花見月・おまけ
貴方と階段に腰掛け、桜を眺めていた。
穏やかな春の日。私はとても幸せだった。
ふいに貴方は疑問を口にする。
「どうしてこんなに会えなかったんですか?
夜遅くても会いたかったのに」
貴方の純粋なその問いに私は詰まった。
貴方にはそれを私に問う権利はある。
これだけの不義理をした私には詫びなければならない責任もある。
けれど正直に、理由を答えるべきか否か迷う。
「夜遅くになら、確かに訪ねることは出来ました。
それは、本当です」
「じゃあ、どうして」
貴方にとっては素朴な疑問でも、私にとってはとても答えにくい。
「……正直に言えば、きっと貴方は私に対する印象が変わると思いますが。
本当に申し上げてもかまいませんか?」
「……そうなんですか?」
「まあ、多分」
「幸鷹さんのことだからちゃんと理由はあると思うんです。
わかりたいなあ、と思っちゃ駄目ですか?」
……貴方にわかっては戴きたい。
けれど今この瞬間の幸せな空気が霧散してしまうような気がして、
私は答えることを一瞬躊躇う。
「……確かに夜遅くなら貴方を訪ねられた。
そして私なら夜遅くとも貴方の元へ通されたでしょう。
多分、貴方の元に朝までいても私を誰も非難はしないでしょう。
……貴方が目の前にいて、手を伸ばせば触れられるという状況で、
私がそのまま帰る自信がなかったのです。
それが、理由です」
「えっと、どういうことですか?」
やはり、ぼかした言いようでは伝わらないか。
苦笑いして、覚悟を決めた。
私のこんな一面を貴方はどう思うのだろう。
「貴方はこの京の貴族の恋愛を知らないでしょう?
顔も知らない相手が、文を交わし、よくわからないまま閨を共にする。
相性がよければ続くし、良くなければそのまま切れていく。
最初に強姦同然に始まることも多いのです。
……貴方が残ってくださった京はそういう場所でもあるのです。
私は、そうやって始まる恋愛しか知らないのです。
私と貴方はもう公認の仲、ということになっている。
だから私が貴方を夜訪れて、朝帰ったとしても誰からも何も言われない。
もし、貴方が叫び声を上げて助けを呼んでも、
相手が私だとすれば誰も来てはくれないこともありえるのです」
「そんな」
「悲しいけれど。そういうものなのです。
……私はもし、貴方の元へ夜訪れ、そういう気分になったとしたら、
自分を抑える自信がなかった。
誰も歯止めをかけてももらえない状況で、二人きりにされたら。
……貴方に何もせずにいられる自信がなかったのです」
「幸鷹さん!」
貴方は顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている。
折角いい雰囲気だったのに。
……どうしたものか。
「相手が幸鷹さんだとどうして誰も呼んでも来てくれないんですか?」
それを貴方は訪ねるのか。
……まったく答えにくいことばかり貴方は疑問をお持ちになる。
「それは。
……女房は私にみかたをしてくれるからです。
貴方と私が好きあっているというのを知っていて、
その、……根回しもすんでいますので」
「根回し」
「……言葉は悪いですが。
私は貴方が好きだ。
貴方をどうしても手に入れたかった。
だから、もしもそうなった時に邪魔をしないで欲しいと。
もし誰かが貴方に近づいてきた場合は、取り次がないで欲しいと。
時折心づけを差し上げていたのですよ」
「……幸鷹さん!?
それってワイロですか?」
「ワイロというよりは、プレゼントです!!
本当に、ささやかなものですよ!
貴方に仕える女房にも私は好感を持たれたかった。
人間関係は円滑にしておいたほうがいいでしょう?」
貴方はくちをぱくぱくさせて私をみている。
……これは私に染み付いたいわば悪習、だ。
女性の下へトラブルを起こすことなく通うには、
細やかな心遣いが必要なのだ。
特に傍近くに仕える女房に嫌われては会わせてももらえなくなることすらあるのだから。
私は貴方がどうしても欲しくて。出来うることはすべて手を打った。
私にはそういう老獪な部分もある。
貴方に会って恋を知ったばかりのいわば子供のような私と、
女を知らないわけでもない恋愛にすれた自分が同居していて。
かわるがわる顔を出すものだから、……まったく手に負えない、と思う。
貴方は考え込んでしまっている。
さて、どうしたものか。
……さっきまではとても幸せだったのにな。
日が暮れていく中、ここは無人だったことに気付く。
……日が落ちる前におかえししよう。
私は考え込む貴方に送ります、と声をかけた。