花見月
−8−
早く貴方に会いたい、と願うのになかなか時間が取れなくて、
結局貴方に会えたのは三月の終わり、……もう桜が咲いていた。
貴方と京で桜を見ることが出来るなど、あの頃は思っていなかった。
貴方は現代に帰る、いつか別れるべき人なのだと。
墨染か神泉苑の桜を見るかで迷ったのだけれど、
あまり遠出をしても、時間がもったいない。
久々に貴方と歩きたかったので、神泉苑へお連れすることにした。
久々に会った貴方は少し髪が伸びて、後ろで髪を束ねている。
ショートカットで少年のようだった貴方。
そんな貴方も好きだった。
けれど、髪が伸びた貴方はどこか大人びて。
私はどうしていいのかわからなくなる。
再会した時、貴方は、迷わずに私の腕の中に飛び込んで来てくれた。
嬉しくて、貴方を思わず抱きしめてしまった。
貴方の笑顔が眩しい。
胸が高鳴り、自分は上手く話せているだろうかと若干不安になる。
神泉苑は流石の人出で賑わっていた。
その賑わいの中で私は私自身を建て直してゆき、なんとか貴方と普通に会話をすることが出来た。
「髪が伸びましたね」
「九月から切っていないですから。
深苑君も伸ばしたほうがいい、と言うし」
「長いのも似合いますね。
でも、私はショートカットの貴方も好きですから。
どちらがいいとは言えないな」
「そう、ですか」
私が好き、と言ったことに貴方は照れているのか、
困ったように顔を背けた。
折角会えたのに、向こうを向いて欲しくなくて。
すっと耳にかけられた髪を指ですくえば、
貴方はくすぐったそうに笑ってさらに照れ、完全にそっぽを向いてしまった。
それすらも何だか嬉しいと感じてしまう自分に、驚き、呆れる。
本当に貴方に出会うまでこんな自分は知らなかったのだ。
失われた記憶のあるなしに関係なく、貴方は知らない私を連れてくる。
秋から貴方が冬を呼び。
その冬が終わって春が巡ってきた。
……貴方はこの春も呼んだのだ。
百鬼夜行があのまま京を飲み込んだら、どうなっていたのかわからない。
こうして桜を眺める京の民たちの笑顔は無かっただろう。
貴族も庶民もそれぞれに桜を楽しんでいる。
貴方はそれを守ってくださったのだ。そう思うと胸が熱くなる。
皆が諦めかけていた。
けれど貴方はまっすぐな瞳で、諦めないと言った。
……そして貴方自身がどうなるかもわからないのに、迷わずに龍神を召喚した。
あの横顔は私の心にくっきりと刻まれている。
京の空を埋め尽くした金色の龍の姿よりもずっと鮮明に。
空から帰ってきた貴方をもう二度と放さないと誓ったあの日の気持ちが蘇り、
一瞬立ち尽くした私を貴方は不思議そうな顔で見上げた。
「どうしたんですか?」
「思い出していたのです。
あの日雲間を割って天から還って来た貴方をもう離したくないと思ったことを」
「幸鷹さん」
「……とても大事なことだったのに。
京に平和がもどり、こうして貴方が隣にいてくださると忘れてしまう」
「……幸鷹さん」
久々に空の下で会えた貴方はとても元気で、いい笑顔だった。
そのぴかぴかの笑顔を暗い邸に閉じ込めてしまいたくはない、と再び思う。
その気持ちを込めて貴方に水干を贈った。
女性に贈るなら重ね一揃えが普通なところをあえてそうしたのは、
邸で寄り添って暮らすのもいいけれど、こうして二人で歩きたかったから。
どうすれば、それが出来るのか考えてみたかった。
難しくはある。けれど絶対に出来ないことではない。
「人が多いですね」
「でも皆楽しそう。
桜、綺麗ですもんね」
「こうして皆が楽しむことが出来るのは貴方のお陰ですよ」
「そんな!
皆が頑張ったから出来たことです。
私だけの力じゃないですよ」
「……まったくそういうところが貴方らしい。
でも」
「でも?」
「貴方とこうして桜を眺めることが出来るなんて思っていませんでした」
「……そうですね」
「貴方を帰して差し上げたかったと、今でも少し思っています」
「……そうですか?」
「貴方は帰りたがっていたから」
「最初は、そうですね。
家に帰りたかった。家族と会いたかったです。
でも、今はどちらも選べないくらい好きです」
「……本当に?そうですか?」
「はい。
幸鷹さんは……どうしたらよかったのか、迷ってるんですね」
「簡単に答えを出せる問題では、ありませんから。
もう少し考える時間が欲しかったとは思います」
「そうですか?
