Reign Over Me




  −2−


 貴方が召喚した応龍によって百鬼夜行の穢れが祓われ、京は無事に新しい年を迎えた。
 中納言として朝廷に連なる私は、神子殿を労うことも出来ずに、行事に参加せざるを得なかった。
 貴方に一目と会いたいと思っても連夜続く宴を欠席することも出来ずに悪戯に日々が過ぎていった。
 そして、私は、彼女の窮地を知る。

 四条の館が、京の危機を救った龍神の神子の拝謁を望む人垣によって埋め尽くされてしまったことを。

 そうなることはわかっていて手を打ったはずだった。
 極秘であったことがいずこから漏れ、人が集まり出し今は収集がつかなくなっているのだという。
 我が検非違使庁からも、院の御所の武士団からも人員は出てはいたけれど、収集はつかなかった。
 花梨の顔を見たい、そう思っても人垣に阻まれ、進むことも出来ない。
 不幸中の幸いは、人垣に囲まれ館から出ることが出来なくとも、
 人々が持ち寄った食物によって中の人々は食事などの影響はなかったことくらいだろうか。
 いつまでも収まらないその事態に、院と帝が動き出す。

 『京を救って下さった神子を御所でお預かりしたい』と。

 院の御所に行くのか、帝の御所に行くのか……花梨の思惑から外れたところで、
 貴族達が争う。
 その栄誉に預かりたかったのだろう。
 私は院のもとに侍る身。だから知らなかった。
 神子を帝の妃に迎えてはどうか、ということが内裏で話し合われていたことなど。
 私は彰紋様に戴いた文でそれを知り、歯噛みする。
 もし入内の宣旨が下ってしまったら、花梨はどうなるのだろうか。
 花梨と私がどちらの世界で生きるのか、まだ結論を出してはいなかった。
 貴方に会いたい、そう思っても人垣を抜けていくことがどうしても出来ず、
 文を交わすことすら、難しい。
 ……花梨は現代に帰ったほうが幸せなのかもしれない。
 私はその頃からそんな風に考えていたのだと思う。

 その人垣を見た時に私は不安を感じていたのかもしれない。
 果たして私に貴方が守りきれるのか、と。
 もし私と貴方がこの世界に残ったとして。
 私が貴方を守りきることは出来るのだろうか。
 貴方を守りたいという気持ちは誰にも負けはしないけれど。
 けれど気持ちだけでは貴方を守れはしない。
 私は焦っていたのだろう。
 八葉という男たちに囲まれた貴方の気持ちをようやく得ることができ、
 京を救う役目を終えようやくこれからというところでの小さな躓き。
 ただ貴方だけを選べばよかったけれど、その時の私にはそれが出来なかった。

 貴方に会えないまま過ぎた日々は二人の運命の流れを逸らしていく。

 貴方に会えないまま、私はどうするべきか考え続けた。
 現代に帰るのか、それともこちらに残るのか。
 検非違使別当の勤めを投げ出すのか。
 後ろ盾の無い老いた母をひとり残していいのか。
 ……帰って物理の研究にまた励んでみたい。
 けれど、八年も遠ざかった私に以前のような研究が出来るのだろうか。
 かつて神童扱いされた自分。
 八年たてば同じ歳の人間も大学を出ている。
 同じスタートラインに立てるだけよいのではないか。
 けれど現役を八年退いた私に彼らと等しく研究など出来るのだろうか。
 もう一度やり直せばいい、そう思いつつも、
 二十歳過ぎればだたの人、そう言われた元神童たちの末路が目に浮かぶ。
 彼らと同じ道を辿るのだろうか。
 それは自分の努力次第だ、そう思いつつも薄ら寒く感じるのは
 仕方が無いことなのかもしれなかった。
 貴方にこの不安を打ち明けたらどんな顔をするのだろうか。
 大人である私が不安など、打ち明けるべきではないのだろうか。
 会って話がしたかった。けれどそれは叶わない。
 どれだけ貴方に私が支えられていたのか思い知る。
 出逢ってから、たった四ヶ月。
 それなのに私は人生の賭けを貴方に委ねてしまうのか。
 ……委ねてしまっていいのだろうか、私は迷い始めていた。

