Reign Over Me




  −7−


 ユキが神妙な顔で話があると言ったのは、ユキの七歳の誕生日のことだった。
 誕生日ケーキの半分を冷蔵庫にしまい、私がテーブルに戻ったのを
 確認するとユキは搾り出すような声で話し始めた。

「香苗姉さん、徹さん」

 懐かしいイントネーション。
 忘れもしない幸鷹が、かつて私を呼んだ呼び方。
 絶句した私と徹を緊張した表情で見つめるとユキは一気に話しはじめた。

「信じてもらうのはむずかしいと思うんですが。
 ……記憶が戻ったので、お話しないといけないと思いました。
 ぼくは、貴方たちの息子の幸鷹でもありますが、
 香苗姉さん、貴方の弟の幸鷹でもあるんです」
「……ちょっと、ユキ」

 驚いて口を出そうとした私を徹が制した。
 ユキの顔は嘘をついているような顔ではない、真剣な表情。

「……ほんとうなの?」
「ぼくも信じられませんが、本当です。
 思い出したのは、最近です」

 無邪気で優しくてやんちゃなユキ。
 怖くてまだIQを測ったことはないけれど確かに頭は良かった。
 面差しは幸鷹に似ていたけれど、確かに私の子供のユキ。
 こんな大人びた表情なんて今までしなかったのに。
 ……私はユキが遠くに行ってしまったような気になってパニックを起こした。
 確かに、幸鷹に帰ってきて欲しいとは思っていた。
 その気持ちに嘘はない。
 ユキが幸鷹の生まれ変わりだったら。そう考えたこともあったのに。
 でも、こんなことは望んでいなかった。
 それはハッキリと心に浮かんでしまう。

「……私のユキは消えてしまったの?」
「香苗?」
「ユキはどこ?
 これはなんかの冗談なんでしょう?ユキ」
「姉さん」
「姉さんなんて。貴方はユキなんでしょ?
 姉さんなんて呼ばないでよ!」

 私の顔にハッキリと浮かんでしまった拒絶にユキははっとなった。
 理解したい、受け入れたい。
 ユキを拒絶なんてしたくないのに。
 さっきまでいつものようにユキの誕生日を祝って和やかで……
 いつものようにユキは満面の笑顔でケーキをほおばっていたのに。
 その表情はユキが浮かべていたのだろうか、それとも『ユキのふりをした幸鷹』が?
 嫌悪感が込み上げて私は椅子から立ち上がろうとした。

「香苗」

 ぐっと手を握り、徹は私をテーブルに座らせた。
 テーブルを離れてこの場から逃げたかった。
 もしくはユキを打ってしまいそうだった。
 徹はこれを受け入れるの?受け入れられるの?
 見上げれば徹にも苦悶の表情が浮かんでいた。

「香苗」
「……姉さん」
「ユキ、……幸鷹くん。
 姉さんと呼ぶのは今はよしなさい。
 香苗は、君のママなんだから」
「はい、でも……」
「君が話したいのは確かに重要なことだ。
 でも話すだけ話しても、香苗が聴くことができなければ意味がないだろう。
 もうすこし、ゆっくり時間をかけよう。
 俺だって、まだ信じられないし……信じたくないよ」
「わかりました……ママ」

 しゅんとなったユキの表情にはいつものユキの面影がある。
 でもそれはいつか見たことのある弟の表情にも見えて。
 私は見分けがつかなくなる。
 こんなことは口に出したくない。そう思うのに私は残酷な問いを口にする。

「いつからなの?
 ……いつから幸鷹は『ユキ』のふりをしてたの?」
「香苗!!」

 徹の制止を振り切って、ユキを問い詰める。
 何故だろう、ユキは七歳の男の子のはずなのに。
 しっかりしたその受け答えはまるでもっと年長の子の相手をしているようだ。
 哀れみの浮かんだその表情は、まるで私たちよりも年長者にすら見える。

「落ち着いてください」
「落ち着くって、どうして、どうやって!
 自分の子供がこんなおかしなことに巻き込まれて!
 ユキが、ユキがいるのに目の前にいるのに、でもいないなんて信じられるの?」
「だからぼくは貴方の『ユキ』でもあるわけで」
「そんな言い方しないで!」

 私の上げた悲痛な声にはっとなったユキは嗚咽した。

「ママを困らせたくないんです。
 パパにもわかってほしいんです。
 それは、本当なんです。ママに嫌われたくない。
 でも、ぼくは花梨にあうためにもう一度時をこえたんです。
 だから、絶対に花梨に会いたい。会わなくちゃいけない」
「……だからかりんって誰なの?」

 ユキは決意を込めた静かな瞳ではっきりと口にした。

「花梨はぼくの最愛の人。生涯を共にする人です」










 全部話をするのは長くなるし、全部を受け入れるのは時間がかかるから。
 とりあえずそれでお開きになり私たちはベッドルームに戻った。
 ユキも幸鷹も受け入れたい。それは本当だ。
 何故上手くいかないんだろう。私と徹は溜息をついた。

