花見月
−4−
今日は少し時間が出来たので、新居となる邸を見に来ていた。
あちこち補修し、工事はもう少しかかると棟梁は言う。
そんなに大きくはないけれど、趣味のいいすっきりとした作りで、
私は気に入っている。
貴方にも気に入っていただけるといいが、と思う。
車止めから上がり、邸の中を歩く。
補修中の部分には職人がいて、私に気付くと頭を下げた。
こうして帰ったとき、貴方が出迎えてくれたら嬉しい、と思う。
この世界にそういう習慣はないのだけれど。
新婚なら新婚らしくそういうのがあっても良いのかな、
そんなことをおもいついた自分自身に苦笑いする。
かつて生まれた世界で、私を生んでくれた両親はとても仲が良くて、
出かけるときにキスをかわしていたような気がする。
そういう習慣もいいな、などと考えながら対の屋を回った。
ここが貴方の世界の全てになってしまうかもしれないのなら。
貴方にとって居心地のいいものにして差し上げたい。
それがせめて私に出来ることではないのだろうか。
外に出ることが難しくても、四季を感じることが出来るように。
長袴でなくてもいい。
短い袴で動き回ってくれても良い。
こちらの習慣に拘らずに、全ては貴方が暮らしやすいように変えていけたら。
……貴方の習慣に私だけは違和感は感じないであろうから。
貴方は私が、全てをかけて守っていく。
そう思いながら、何故私は貴方に会うことを躊躇うのだろう。
ここにいてほしいと心底願っているのに。
すぐに迎え入れたい、と思うのに。
貴方を抱きしめて眠れたらと夜更けになれば思うのに。
まだ、早いような気がする。
そうやってこの腕の中に閉じ込めてしまうのは。
でも、本当は閉じ込めてしまいたい。
この世界の慣習にのっとったふりをして。
かつての恋敵には触れることはおろか、声すらも届かないような邸の奥へ。
私の妻として。
……貴方にそんなことを強いたくはない気持ちと、
貴方を閉じ込めて自分だけのものにしたいという考えの狭間で揺れる。
貴方はこんな私をどう思うのだろうか。
聞いてみたい様な気もするし、こんな私は晒したくはないような気もする。
恋に疎い、仕事の鬼と呼ばれる私で貴方はいいのだろうか。
貴方に伝えたい言葉も気持ちもあれど、うまく伝えることの出来ない私で本当に?
貴方を愛していると気付けば気付くほど、遠ざかりたくなるのはどうしてだろう。
見たことのない自分に驚き、呆れ、……失望する。
こんな風に執着する私は知らなかった。
まるで十代の少年のように、ただ貴方を独占したいと願う子供。
自分の気持ちをうまく制御できず、貴方を振り回してしまうことが怖くて。
貴方に気持ちをぶつけてしまいたくなくて会えずにいる。
自分は達観しているのだと。
そういう迷いからは遠いところにいるのだと思っていた。
恋愛に興味が持てないのは、女性に対する興味が薄いからだと。
それが今は、どうなのだ。
気がつけば貴方のことを考え、仕事をおろそかにするような自分。
そんな自分を知らなかった。
私は恋にうつつを抜かす同僚を、蔑みながら、どこかで羨んでいたのかもしれない。
溺れるほどに愛せる相手に巡りあいたいと。
出逢えたのならそれは幸せなのではないか、と。
私は幸運にもその相手に出会えたのだ。
そう気付いているのに。
何故素直に向き合えないのだろう。
貴方と出会えてまだ半年もたたない。
……二人で過ごした時間はさらに短い。
それなのに貴方に決断を急がせてしまったことが負い目になっているのだろうか。
せめて、もう少し確かめ合ってからなら自信が持てただろうか。
時間なんて関係ないと言えたらどんなにいいだろう。
考え込んでも仕方がない。
貴方に会って、気持ちを確かめあえばそれでいいのだとわかっているのに。
気持ちの波の狭間で強く揺れ動く自分をうまく制御できないことに、
思っている以上に苛立つ自分に気付く。
恋愛はロジックじゃない。
……久々に呟く『現代語』に寂しさがつのる。
貴方はわかってくれるのに。
貴方にはこの言葉の意味がわかるのに。
今、貴方はいない。
……………ああ、貴方に会いたい。
そう思って、久々に四条の館へ立ち寄ることにした。
気が急いで、先導も断り、貴方の部屋へ回れば笑い声が聞こえた。
貴方と、そしてこの声を忘れられようはずも無い。
……伊予へ帰った筈の翡翠の声が。
貴方への部屋へ向かう足がぴたりと止まった。
貴方に会いたいと思うのに。
気にせずに行けばいいと思うのに。止まってしまった足は動かない。
「今日は楽しかったよ、白菊」
「こちらこそ、ありがとうございました」
立ち聞きなど、と思うのに。
「あの男が訪ねてこないからといってふさぎ込んではいけないよ。
私はしばらく京にいるつもりだからね」
「そうなんですか?」
「君にはあの男だけではない、私たちもいるのだから。
それを忘れてもらっては寂しいよ」
「……あんまり甘えてしまってはいけない、と思うんですけどね」
「何、君に甘えてもらえるのなら、皆望外の喜びだと思うのだが、ね」
「また、そんなことを言う。
……?
翡翠さん、どうかしたんです?」
「いいや。
……ふむ。
白菊、もしあの男と駄目になったなら。
伊予においで、いつだって歓迎するよ?」
「ええっ!?」
「伊予に来れば、君は自由だ。
意味は、わかるね。
邸に閉じこもることも無い。君が乗りたいというのなら船にだって乗せてあげよう。
君の行きたいところへ何処へでも行こう。
君は自分の足で歩き、自分で考える日々をおくることが出来るよ」
息が詰まった。
……私が貴方に与えることの出来ない自由を、
翡翠なら与えることが出来る。
確かに、伊予でなら、それは可能だろう。
貴方はどう答えるのだろう。
貴方は少し考えているようだった。
躊躇っているのだろうか、迷っているのだろうか。
自分の中に燻る罪悪感と負い目と。
貴方を独占したいのに出来ないでいることへの苛立ちに、私の心は燻り始め。
貴方ががどう答えるのかを聞かずに、私はその場で踵を返した。