 私も本当は信じたかったのかもしれない。
 目に見えない何か。あやふやな何かを。
 けれど信じて裏切られるのが怖かったのだ。今ならば、それがわかる。
 確かなもの、はっきりとしたもの、真実、目に見えるものばかりを信じ、追い求めるのは、
 信じて裏切られるのが怖かったからだ。
 どこか曖昧だった自分、もそれを助長したように思う。
 私は信じたかったのだ。
 人の愛情も、絆も。
 けれど確かなものなど何処にあるのだろう。
 変わらないものなど、きっと何処にもない。
 人を好きだと思って。一緒にいたい、ずっと変わらずにいたいと願った時から、
 何かが失われていくのではないのか。そんな気がしていた。
 私にはそれが怖かったのだ。

 確かに父は、母を愛していた。
 母も父を愛していた。二人は確かに夫婦の絆で結ばれていた。
 けれど母は私が現れるまで子を持てず、父は外に他の家族を持った。
 それを誰が責められるだろう。それが当たり前のこの京で。
 まんじりともせず父の帰りを待っていた母の姿を覚えている。
 父を責める気はない。
 けれどそんな母の不憫な姿を見るのは辛かった。誰が悪いのでもないけれど。
 私はそんな二人の姿を見て育った。
 そして元服をして、宮中に参内するようになってから様々な男女の姿を見てきた。
 幾人かの女性との付き合いもあった。
 私が誰かに恋をして、自分から文を送ったことは無い。
 けれど藤原宗家の本妻の子としての私には、たくさんの文が届いた。
 若かった私はわけもわからずその世界に抱き込まれ、疲弊した。
 まだその恋というものの、法則も傾向も、作法もわからなかった子供の私は。
 ただその大波に飲まれ、海面に首を出すのが精一杯だった。
 だだ誠実であれば真心は伝わるだろうと文の数はまめまめしく送ってみても、
 ただ誠実であるだけだった私のもとへ来る文の数は次第に減っていった。
 言葉を尽くせば、心は伝わるだろうと思っていた。
 けれど、あの頃の私には、伝えたい心など本当には無かった。
 ただ誠実に、誠実であろうとしてだけ紡がれた言の葉が相手の心に響かなかったのは
 当然ではあったのだけれど、あの頃の私にはわからず、
 何故気持ちが伝わらないのだろうとただ寂しかった。
 今ならばわかる。ただ義務感にかられて送った文など人の心には何も響きはしないのだと。
 残ったのは駆け引きばかりの関係。
 摂関家の流れを汲む私との繋がりを望み、別に私でなくてもいいのだという気持ちが透けていた。
 潔癖だったのだろう。
 今ならそんな『当然』のことには見向きもせずに適当にあしらう事も出来るのに。
 幼かった私は小さなことにもすぐに傷付き、悩んだ。
 幾人かの女性と文のやり取りはあったけれど、どれも実を結ばなかった。
 ついたあだ名は仕事の鬼。
 正直に言えば女性によりも、仕事に生きがいを感じていた。
 失礼だとは思うが、女性に対して煩わしさだけを感じていたから。
 前だけを見て、結果を残していきたかった。
 私はきちんと状況を把握し、段取りを決め、手順を進めていくのが好きだ。
 そうやっていけばきちんと結果の残る仕事になる。
 けれど女性との付き合いとはそういうものではない。
 正直に言えば女性との付き合いが不得手だった。
 実直なだけで雅を解さない男だと多分言われているのだろう。
 雅を解さないわけではない……とは思う。
 けれどそれを文にや和歌にしたため、自分の心の言の葉を紡ぐのが苦手だった。
 女性たちが何を望み、どうして欲しいのかも正直私にはわからない。
 そして私が執着するような女性には出会えなかった。
 仕事以上に打ち込める相手に出会えなかったのだ。
 暗に摂関家へのつながりを持ちたいという意図が透けて見えると気持ちは萎えた。
 ただ語らい、傍にいるだけで満たされるようなそんな相手を私は探していたのかもしれない。
 その頃の私は燃え上がるような恋も、暖かな家庭も欲してはいなかったのだ。
 誰かの人生を背負い込むようなことはまだ出来ないと心のどこかで思っていたのかもしれない。