「……本当に幸鷹くんの生まれ変わりだとはね」

 徹は枕にうつぶせになったまま呟いた。

「そうだったらいいって言ったのは俺なんだけど。
 実際そうだと…………正直参ったとしか言えないな」
「うん」
「香苗疲れただろう。今日はもう寝るかい?」

 徹はあやすように髪を撫でる。
 少しずつ、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
 ユキも幸鷹も受け入れたい。だから、時間はかかっても受け入れたい。
 母親だから?姉だから?家族だから?
 好きだから?大切だから?
 どれも本当の気持ちだ。でも今は上手くいかなくて。
 焦ったらダメだそう思うのに。今答えを出せない自分が情けなくて、嫌で。

「ユキは私の子供で」
「うん、俺たちの子供だね」
「幸鷹は私の弟で」
「……俺の従兄弟でもあって」
「私たちは家族なんだよね」
「三人で、家族だね」
「……慣れていくしか、ないんだよね」
「時間はかかってもね」

 きゅっと握った手に力が篭る。
 あの家で居場所がなくて途方に暮れていた頃の自分が蘇ってくる。
 ユキにあんな思いはさせたくない。
 ユキはまだ子供だからこの家に帰るしかない。
 帰らなきゃいけない家に、自分の居場所がないなんて。
 あんな寂しい気持ちにだけは、させたくない。
 家の中に居場所を見出せなかった私に、居場所をくれた徹。
 徹となら生きていけると思った。
 暖かい家にしたいと思っていた。
 それなのに、そこからユキを締め出してしまうなんて。
 そんなことはしたくないのに。

「私、ユキにちょっと謝ってくる」

 ベッドから立ち上がった私に、俺も行くよ、と徹も立ち上がった。
 そろそろとユキの部屋に行けば、ユキはベッドにぼんやりと腰掛けていた。

「ぼくは『お母さん』を泣かしてばかりだ」
「……ユキ?」
「お母さんも、幸鷹が消えて泣いたでしょう?
 あちらで出会った母上も、今度はママも。
 泣かせたくないって思っているのに。いつもうまくいかない」
「ユキ?」
「ごめんなさい。ママ。
 ママを泣かして」

 その表情を見て私は悟った。
 ユキも苦しいんだ。何故かはまだわからないけれど。
 ユキも苦しんでいる。そう気付いた瞬間、抱きしめていた。
 ぎゅっと抱きついてきたユキは暖かくて。
 涙で湿っていた。
 全部理解して、受け入れるのは難しいだろう。
 でも、ユキが苦しんでいるのは嫌だ。
 苦しませるのが自分だなんて。もっと……嫌だ。

「ユキ、ごめんね。
 もうちょっと時間をくれる?パパとママに」
「うん、……ママ」

 全力で私にしがみつくユキはどれだけ不安だったんだろう。
 私たちがどれだけ不安にさせたんだろう。
 黙ってそれを見つめていた徹はユキの隣に腰掛け、ユキの頭を撫でた。

「君がユキでも、幸鷹くんでも。
 俺は絶対に君たちのみかただから。約束する」

 その日は久々に三人で眠った。
 ユキがまだ小さかった頃みたいに。
 泣きつかれて眠ったユキの寝顔をみながら、
 一日でも早く受け入れたいと願いながら私も徹も眠りについた。





 それから、たくさんの話をした。
 ゆっくりと時間をかけて。
 幸鷹が生きた京の話を。……孤独に生きた幸鷹の生涯を。
 そして私は、ユキが幸鷹が求める『高倉花梨』という少女を探した。
 手がかりになったのは、彼女がしていた腕のカレッジブレス。
 彼女は隣町に住んでいた。
 ユキは彼女をじっと見つめていた。
 声をかけないの?と言えば、彼女はまだ幸鷹を知らないから、と
 ユキは悲しそうに笑った。
 ショートカットの快活な普通の女の子。
 幸鷹は彼女のどこを好きになったんだろう。

 あの子は、ユキを受け入れてくれるんだろうか。

 ユキの話ではあの子が出逢う幸鷹は二十三
 ユキが二十三歳になるのは十六年後。
 あの子は待っていてくれるのだろうか。
 彼女は今十五歳。
 十六年後、彼女は三十歳を超えている。
 私と同じくらいの年になるまで、彼女は彼女が好きになった幸鷹には会えないのか。
 ……待っていてあげて、なんて簡単には言えない。
 でもどうするのかを決めるのは二人だ。
 私には幸せを祈ることくらいしか出来ない。


 そして、その日は来た。
 再び、ユキと花梨さんが出逢う、その全ての始まりの日が。


背景画像:【空色地図】
ここまで読んでいただきありがとうございました。
貴方に福音がもたらされますようにに続いています。よろしければ。
お気に召していただけたらぽちっとして頂けると幸いです