Reign Over Me
−6−
生まれてきた小さな幸鷹は、どこか弟の面影があった。
幸鷹は私の弟だし、徹は私の従兄弟だから似ていても別に不思議ではないのだけれど。
アルバムの中の幸鷹に似ていて、私は不思議な気持ちになった。
私たちは小さな幸鷹をユキ、と呼ぶことにした。
家出同然に実家を飛び出して、誰にも何にも言わずに籍を入れた私は、
両親に何も言えないまま子供を産んだ。
親戚とも連絡を取らなかったから誰もそのことは知らなかった。
徹も、従兄弟である私との付き合っていたことを誰にも言っていなかったから、
急に私と籍を入れたことにあちらの両親が驚き、戸惑ったことは仕方のないことだった。
全てから遠ざかるような形で夫婦になった私たち。
いなくなった弟の名前をつけた私。
生まれてきた新しいユキ。
生まれてきたユキをいつお互いの両親に見せたらいいんだろう。
結婚の報告すら出来ていないのに。
でもあの結婚は私にとってどうしても必要なことだったから。
……祝福されないかもしれない。でも、認めて欲しい。
報告は子供の義務だ。
私たちは、私の体調が落ち着いた三ヵ月後、懐かしいあの家を訪ねた。
ユキをつれて出向いた私たちを驚いた表情で両親は迎えてくれた。
両親は老け込んでいた。
それはそうだろう。
子供を失った悲しみは癒えることはない。
私もユキを失ったらと思うと、恐ろしくなる。
この喪失感を堪えてきたのか。
そう思うと何だか小さくなってしまった両親に対して申し訳なかった。
でも、私もこの一年を必死に乗り越えてきたんだ。
自分自身の悲しみと、両親の悲しみを受け止める覚悟が欲しくて足掻き続けた。
今なら、ちゃんと受け止められるから。
真っ直ぐに見つめた両親は寂しげに笑ってくれた。
腕の中の暖かいユキは生きることに懸命で。
考え過ぎてしまう私たちはいつもはっとさせられた。
大人たちの間に漂う沈黙のなか、ユキは無邪気に笑った。
その笑い声に、笑顔に。両親は胸をつかれたようになった。
幸鷹の小さい頃を思い出したのだろうか。
お母さんが差し伸べてきた腕に、ユキを委ねる。
小さな、小さな手にお父さんが指を伸ばせば、ユキはきゅっと握って笑った。
その暖かさに、柔らかさに、お母さんの目から涙が溢れた。
お父さんは恐る恐るこの子の名前は、と尋ねた。
どう、答えていいのか一瞬迷い、徹を見た。
徹は黙って頷いてくれた。
口の中が緊張してカラカラになっていくのがわかる。
「……この子が生まれる前に、夢を見たの」
「…………夢」
「そう、夢。
幸鷹が大人になったらきっとこういう風になっただろうなと思う男の人が
夢に出てきたの。
…………それでね、相談しないで決めて悪いと思ったけど。
この子の名前は幸鷹に決めたの」
「ゆきたか……」
「そう、漢字も同じ。
いなくなってしまった幸鷹が、生まれ変わってきたんじゃないかって思ったから。
お父さんや、お母さんには悪いかもしれないけど。
私は、そう思えたから」
恐る恐るお母さんを見れば、
お母さんはユキの小さな体に顔を埋め、泣いていた。
「幸鷹」
ユキは不思議そうな顔をすると、ぴたぴたとお母さんの頬に触れた。
それをみてお父さんも涙を零した。
……本当にユキが幸鷹の生まれ変わりだなんて信じてはいなかったけれど、
幸鷹が消えて出来てしまった空白がいつかユキによって埋められていくのかもしれない。
もし、帰ってこられるのなら幸鷹に帰ってきて欲しい。
そうは思うけれど。
私の中の勘が、あの私の弟は二度と帰ってはこないことを告げていた。
「元気でやってるのか。
研究室のほうには行ってるのは知ってるんだが」
「うん、勝手に家を出たり、結婚したり、子供を産んだり……
報告が遅くなってごめんなさい。でもなんとかやってます」
「鷹信叔父さん……いや、お義父さん。
勝手に香苗を連れ出してすみません」
「いや、徹くん、いいんだ。
君のお陰で香苗は元気でやってるんだから。
こちらこそ、すまない。
君のところにいると知っていてこちらから連絡もしなかった
私たちのほうが親失格だよ」
「私も連絡できなくて、ごめんなさい」
お母さんはユキをあやしながら呟いた。
「でも……わたしたちも必死だったの。
幸鷹が帰ってくるんじゃないかって。待ち続けて。
……もう、一年経ってしまうのね」
「そうだね」
「……香苗、つわり辛かったんじゃないの?
わたしもそうだったから」
「うん。
徹が助けてくれなかったら、どうなっていたかわかんない」
「香苗が大変な時、頼れない母親でごめんね」
「そんな。
私だってお父さんやお母さんが大変なのに、
勝手に家を出ちゃったし」
「家にいられなくしたのは私たちだろう」
ぽつり、と呟いたお父さんの顔が見れなかった。
「香苗は、この家にいるのが辛くて、家を出たんだろう。
そうさせたのは私たちだ」
「香苗に帰らなくていいと言ったのは、俺です。
俺が香苗を帰さなかったんです」
「徹」
「でも、こうやって幸鷹と一緒にこの家に来てくれた。
それで充分だよ。
……こうやって時々、また来てくれるね」
「当たり前だよ」
「それならいいんだ。
元気に……やっていてくれたら」
一生懸命笑おうとしてくれたお父さんの顔を見ていたら、涙が零れた。
幸鷹がいなくなってしまって出来たこの空白を埋めるには、
きっと幸鷹と一緒にいた時間くらいはかかるのかもしれない。
でも、新しい命、ユキが生まれて。
私たちはやっと前を向いて歩いていけるのかもしれない。
この時は、そう思っていた。
まさか本当にユキが幸鷹の生まれ変わりだったなんて誰が思うだろう。
ただ、面差しが似ているだけだと思っていたのに。
思えばユキは少し不思議な子だった。
外を歩いているとき、誰かを探しているようなそぶりをするときがあった。
母親の私と一緒に歩いているのに、どうして誰かを探しているんだろう。
私はずっと不思議だった。
幼稚園に通うくらいになると、ませた子は好きな子が出来たりする。
私がユキに好きな子はいるのか、と聞くとユキは決まってこう答えた。
「えっとね、かりん」
「かりん?
かりんちゃんなんてクラスにいたっけ」
「いないよ?」
「どこの子なの?」
「わかんない」
「でも、ユキはかりんちゃんが好きなのね」
「うん」
決まってユキは好きな子はかりんという名前だと繰り返す。
でもクラスはおろか、近所にそんな名前の子はいなかった。
アニメや絵本の中の子なのか、とも思ったけれど、思い当たらない。
ユキはぼうっと女の子を見つめているときがあった。
でもそれは同じ歳の子じゃなくて、きまって高校生くらいの年の子ばかり。
年上の子が好きなのかしら。
私はそのときはそれくらいにしか考えていなかった。
そして幸鷹が事故で消えたあの日から七年の月日が流れた。
幸鷹はとうとう帰ってこなかった。
幸鷹は法律上失踪者から、死者になった。
……いつか帰ってくるかもしれない。
そう期待を抱き続けて過ごした日々だった。
今だって帰ってきて欲しい、と願っている。
だから正式な葬儀はしなかった。
幸鷹には悪いけれど、心のどこかが軽くなったのは本当だった。
薄情な姉でごめんね。
そう呟いた私の手をユキがぎゅっと握ってくれた。