言葉にならない
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今年のバレンタインは明後日の日曜日。
だからチョコレートを学校で渡すのなら明日。
学校中がそわそわしていた。
それくらいはわたしにもわかる。
学校から帰ってきた後、いつものように譲くんの部屋でお茶を飲みながら勉強。
譲くんは何で習ってないことまでわかるんだろう!
教科書見たらわかります、なんていうけど。信じられないよ。
特に数学なんて何かの暗号にしか見えない。
でも、譲くんの機嫌があんまりよくないのはどうしてなんだろう。
時々面倒くさそうな顔をする。
覗き込めば、目をそらす。
目をそらしたまま、明日学校に行きたくない、とぽつりと言った。
真面目な譲くんにしては珍しい。
土曜日だから午前中で授業は終わり。
譲くんには部活があるけど、わたしは土曜日は嫌いじゃない。
土曜日が嫌なんじゃなくて、バレンタインデーの前日だから面倒くさいんです。
譲くんはそういうけれど、わたしにはよくわからない。
きょとんとするわたしに譲くんはわからなくていいんです、とだけ言って
ぽすんと頭を撫でた。
子ども扱いされたみたいでむっとしたら、
子ども扱いしたんですよ、としれっと言うからクッションを投げつけたら、
ようやく譲くんは笑ってくれた。
「それより、明後日何のケーキにしましょうか」
「うーん。何がいいかなあ」
「去年はガトーショコラでしたからね」
「そうだね〜」
ノートを広げた上に、譲くんはお菓子の本を広げた。
どの写真もおいしそうで、迷う。
譲くんは本当に料理がうまい。
そういえば、手作りのチョコレートをあげる宣言をしていたことを思い出した。
どうしよう?
考え込んだわたしを横目にみながら、譲くんはページをめくる。
「これなんかどうでしょう?」
指をさした先にあるのはガナッシュクリームに包まれたスポンジケーキ。
わたしはそのとなりページのケーキが気になった。
「これは?」
「……オペラですか?」
「綺麗」
「まあ……そんなに難しくはないんですけど。
これ、間に挟まってるのコーヒークリームですよ?
先輩コーヒー味の苦手じゃないんですか?」
「……食べてみたいな」
「…………まあ、何とかしてみましょうか」
「ほんと?」
「わかりました」
「譲くん大好き!」
譲くんは目を細めて笑った。
最近こういう顔をして、わたしを見る。
大人っぽい顔っていうんだろうか。
わたしは譲くんのこういう穏やかな顔に弱い。
あんまり見たことが無い顔だからかもしれない。
ぽけっと見とれていたわたしを譲くんは指で小突いて笑った。
譲くんの朝は早い。部活があるから。
学校に一緒に行けるのは、部活が無い試験前とかそれくらいだ。
それなのにお弁当も作ってるなんて。
わたしはギリギリまで寝ていたいのに。
苦にならないからと譲くんは笑うけれど、わたしは尊敬するしかない。
だから今日も、わたしの方が後に学校についたのだけれど……。
見たくないものを、見てしまった。
一年生の……譲くんのクラスの靴箱の前をうろうろする女の子がいるな、
と思っていたら、その子は意を決したように手紙を靴箱に入れた。
……譲くんは『有川』で出席番号は2番。
だから……靴箱はすぐにわかる。
学校にいるかいないか、それで確認することもあるから、
靴箱の場所はわたしだって知っていた。
端っこの上から二番目の靴箱にその子は手紙を入れた。
……確認しなくてもわかった。
気まずくて目をそらしたけれど、その子はわたしに気付いて、
うつむいて走っていってしまった。
見たくなかったな。
今まで気にしたことが無かったから、聞いたことがなかったけど。
もしかしたら譲くんは毎年他の女の子からチョコレート貰ってたのかな。
聞いたことが無かったし、将臣くんみたいに見せびらかしたりしないから。
わたしが知らなかっただけなのかな。
ぼんやりしていたら、後ろから友達に背中を叩かれた。
「望美!おはよ!」
「ん、おはよう〜」
「どうしたの?元気ないね」
「え、……あー」
「見てたよ〜。勇気あるね、彼女。……有川君には望美がいるのに」
「捨てちゃいなよ、手紙」
「そんなこと出来ないよ」
「ええ?あたしだったらイヤだけどな〜」
「でも勝手にそんなこと出来ないよ」
「まあ、そっか。
でも有川君なら心配いらないね。望美命だもん」
友達は笑ってくれたけど、もやもやは止まらなかった。
譲くんはあの手紙、どうするんだろう。
彼女、真剣な顔してたな。
頭をふってみても、彼女の面影が頭から離れなかった。
授業の合間、休み時間のたびに、一年生の教室を覗いてみても譲くんには会えなかった。
……譲くんはわりと忙しい。
でも、こんな時間まで譲くんの顔を見れないのは珍しかった。
譲くんは隙を見て、二年生の教室に顔を出してくれる。
もしかして一年の教室と、二年の教室で行き違いになってるの?
そんなことはないとは思うけれど、避けられているような気になって落ち込む。
メールを打ってみても、返事がない。
今日は土曜日。
いつもみたいに昼休みに一緒におべんとうを食べたり出来ない。
とうとう終礼まで終ってしまった。
校内をぶらぶら譲くんを探していたら、渡廊下にあの子の姿が見えた。
その先には……譲くんがいた。
ここは二階。声は聞こえないけれど、
あの子が譲くんにチョコレートを渡すのが見えた。
なんとなく見たくなくて。
わたしはそのまま学校を出た。