言葉にならない




  −4−


 あの日、本当は立ち聞きするつもりなんてなかった。
 ただ、貴方達の声が大きくて。廊下まで聞こえていただけだ。
 貴方の声と、俺の名前が聞こえて。
 俺は気まずくて貴方の教室に入ることが出来なかった。
 結果、立ち聞きしてしまったのは悪かったとは思う。
 貴方は売り言葉に買い言葉で、俺へのバレンタインのチョコレートを
 手作りする、と言っていた。
 俺は別に、手作りでも手作りでなくてもどちらでも良かった。
 ただこの時意識してしまったのは仕方が無いことだと思う。

 今年のチョコレートは義理ではない、ということ。

 兄さんと俺への義理チョコ。
 イベントが大好きな貴方は欠かさず毎年俺にチョコレートをくれた。
 兄さんと同じぶんだけ。
 俺と兄さんはひとつ違いだけれど。
 貴方から貰ったチョコレートの数は同じ。
 貴方がバレンタインを知った歳からずっと毎年受け取り続けてきた。
 手作りだった年も、そうでなかった年もある。
 あまり料理が得意ではない貴方の為に、
 手作りのケーキを渡すようになったのはいつだっただろうか。
 ホワイトデーに兄さんと同じタイミングで、クッキーや、
 キャンディを返すのが嫌で。
 バレンタインは外国では別に男女関係なく渡していると知って。
 俺は貴方の為に毎年チョコレートを贈り続けた。
 貴方の為だけに作ったものだけれど。
 貴方が食べる分だけ作ることも気恥ずかしくて。
 毎年家族の分も一緒に作った。
 貴方が喜んでくれたから。毎年工夫して色んなものを贈った。
 貴方の喜ぶ顔が見たくて。
 俺の貴方への気持ちが少しでも伝わればいいと願って。
 年々胸の中に押し込むには大きくなりすぎた気持ちの欠片を、
 貴方にわからない程度にチョコレートに溶かし込んで、貴方に贈り続けた。
 言葉に出来ない想いをケーキに託して。
 もし、貴方が俺に振り向いてくれなかったら。
 その好意はただ気持ちの悪いものでしかない。
 ひとりよがりの俺の想い。
 伝わればいいと願いながら。貴方に知られるのが怖くて。
 知られた後、貴方に拒否されるのが怖くて。
 気付かれないように貴方を見つめていたのに、気付いて欲しいだなんて。
 ただの俺の我侭だったと今はわかる。
 でも時空を隔てた向こう側で、貴方は俺に振り向いてくれたから。
 貴方が俺の腕の中にいてくれる、今が、ただ幸せで。
 それ以上なんて望んだら贅沢すぎるだろう、そう思うのに。

 貴方の本命のチョコレートが貰えたら、と思う。

 そう願うのはいけないことなんだろうか。
 今俺たちは『付き合っている』ということになっている。
 そういう付き合いをするのが初めてで。
 貴方が俺の彼女で、俺が貴方の彼氏だなんて実感がまだわかない。
 俺の……彼女、だなんて。
 考えるだけで恥ずかしい。
 貴方は俺の一番大切な人。それは変わらないのに。
 何故こんなに気恥ずかしいんだろうか。
 慣れれば、普通になるんだろうか。
 でも、貴方が俺に振り向いてくれたのは俺の中では奇跡と呼ぶに値することで。
 朝起きたら夢だったと言われても仕方がないと思ってしまう。
 でも、彼女から本命のチョコレートを貰うなんてある意味当たり前で。
 貰えるんだろうかなんて考えている俺は情けないのかもしれないけれど。
 今の俺と貴方は、幼馴染を抜け出しかかったふたり、だ。
 恋人なんてとても言えない。
 俺は貴方にずっと恋をしてきたけれど。
 少しずつふたりの関係は恋愛、と呼べるものになってきたのかもしれないけれど。
 焦ってダメにすることだけは絶対に避けたい。
 貴方に俺の気持ちを押し付けることだけは絶対しない。そう決めた。
 ……決めただけでうまく出来ているか自信はなかったけれど。

 徐々に貴方が変わっていく。

 俺が知らなかった貴方を日々に知っていく。
 貴方は俺に色んな顔を見せてくれるようになった。
 正面から貴方を見つめる勇気を持てなかったから。
 貴方と見詰め合うことが出来る今が幸せで。
 貴方のそばにずっといたい、そう思っていた。


背景画像:帰り道

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