 ……そうしているうちに、尊敬し慕った父が死んだ。
 一年前のことだった。
 父はずっと仰ぎ見る存在だった。けれどいつのまにか老いていた。
 落飾した母は別人のように老け込み、小さくなってしまった。
 仏行に励み、父を弔うため母は宇治に移り住み、ずっと父と母と住んできた六条の館には、
 新たに宗家を継いだ兄が移って来た。
 私はずっと使ってきた対の屋をそのまま与えられたけれど、その他は移って来た家族が占有した。
 家族と言っても兄と私の母は違う。
 今までずっと一緒に暮らしてこなかった、家族という実感のわかない他人。
 兄と親しむように勤めてはきた。
 けれど突然現れた正妻の子としての私に兄は冷たかった。
 以前取り決めたように、宗家を継ぐのは兄。
 兄は氏長者として、強権的な態度を顕にした。
 今まで父がいたことで鬱屈した何ががあったのだろう。
 兄は私が氏長者の座を狙っていると思い込むようになった。
 私はそんな兄の気持ちを理解できた、けれどどうすることができたのだろう。
 そんな時は距離を置くしかなかった。
 同じ屋根の下、家族が住むのに何故いがみあわなければならないのだろう。
 私は近いうちに自分の邸を構え、移らなければいけないと感じた。
 確かにここは私の慣れ親しんだ家だ。
 けれど、もうここは『我が家』ではなかった。
 母が宇治から尋ねてきても、母を迎えられる場所も、自分が寛げる場所もない。
 ……何もかもが変わっていくのを、どこかぼんやりと眺めた。
 穏やかな母が好んだ庭は手を入れられ、華美なものとなり、兄の子供が我が物顔で走り回る。
 新たな権力者となった兄の元には方々からの使者が訪れ、活気に満ちていた。
 父の喪が明けたころ、私は検非違使別当の兼帯を命ぜられた。
 検非違使庁とは別当の私邸である。
 私の住む対の屋を一部開放し、当てなければならなかった。
 ……この家にはもう、いられない。
 かつての穏やかであった日々が懐かしかった。
 今思えば、氏長者を私に譲ろうとしたのは父の愛情であったのだろう。
 私の地位の保証。そして、この慣れ親しんだ六条の邸を私に譲ることで、
 母のこれからの人生を磐石のものとしたかったのかもしれない。
 気付いた時には遅かった。
 六条の邸は兄のものとなり、全ては変わっていった。
 失った何かを埋めるように私は検非違使別当の職務に打ち込んだ。
 もう、母を求める年頃ではなかったけれど。
 父という主柱を失い。父と母と私という家族の形はばらばらに崩れ去った。
 穏やかに語らい、共にあった日々。
 失って初めてそのかけがえの無さに気付いた。
 時間があれば宇治を尋ねた。文も送った。
 けれど母は仏行に差し障るからと回数を減らすように言った。
 母が寂しくなかったわけはない。
 つまりそれは忙しい私に対する気遣い。父に代わり私が母を支えなければ。
 私に何かあった時、兄が母を支えてくれる保障などどこにもなかった。
 私の基盤を安定させなければ、母の生活は脅かされてしまう。
 身辺に今以上に気を配り、追い込まれ……失脚することを避けなければならない。
 私は父に庇護されていたことを今更のように思い知る。
 兄は……兄であっても、政敵であるのだろう。
 今まで朝議で意見があったためしなど無いのだから。
 自分の理想を純粋に追い求めていられる時期は終わってしまったのかもしれない。
 これからは綱渡りの日々が始まるのだ。
 けれどそれが大人になるということ。
 自分の責任で生きていくということ。……なんとそれは重いのだろう。
 朝廷に連なる貴族として。朝議に関わる中納言として。
 京の平安を守る検非違使別当として責任を果たしたい。
 そう願う私の青臭さを、兄は鼻で笑っていたのかもしれなかった。


背景画像:【空色地図】

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