言葉にならない




  −5−


 冬休みの宿題を一緒にやってから、なんとなく俺の部屋で勉強をする習慣が出来た。
 それは今も続いている。
 先輩の部屋と違って俺の部屋は誘惑が少ないから集中できるのかもしれない。
 何度か先輩の部屋で勉強したけれど、俺が行くたびに凄い勢いで、
 部屋を片付ける先輩に申し訳ないのと、……まあ色々あったせいで、
 結局俺の部屋でということになった。
 長年培ってきた信頼だろうか、それともちっとも勉強しない先輩が
 俺と一緒だと勉強しているせいだろうか。
 少し遅くなってもあちらの両親から文句は言われなかった。
 俺の作った晩御飯を一緒に食べることもあるし、晩御飯を食べた後に先輩が来ることもある。
 ……こういう付き合いが『堅い』と言われるんだろうか。
 でも外に出かけるのも好きだけれど、こうしてふたりでいられるほうが
 俺は嬉しかった。
 こうして貴方を独占できる時間が。
 今日も貴方はうなりごえをあげながら数式とにらめっこしている。
 貴方は本当はできないわけじゃないのに。
 出来ないと、思い込んでしまっている。
 貴方は勉強が出来ないわけじゃない。ただ、好きじゃないだけだ。
 好きじゃないから、やらないだけ。
 ……勉強しなくても、追試を免れているのがいい証拠だ。
 少し成績があがれば、あちらの両親の信用も上がるかな。
 そんな色気を出しても。
 結局疲れた、と上目遣いで俺を見つめる貴方に俺は弱くて。
 お茶にしましょうか、と言ってしまうのだ。
 やったー!と足を投げ出して、伸びをする時の貴方の顔が好きだ。
 学校や、外で見るのとは違う……なんていうか、とても素の顔。
 それを知っているのは俺だけかもしれない、というところが
 いいのかもしれなかった。
 今年のバレンタインは日曜日。
 貴方と約束はしていない。
 そしてふと考えてしまった。
 ……毎年バレンタインは憂鬱だった。
 下駄箱には送り人不明のチョコレート。
 手作りのチョコレートは分解しかかっているものが多いし、
 告白されるのも正直、申し訳ないが面倒くさい。
 義理チョコひとつだって断るのに苦労する。
 ……ホワイトデーのお返しを期待して押し付けられるチョコレートに
 正直辟易していた。
 何年か前に、やっぱりお返しをしないとまずいだろうと、
 真面目に返したのが悪かったのかもしれない。
 同じ中学からきた女子が義理を渡そうとするなら、明らかにお返し目当てだろう。

 今年は、先輩がいるから。……俺の彼女として。

 その自分の考えに照れ、明日どうやってチョコレートから逃げようか考えて、
 ……疲れてしまった。
 ぼそりと明日学校に行きたくないといえば、貴方はらしくないね、と笑った。
 別に毎日学校が楽しくて通っているわけでもない。
 面倒くさいことだってある。
 けれど、学校を休むほうが面倒くさいから行っているだけだ。
 貴方に会えるから。
 貴方と一緒におべんとうを食べるのが楽しみだから。
 部活が無い日に寄り道をするのが楽しみだから。
 ……最近色んなことに対して動機がどんどん不純になっていく。
 そんな俺自身がとても面白い、と思う。
 ただ真面目なだけで知られた俺がそんなことを考えているなんて。
 明日のことを考えるのが面倒くさくなって、俺はケーキの本を手に取った。
 貴方に手作りのチョコレートについて尋ねられないまま、
 俺は貴方へのチョコレートのリクエストを尋ねる。
 貴方はオペラが食べてみたい、と言った。
 オペラ。
 ……作るのはそんなに難しくは無い。
 けれどコーヒー味が貴方は少し、苦手だ。
 別の味にしよう、そう考えることで……気が紛れた。




 部活のある朝は早い。まだこの時間は無いか。
 下駄箱に何も入っていないことを確認して安堵の溜息をついた。
 何故勝手に入れるんだろう。
 俺には、……先輩がいるから。好意なんて受け取れないのに。
 朝練が終わって教室に行けば、下駄箱に手紙がはいってたよ〜なんて
 同級生に冷やかされた。慌てて確認に行けば、……綺麗な封筒がひとつ。
 捨ててしまおうか。
 ……捨ててしまえばいいと思うのに、一応、内容を確認する。
 放課後指定した場所で待っていると書かれていて、俺は面倒くささに眩暈がした。
 ……自分が好意を持っていない相手の好意とはなんて煩わしいんだろう。
 結局俺はこうやって貴方に煩わしいと思われるのが恐ろしかったんだな。
 自分が何とも思っていない他人の好意には人は何処までも残酷に、冷徹になれるのだから。
 貴方にそうされなくて良かった。
 ほっと安堵の溜息をつく。
 貴方が知ったらどんな顔をするんだろう。
 貴方には、知られたくない。
 ……休み時間のたびにチョコレートを渡そうとする女子から逃げ回っているうちに、
 貴方と会えないまま、終礼が終わった。
 この後は……考えると胃がきゅうっと鳴った。
 俺が会いたいのは先輩だけなのに。
 渡廊下の先に彼女が待っていた。
 ……俺はきっぱりと断った。
 彼女は手紙を読んで来てくれただけで嬉しいと言った。
 俺は受け取って欲しいと言われたチョコレートを断り、手紙も返した。
 捨てるのも失礼だし、持っていたくも無かったから。
 貴方の顔が見たくて、探したけれど。
 下駄箱を見れば、貴方の靴は無かった。
 もう、帰ってしまったのか。
 がっかりしてみても、部活がこの後まだあったから。
 早く帰って貴方の顔が見たい。
 そう思う気持ちを押さえ込んで貴方に明日ケーキを焼くから
 楽しみにして欲しい。とだけメールを送った。

 貴方からの返事はいくら待っても、来なかった。
 疲れきった俺はもう一度メールを送ることも出来なかった。


背景画像:帰り道

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