暁鐘
−6−
後白河法皇が熊野で貴方を『女傑』と評したのは揃うはずの無いもの、
本来並び立ってはいけないものを揃えて旅をしていたからだろう。
……兄さんの陣羽織は裏地に赤に揚羽蝶が染め抜かれていた。それは平家の象徴。
本当は顔見知りだった兄さんと敦盛。
それが何を意味するのか、真剣に考えたことはなかった。
けれど兄さんが年齢以上の風格を得た理由としては納得のできるものだった。
目の前に現れた還内府は、俺と敦盛の顔を見て苦笑いした。
「とうとうばれちまったかって言うのも変か」
兄さんが守りたいと願った家族とは『平家』のことだったのか。
京へ、熊野へ単身で乗り込んできていたのも交渉の為だったんだろう。
「よく帰ってきたな、敦盛」
「帰ってくることは許されないことだと、今この瞬間も思っています」
「硬いこと言うな。皆、お前のことを心配してたんだぜ。
お前が無事ならそれにこしたことはねえよ。……何処にいてもな」
「すみません」
「気にすんな。
譲、悪かったな。なんか……言い出せなくてよ」
「俺も源氏の軍に同行してるって言い出せなかったから、おあいこだろ。
……先輩は、知ってたんだな」
「みたいだな。
教えてねえのに知ってるとか。すげえな、あいつ」
「神子は、将臣殿がこちらでどうしていたのか譲にも教えたかったのだと思う。
そして将臣殿に共に助力をお願いして欲しかったのだろう」
兄さんの表情が変わって、還内府のものとなった。
「まさかお前らが熊野の遣いで来るとは思っていなかったが、
親書を持って来たってんなら話は別だ。まずはそれを見せてもらおうか」
「ああ。
熊野別当藤原湛増本人からの親書だ」
「おう、サンキュな。
ちゃんと目を通して正式なり、非公式なりに返答はさせて貰う。
俺は結局あの時熊野別当には会えなかったから顔も知らない本人からとか言われてもピンと来ないんだが」
「……熊野別当はヒノエだったんだ」
「はー、あいつがね。成程な。
まああの狸とも顔なじみだったからな、それもありえるだろうとは思ってたさ」
「そうなのか」
「……譲、カンが悪いと生き残っていけないぜ。
まあヒノエと弁慶は熊野に入ってからあからさまに怪しかったからな。
関係者なんだろう、くらいには思ってたさ。
あの狸の法皇さんがあんなに驚くのはなかなかないと思うぜ。
しかし望美の八葉は凄いな。
源氏の大将に、熊野別当に、還内府ときた。
これなら何だってできそうなもんだ。
それを見越して望美が俺に無茶振りしてきたんだろ。
まあ、大体の想像はついてるがこっちでも検討する時間は欲しい。
部屋を用意させるから寛いで待っていてくれ」
「わかった」
「……と、思ったけどよ。
譲。宴の準備頼んでいいか。久々にお前のメシが食いたい」
「は?」
「次いつ食えるかわかんねえし、……二度と食えないかもしれないだろ。
だから頼むわ」
「……旨いご飯を食べさせれば、いい返事をくれるなら作ってもいい」
しんみりした顔をした兄さんの表情に、流されそうになった俺がたたいた軽口に、
意外そうな顔をした兄さんは声をたてて笑った。
そんな兄弟の遣り取りを神妙な顔で敦盛は見つめ、
「…………神子は、それを見越して譲をこっちによこしたのか」
「そんなわけないだろ。ただの冗談だよ。
……敦盛、お前妙なことで感心しすぎ。
望美は単に俺の正体を譲には見せておきたかったんだろ。
もし和議がなったら。その後俺と譲は二度と会う機会もないかもしれないからな」
「兄さん、どういうことだよ」
「おっと。……この話はまたな。
もし作ってくれるのなら案内させるが、……譲」
「どうせ待たされるだけで暇だろうから、別に作ってもいい」
「サンキュ。
いつもの辛いカレーをリクエストしたいところだが、ここじゃ無理だろ。
まあ、お前の作るものはうまいから何でも良いか。
熊野からの使者をもてなす宴じゃなくて、
敦盛の帰還に、俺の弟が訪ねてきた記念に和やかにやりたいんだ」
「……本来もてなされる側の俺が何故か料理を作るなんてよくわからないけどな」
むっつりした俺に兄さんは苦笑いすると、敦盛に向き直った。
「敦盛、お前どうする?」
「将臣殿、これより皆は親書に対する協議に入るのでしょう。
今ご挨拶に向かっても邪魔になるだけなら、譲の手伝いをしていたほうがいい」
「……そうか」
頷くと兄さんは親書を手に立ち上がった。
傍に控えていた人に何かを告げると、じゃあまた後でな、と行ってしまった。
