言葉にならない
−6−
となりの家から確かにチョコレートの香りがした。
俺の為のものだ、と思うと嬉しかった。
どんなものでも貴方がくれるものなら嬉しい。
そう思っていたのに。
貴方は明らかに今日買って来たチョコレートを俺に渡した。
買って来たチョコレートでも良かった。
貴方の気持ちが込められたものなら。
そこで俺が怒りを見せなければ、
俺はいつものとおり俺のケーキを見つめて喜ぶ貴方が見れたのかもしれない。
俺が作るケーキは全て貴方の為。
貴方が喜ぶ一瞬の為のもの。
俺は、それすら見ることも出来ず、貴方に貰ったチョコレートを手に、
貴方の家を後にした。
貴方は今年も俺に習慣でチョコレートをくれたんだな。
期待なんてして。本当に俺は馬鹿みたいだ。
俺が勝手に貴方を好きになって。勝手に空回りして。
……本当に俺は馬鹿だな。
貴方はこんな俺を好きだと言ってくれたのに。
俺が一瞬我慢できれば、一緒に今お茶を楽しく飲んでいたかもしれないのに。
でも、俺はその『一瞬』を我慢してどうするんだろう。
この先もそんな『一瞬』を我慢して、貴方の傍にいるんだろうか。
何も無かったような顔をし続けて。
……それじゃあ片想いと、何も変わらないじゃないか。
自分の気持ちを押し付けるだけ押し付けて。
貴方を傷つけるようなことばかり言って。そんな自分が嫌になる。
でも俺が俺らしく、貴方が貴方らしくお互いの傍にいたいと願うなら。
完全に理解できる日なんてきっと来ないけれど。
ちゃんとわかってもらうしかなかったんだ。
俺が貴方にどんな気持ちで、毎年チョコレートを贈り続けたのか。
貴方からどんな気持ちのチョコレートが欲しかったのか。
俺に俺の言い分があるように、貴方にも貴方の言い分はあるだろう。
俺は、それすらも聞かずにいた。
まだ、諦めたくないのなら、ちゃんと、……話さないと。
疲れきって沈み込んだソファーから渾身の力で立ち上がる。
このチョコレートだって、俺のために選んでくれたものなのに。
折角だから、大事に食べなきゃな。
そっと撫でれば、玄関から貴方の声がした。
「譲くん、ごめんね」
貴方は目にいっぱいの涙を溜めて、俺をじっと見つめた。
貴方はどうしてそんなに素直に謝れるんだろう。
「俺こそ、すみませんでした」
「ずっと気付かなくてごめんね」
「!」
「毎年、譲くんがどんな気持ちでケーキを焼いてくれてたのか。
知らなかったから。ごめんね」
「……」
「……ごめん」
ごめん、と呟くあなたに手を伸ばせば。
貴方は俺の腕の中に納まってくれる。
本当に欲しかったのは、このぬくもりだから。
「……もう、いいんです。謝らないで、先輩。
貴方はこうやって今俺の隣にいてくれてる。
貴方が俺に振り向いてくれたから、もう、いいんですよ。
貴方を好きだ、と想う気持ちを込めて焼いたケーキ。
先輩は毎年受け取ってくれたじゃないですか。
……だから、いいんですよ」
「そうかな」
「貴方にケーキを渡したのは、俺の勝手。
俺が勝手に貴方を好きでいただけ。
……今も、こうして貴方に勝手な期待をして。
むしろ悪いのは我侭な俺ですよ。すみません、先輩」
本当に我侭なのは俺だ。
貴方が振り向いてくれて、一緒にいてくれて、
それ以上何を望むのか、そう思うのに。
願いは果てがなくて。……そんな強欲な俺が、嫌になる。
「ワガママ、なのかな」
「そう思いますよ。
最近俺って我侭だったんだなって思います。すごく」
「でも、ずっと我慢してきたんだよね。譲くんは」
「今は、我慢出来てないから、……色々うまくいかないのかもしれません」
項垂れた俺を、貴方はくすり、と笑った。
「我慢してないんだ」
「……だって、こうやって貴方を傷つけるようなことばかり言って。
貴方に気持ちを押し付けて。我慢なんて出来てないですよ、ちっとも」
「……。
でも、それがほんとうの譲くんの気持ち、なんだよね」
「そうですね」
「なら、いいんじゃないかな?」
「えっ」
「……だってわたしたち『付き合って』るんでしょ?
