笑え、笑え……笑え!
ここで泣いても誰も庇ってもらえないし。目の前にいる紫姫をまた泣かせたくない。
「兄様!」
ああ、案の定紫姫が泣きそうな顔で双子の兄の深苑を見ている。
紫姫の泣き顔は見たくない。そう花梨も深苑も思ってはいるのだが。
「……わたしがもといたところではこれは普通なんだけどな」
「だとしても。おかしいものはおかしいのだ」
わたしだって来たくて来た訳じゃないんだよ。
いたくてここにいるわけじゃない。自分の家よりずっと大きくて立派な邸だけれど。
でもあの小さな家に帰りたい。自分の好きなものに囲まれた小さなベッドで眠りたい。
無理やり連れてこられて。帰れないのに。
「そのひらひらした水干の下に穿いているものもなんだ。はしたない。せめて袴を穿け」
「これはスカートっていって。これだって別におかしくないんだよ。
この水干……だっけ?これだってこっちに飛ばされた時に着せられていたものだし。
これから京のまちを歩くんなら動きやすいほうがいいと思うけど」
「そのまま歩くつもりか。女が顔を晒して歩くなど、みっともない」
「……それくらいにされてはどうですか?」
「幸鷹さん!」
困ったような顔で仲裁に入ったのは、先ふれしてもらったものの、
一向に迎えにこない深苑にしびれをきらし女房に案内されてきた幸鷹だった。
今日も供につくことになっているからと律儀に時間通りに訪れたのだ。
「先ごろから伺っていましたが、そのように非難ばかりされるのは感心しませんね。
確かに花梨殿の姿はこちらの習慣とは違う。けれどこちらに来たばかりではありませんか」
「けれど」
「花梨殿は頑張っていらっしゃいますよ。
少しは認めて差し上げたら如何です?」
「壺装束も召さず、顔を晒して歩くなど。貴人のすることでは」
「……花梨殿は人探しをされているのですよ。見渡せるよう、歩きやすい格好をされるのは
理にはかなっておられると思いますよ」
「力がないから八葉が揃わぬのだ」
「八葉らしき人とは出会っています。焦ってはならないと思いますし。
……龍神の神子を名乗るのは不敬にあたると思いますよ。
事によっては私が誰何しなければならなくなります」
幸鷹相手に分が悪いと感じた深苑は花梨を一瞥すると、
出かける!と紫姫の制止を振り切って駆け出して行ってしまった。
ぺたりと座り込んだ花梨と紫姫に、幸鷹は苦笑いし、
「今日は散策は止めにしますか?」
「いいえ。お仕事忙しいのに幸鷹さんが来てくれたんですから、行きます」
「成果を焦っても、結果がでないこともあります。
……雨も降っていますし、今日はお休みしますか?」
「幸鷹さん、……お仕事が忙しいなら帰ってもいいですよ?」
そんなつもりで言ったのではないのですが。
幸鷹は苦笑いしながら花梨のそばに座る。
花梨はあわてて車座をとりに走り、幸鷹に勧めた。
こうして走ったりすることも、深苑にいわせればはしたないことなのだが、
幸鷹は花梨の心遣いに感謝して車座に座った。
「花梨殿が頑張りすぎているように見えたので、
少し休まれてもいいかなと思っただけです」
「頑張りすぎているように見えますか?」
「少し」
花梨がうつむいたので幸鷹には花梨の表情は見えない。
けれど紫姫の顔が曇ったので笑顔では無さそうだった。
住み慣れた故郷を遠く離れて、誰も知る人のない、
味方になってくれる人も少ない場所に来たのだ。
龍神の神子として呼ばれ、龍神の神子でないと断じられ。
……自分も彼女が龍神の神子を名乗るのはよしたほうがいいと否定する。
否定はするものの、ひたむきな彼女を助けたいと思う気持ちは本当だった。
八葉と呼ばれ、首に慣れない宝玉が埋まり。
それによって絆が生まれたと言われ、わけもわからず力を振るえるようになり、
戸惑うのは幸鷹も同じだった。
「そうですか。
幸鷹さんもお仕事忙しいのに。時間を割いて貰っちゃって悪いです」
「困った人を助けるのは当たり前のことですよ」
「約束したからってちゃんと来てくれて。幸鷹さんは律儀ですね」
「律儀、ですか」
「はい」
そう言って花梨は健気に笑ってみせる。
その笑顔にああやっぱり彼女は無理をしている、と幸鷹は思う。
だからといって自分には何も出来ないのだ。
供につき、護ることくらいしか。
上手に彼女の心に痞えた重石を取り除くような話術もない。
女性と話すのは幸鷹はどちらかといえば不得手だった。
話は普通には出来る。けれど喜ばせるような話題も話術も意趣も持ち合わせてはいない。
幸鷹は冷静に自分をそう判断していた。
花梨は笑う。懸命に。心配をかけないように。笑っていても辛くないわけなどないのに。
遠出をして、たくさん歩いて本当は疲れているのに、弱音を一切花梨は吐かなかった。
吐かなかったから気づかなかったのだ。
だから今日は休んでもいい、そう言ったのに。そう口に出した自分が気遣われている。
「花梨殿が頑張っていらっしゃるから。私も応えたいと思うのですよ」
「そうなんですか」
「そうです」
「神子様は頑張っていらっしゃいますもの。京をお救いになり、
きっとお帰りになることができますわ」
「そうかなぁ」
花梨はあいまいに笑う。
ああ。無理をしている。
「……紫姫。花梨殿と二人でお話があるのですが。その、これからの散策の予定など」
「まあ、わかりましたわ。
幸鷹殿、神子殿をよろしくお願い致しますね」
笑顔で紫姫はその場を辞した。
泣いてもいい、幸鷹は思う。けれど花梨はきっと泣かないのだろうここに自分がいる限り。
涙をぐっと堪えているのかもしれない。
でも無邪気に花梨が龍神の神子であると疑わない紫姫の態度は、
彼女に悪気はないにしても花梨をきっと傷つける。
「本当に帰れるのかな」
聞こえるか、聞こえないかくらいの小さく零した彼女の本音。
帰れると言うだけなら簡単だった。けれどそれはきっと彼女を傷つけるだろう。
何も言うことが出来ないのだったら。せめて聞こえないふりをしていよう。
自分は無力だな、と幸鷹は庭の紅葉を見つめながら心の中だけで呟いた。
ただ黙ったまま庭を眺めていた。
二人とも何も言わずにぼんやりとしていたが、不思議と気まずさはなかった。
どれだけそうしていたのだろう。昼ごろになり雨があがって晴れ間が見えた。
晴れたからそろそろ行きましょうか。
立ち上がり、そう声をかけた花梨はもういつもの笑顔に戻っていた。