わたしは……答えは変わらなかったと思うんです。
同じくらい好きで、大事な場所だから。きっとどっちも選べない。
だから、幸鷹さんのいる場所にわたしはいたかったんです」
「多分、私も同じです。
貴方が私を現代に連れて帰りたいと強く願ったなら。
私は、現代に帰ったと思います。
今回は現代を選ばなかったけれど、同じです。
……私も神子殿のいる場所しか選べません。
こんな自分は知らなかった。全てを捨てても貴方と一緒にいたい、と願う自分を」
「……もう、神子じゃないです」
「えっ」
俯いた顔は赤く染まっていて。
私はその言葉の意味を知る。
そうだ、もう貴方は龍神の神子ではないのだから。
「花梨殿」
「殿、もないほうがいいです」
「そういうわけには」
「……幸鷹さん」
名前だけで、貴方を呼ぶ。
ただでさえ、動揺していて、どうしていいのかわからないのに。
でも、貴方が望むのなら叶えてあげたい。
「…………花梨」
「はい」
貴方の嬉しそうなほころぶような笑顔に見とれ、一瞬呼吸を忘れる。
私が貴方を名前で呼ぶ、ただそれだけのことで貴方は微笑んでくれる。
その笑顔は私だけに向けられたもの。
……必死で宥めてきた自分自身の浮き立つ心が抑えられなくなる。
貴方を独り占めしたい。強い願いに囚われる。
「ここは、人が多い。
……貴方に見せたい桜がもう一箇所あるのですが。
ご一緒していただけますか?」
貴方は一瞬きょとんとした顔で私を見たけれど、
いいですよ、としっかりと頷いてくれた。
牛車に貴方を乗せて向かったのは新しい私の邸。
神泉苑などとは比べようもないけれど、精一杯咲いている桜があった。
私はこの桜を貴方と毎年眺められたらいいと思っていた。
早くても来年からだろうか、と思っていたので今年一緒に眺めることが出来て嬉しい。
「ここが、幸鷹さんの新しい邸、ですか?」
まだ改修の終わっていない邸。
がらんとしたそこは静まり返って誰もいない。
「はい、まだ改修が終わっていないのでこちらに移ってはいないのですが。
……いつか貴方をここにお迎えしたいと思っていました。
確かに名所の桜よりはつつましやかではありますが、
私はこの桜を貴方といつまでも眺めていたいのです。
……花の美しさは、こちらでも、あちらでも変わりません。
そういう変わらぬものを見ながら、年を重ねて行けたら、そう思っていました。
来年からでなく、今年から見れるとは思っていませんでしたが。
来年も再来年も貴方と見たいと思っています」
「それってプロポーズ、ですか」
「えっ、ええ。
まあ……そうですね」
貴方にプロポーズですか、と問われ。
そういえばそうだな、と思いつき。
私は自分を取り繕うことが難しくなった。
今私は耳まで赤いかもしれない。
セルフコントロール。
私はそれが得意だったはずなのに、どうして今それが出来ないのだろう。
「幸鷹さん、顔、赤いですよ。
……照れてるんですか?」
貴方は得意そうに笑った。
貴方は確かに七歳私の年下だけれど。
そういって私を見上げる眼差しの中には確かに、恋の色があって。
それは少女、というよりも女性のそれだった。
かなわないな、と思ってしまった。
恋愛に歳の差は関係ないというけれど、確かにそうだと理解する。
「……からかわないで下さい」
そう言った私は心底困り果てていたのだろう。
貴方はくすくすと笑う。
「…………花梨」
「はい、幸鷹さん。
幸鷹さんも照れることがあるんですね」
「いつも冷静だと思っていたのですか?」
「あんまりイメージできないかも」
「……失望させてしまいましたか?」
「そんなことは、ないです。
そういう幸鷹さんも可愛いと思うし」
可愛い、か。
わかっていても苦笑いした。
貴方はそんな私をきょとんとした顔で見つめた。
この際だ。全て吐き出してしまおう。
今ここにいるのは、貴方と私だけ。
他に誰もいないのだから。
「私は貴方が思っているほど大人ではないかもしれませんよ?」
「そうなんですか?」
「私は貴方を失望させてしまうかもしれない。
決断が早すぎたと。
でも、私は貴方と共にいたかった。
これからもずっと一緒にいたい、……貴方を手放せない。
こんな私でいいのかと、申し訳なく思います。ですが……」
「幸鷹さん。
幸鷹さんは、さっき龍神様のところから帰ってきたわたしを
もう離したくないと思ったって言ってましたよね?
わたしも、同じです。
幸鷹さんが好きで、守りたかったから龍神様をよべたんです。
京の皆も守りたいとは思っていたけど、
あの時は幸鷹さんのことしか浮かびませんでした。
空から降りてきたわたしを幸鷹さんが抱きしめてくれた時、
わたしはそのまま離れたくない。
離さないで欲しい、と……」
貴方が全ていい終わるのを待てずにかき抱く。
腕の中で、貴方は私に身を預けてくれた。
貴方も私と同じ気持ちだと、言ってくださったことそれが嬉しくて。
「……私は翡翠のように、貴方に自由をあげられないかもしれない」
「!!
聞いていたんですか」
「翡翠は、私に聞かせようとあんな言葉を言ったのです。
……貴方は邸の中から自由に出るこも自由に人と会うことも難しい人生を
選ぶことになるのかもしれない。
私は出来る限りのことはしたいとは思っています。
でも、貴方は本当に、それでいいのですか?
私の……申し出を、気持ちを受け取ってくださるのですか?」
「はい。
幸鷹さんと一緒なら、わたしはそれでいいんです」
「……本当に?」
貴方は言葉の代わりに私の背に手を伸ばし、
精一杯の力で抱きついてくれた。
離れないとでも、言うように。
「……ありがとうございます」
私の声は多分震えていただろう。
みっともないな、そう思っても。
貴方が私の気持ちに、願いに応えてくださったから、いい。
それを嬉しいと伝えることが出来れば、……それでいいのだ。
貴方を抱きしめ、幸福に満たされながら、
小さな疑問が浮かんだ。
「……そういえば。
貴方はあの時翡翠に何と答えたのですか。
私は、何と答えたのか知らないのです」
「伊予に行く時は、幸鷹さんも一緒ですよ。
そう答えました」
「そうですか。
……貴方は伊予に行ってみたいですか?」
貴方を腕の中から開放し、私は貴方に問いかける。
貴方は笑って答えてくれた。
「……幸鷹さんと、一緒なら」