そういうのって当たり前なんじゃないかなって今、思ったの」
貴方がにっこりと微笑んでくれたので。
俺は全身の力が抜けたようになった。
俺の方が貴方を傷つけることをたくさん言ったのに。
貴方はどうしてそうやって笑ってくれるんだろう。
でも貴方がこうして『受け止めて』くれたことが嬉しかった。
何年も言葉に出来なかった思いの欠片まで貴方は受け止めてくれたのだから。
「……先輩がよければ。
バレンタイン、やり直し、しませんか?」
「いいの?」
「今の貴方なら、俺にこのチョコレートどうやって渡してくれますか?」
「ここで?」
「……どこがいいんですか?
先輩の思うとおりにしてください」
貴方は少し考えて、じゃ、わたしの部屋で、と照れたように笑った。
少し気まずさを抱えたまま、再度春日家にお邪魔する。
台所を見れば、おばさんが綺麗にしてくれたようだった。
感謝しつつ、リクエストのロイヤルミルクティーを入れる。
そっと箱の蓋をあけ、ケーキを四等分し、
ふたり分のミルクティーと、ケーキをトレイに乗せ、
貴方が待つ部屋へ上がった。
ノックをしたら貴方はやや緊張した顔でドアを開けてくれた。
「どうぞ」
「……おじゃまします」
緊張する貴方につられて、俺まで緊張してきた。
ローテーブルにミルクティーとケーキを置いたら、
いつものように貴方と向かい合わせに座る。
「……こっちに、隣に座って」
「はい」
「手、つないでいい?」
「……どうぞ」
「ん……」
するり、と貴方は俺の手を握った。
俺の肩に貴方はもたれ、そして言った。
「バレンタインの告白ってどうするの?」
「……!!?」
「譲くんは、昨日告白されてたよね」
「……見てたんですか?」
「見えたの」
「…………そうですか」
俺はにわかに胃が痛くなる。
「譲くんは、毎年ああやって告白とかされたり、
チョコレート貰ったりしてたの?」
「…………まあ、それなりに」
「……そうなんだ。
今年も?」
「今年は全部断りました!義理チョコも一個も受け取ってません!!
俺が、」
「俺が?」
「俺が欲しいのは貴方からのもの、だけですから」
「本当に?」
「本当です」
「ふーん」
「……気になりますか」
「…………ちょっと」
そっぽを向いた貴方の横顔は俺は見つめた。
……気にしてくれるのか。
俺は貴方の隣に当たり前のように存在してきた兄さんや、周りにいる男の影に
ずっと怯えていた。恐れていた。……嫉妬してきた。
貴方が妬いてくれる日がくるなんて思っていなかった。
そんなのは変だとは思うけれど、何だか妙な実感が湧いて嬉しい。
「でも貴方はずっとそんなこと気にしてなかったじゃないですか」
「譲くんはだってそういう話しなかったでしょ?
将臣くんみたいに『いいだろ〜』って見せに来ないし」
「貴方に見せてどうするんですか」
「そうなんだけどね〜」
面白くなさそうな貴方の顔に思わず吹き出してしまう。
「今年からは別なの。
……わかってて聞いてるでしょ」
「まあ、そうですね」
貴方は少し照れてうつむいていたけれど、言ってくれた。
「譲くん、はい。……受け取ってください」
「ありがとう、ございます」
手渡されたチョコレートの重み。欲しかった言葉。
俺は情けないけれど、涙を堪えていた。
「これからも一緒にいようね?」
「……はい、ずっと一緒にいましょう。
……あの、その、貴方が、良ければ、ですけど」
「何でこういう時にそういうこと言うの?」
「だって……俺は貴方とずっと一緒にいたいですけど、
貴方が俺に愛想つかすかもしれないじゃないですか」
「譲くんのばか」
貴方は俺の手からチョコレート奪って、頭をぽかり、と殴った。
「わたしが好きなのは譲くんなの。
譲くんだから一緒にいたいんだよ」
「俺も先輩が、好きです」
「だから……、
来年も誰のチョコレートも受け取ったらイヤだからね」
「来年も、その先も貴方以外のチョコレートは受け取りません」
じゃ、指きり。
貴方が差し出した指に、俺の指を絡める。
「……あ、」
間抜けな声を出した俺を貴方は怪訝そうな顔で見た。
「あの、母さんは除外でいいですか?」
「おばさん?」
貴方は少し考え込んだ後、仕方ないなぁ、と笑ってくれた。