飛雲
−1−
ふわり、ふわりと雪が舞い落ちる。
こんなに雪が嬉しいのは生まれて初めかもしれない。
自分が頑張った証。皆と紡いだ絆の証。
動き始めた京の時間は、長すぎた紅葉の後に、雪をもたらした。
四条の館の見事な紅葉も見ものだったけれど、雪に覆われた庭も美しかった。
美し過ぎて、少し眩しいくらいに。
暖房器具のない京の冬はとても寒い。火桶を囲い、普段は着ない袿も羽織る。
けれど身の引き締まるこの季節は花梨は嫌いではなかった。
読んでもらった手紙をもう一度見る。
まだすらすらとは読めないけれど、書いた相手の気持ちを思い指で辿るようにして読んだ。
その手紙は幸鷹からのもの。
きちんと折られ、読みやすい端正な字で書かれたそれは幸鷹の性格を現すようで。
見ているだけで胸が締め付けられるような気がした。
四方の札はもう取り終えて、あとは北の封印を残すのみ。確かに幸鷹の供は今は必要はなかった。
もうどれくらい会っていないのだろう。あの日、蚕の社へ行って以来だろうか。
檀紙からかすかに薫る幸鷹の侍従の薫り。自分のものより少し清々しい。
あの日抱きしめられた思い出が蘇る。
けれどその文面には、検非違使別当の職務が忙しく、暫くそちらには伺えませんとあった。
丁寧に書かれたその文はどこかよそよそしい感じがした。
期待しすぎなのだろうか。
期待しすぎては駄目だ。そうは思う。でもあの日確かに気持ちは通じたと感じてしまったから。
期待をしないではいられない。
花梨は考えないようにしていたことを再び考えてしまう。
現代に帰るのが一番いいんだ。きっとそうなんだ。
……幸鷹もそう言っていたのだから。
記憶が蘇って。一緒に帰るとか帰らないとかそういう問題ではなかった。
故郷を同じくする人。
それがこの世界にいたということがそれがどれだけ嬉しかったのか。
自分がどれだけ心細さを感じていたか、あの時に身にしみてわかったのに。
きっと幸鷹にはわからないのだろう。
そして幸鷹の気持ちも自分にはわからないのだ。
あの思慮深い人が。頭の良い人が。自分より背も高く歳も上で、遙か遠くを見ているような人。
理想を追い、自分の使命に誇りをもち、情熱的に職務をこなすあの人の。
考えていることなど自分にはわかる筈もなかったのに。
あの時は、確かに心に触れた気がした。握った手から何かが伝わって、通い合って。
あんなに強く抱きしめてくれたのに。優しく微笑んでくれたのに。
自分みたいな普通な年下の小娘なんて。
あの素敵な人が相手にしてくれるはずなんてなかったのかもしれない。
考えれば考えるほど、思考は後ろ向きになる。
止めよう、と袿を脱ぎ捨て外に出る。ワークブーツに履き替えると元気が出る気がした。
ふわり、ふわりと雪が落ちてくる。
「綺麗……。明後日はクリスマスなんだよね。
……幸鷹さんとお祝いしたかったな」
考えないようにしているのに。
つい幸鷹のことを考えてしまう。
現代の記憶が戻ったのなら一緒に祝ってくれてもいいのに。
ケーキやプレゼントは無理でもクリスマスソングを歌うことぐらい出来たはずなのに。
それはただの我侭だ。わかってはいる。
けれど一度期待してしまったら。自分の中にがっかりは残って降り積もる。
幸鷹さんは何も悪くない。そう思うのに寂しい気持ちは止まらない。
声を出して歌ってみた。
「ジングルベール、ジングルベール、すずが……」
自分でおかしくて笑ってしまいそうなほど心細げな声が出て、
かえって寂しさが増した気がして止めた。
帰ってしまったらもう会えない人なんていつかきっと忘れられる。
そう思い込もうとして、思い込めなくて。
恋愛なんて一生の内なんどかするんだ、最初のひとつで挫けたって次があるさ、
初恋は実らないっていうし……。
「ああ、初恋だったんだ」
不思議なもので、そう言葉で気持ちを当てはめてしまうと妙に納得してしまう。
幸鷹さん、貴方は今何をしているの?
この同じ京の下のどこかで、貴方は今きっと仕事に励んでいるのかな。
仕事に誇りを持っている人だから。
明後日はクリスマス。幸鷹さん覚えてる?
それとも京に残る覚悟をして忘れたふりをしてるの?
少しでも会えたらいいのに。でもそんなことをしたら余計寂しくなってしまうかな。
でもどうせ別れるのなら思い出くらい……欲しいよ。
初めて好きになった人とのクリスマス。
龍神様にお願いしたら、そんなご褒美ないのかな。
お役目が終わったら帰れるって皆言うけれど、本当に帰れるの?
もし帰れなかったらどうなるんだろう。
たった三ヶ月こっちにいるだけなのに、家が遠い。
お父さん、お母さんどうしてるかな。
……考えないようにしてたのに。家に帰りたいとか、帰れなかったらどうしようとか。
今考えるのはお役目のことだけ。北の封印を祓って、それから京の穢れを祓って、
新しい年を迎えるの、皆で。それで、それで、……その先は?
もし帰れなかったら。
幸鷹さんはどう思うんだろう?
わたしがもし帰らなかったら、幸鷹さんはわたしに振り向いてくれるのかな。
……一緒にいられるのかな。
それとも、そんなにわたしのこと好きじゃないのかもしれない。
こっちの世界の偉い人は何人も奥さんがいるって言うし。
これ以上考えたら駄目だ。頭をぶんぶんと振って幸鷹の事を追い出そうとする。
でも今はそれは無理だった。