日が落ち、庭に篝火が焚かれ広間に皆が集まり宴は始まった。
一同が席を下ろした中を進むのは緊張する。
俺と共に姿を見せた敦盛に一同はどよめいた。
かつて三草山で対峙した経正さんはがたんと席を立ち、敦盛に駆け寄った。
「敦盛、無事で良かった!」
「兄上も息災そうで何よりです。
皆に合わせる顔も無い行いをした私がここに姿を晒すなどあってはならないことだと思います」
「何を言う。敦盛。
お前が息災で我等は本当に嬉しく思っているぞ」
そう言ったのは、歴戦の武人と言った風情の平忠度殿。
普段はきりっとした表情をしているであろうと想像できる彼が、
しっかりと頷くように微笑むのを見て、敦盛の目尻に涙が浮かんだ。
「湿っぽくなっちまったな。今日は無礼講だ。
……まあいつものことか。
敦盛に、それともう一人を紹介する。俺の弟の……譲という」
敦盛に集中していた視線がこちらに集中し、気恥ずかしくなる。
経正さんはこちらを振り向き、笑顔で言った。
「将臣殿がずっと探しておられた弟君ですね。
再会できたとは、本当に良かった」
「それは目出度い」
一同が一気に和やかになった時、ああ、うっとうしいと声がした。
「惟盛殿、何を申されるか」
「そのようにどうでもいいことで集められたのですか。
わたくしはそれ程暇ではないのです」
「そりゃ悪かったな。
……でも、お前がさっきから上機嫌に口にしてるそれもそれもそれも、
譲が作ったんだぜ」
笑いを堪えるように兄さんが指摘すれば、惟盛さんは顔を赤くして箸をおいた。
「味は悪くはありませんが、毒でも入っているのでは無いですか!」
「……じゃあお前が毒見をしてくれたのか。ありがとうな」
「有川将臣、お前如きに何も言われる筋合いはありません!!」
「…………うるさい」
知盛殿がちらりと視線を向ければ、惟盛は耐え難いというように席を立ち行ってしまった。
たしなめるように上座の尼御前が声をかけた。
「知盛」
「出すぎたまねを致しました。母上」
「いえ、良いのですよ。
譲殿と申されましたね。
……あの惟盛がいつになく気に入って食しておりましたね。珍しいこと。
誰かこれを下げておきなさい……きっと落ち着いたら食べたくなるでしょうから」
にっこりと笑うと、傍使いの女たちが膳を持ち上げて下げて行った。
「さあ、場が何やら硬くなってしまいました。
将臣殿。乾杯の音頭を」
「はい、尼御前。
じゃ、再会を祝して、乾杯」
軽く杯を持ち上げ、宴は始まった。
飲めない酒を少しずつ勧められ、ほろ酔いになりながら、
今までの兄さんの話を少しずつ聴かされた。
この三年、兄さんがどうやって生きてきたのかは想像することしかできないけれど、
ここにいる平家の皆さんに生かされていたのだとわかった。
誰よりも義理堅いところもある兄さんがどんな決意でこの人たちを守ろうとしたのかも。
平家は敵だと思っていた。
憎んだことはなかったけれど、いつの間にか敵だと思っていた。
けれど敵だと思っていた人にもこうして平常はあり、営みがある。
人が死ねば悲しむのも同じだ。
先輩は源氏だけを守ることを考えず、この平家に連なる人々も守りたいと願った。
それが出来るのは和議を成すこと、それ以外の道はない。
少なくとも俺はもう戦えそうになかった。こうして平家の人の暖かさに触れてしまった今は。
戦いたくないのなら、和議を成すしかない。
食事が済むとゆるゆると膳は下げられていき、より庭の近い場所へ座は移された。
尼御前のたっての希望で知盛殿は庭にしつらえられた舞台に進み出た。
弱い風に煽られて、松明の火の粉が時折ふわり舞う幻想的な雰囲気の中、舞は始まった。
ゆらゆらと響く敦盛の笛と、思っていたよりも情熱的な経正さんの琵琶に気を取られて、
最初は気がつかなかったけれど。
その輪郭のようなものには見覚えがあるような気がした。
月の下舞っていた貴方のような心許ない舞ではなかった。
ゆったりとした動きにはまったく迷いなどなく、何処までも鮮やかでありながら、
どこか儚く、捕まえようとすればかき消えてしまうような夢の様な舞。
俺は舞のことは良くわからないけれど、貴方の舞はこの舞の対のなのだろう。
ただ立っているだけで、存在を主張するような。
誰も目を離せないような存在感に圧倒される。
あの動き、刀を振るえば迷いの無くその刃は美しい軌跡を描くのだろう。
こんな人間もいるのか。ただそこに存在することが才能であるような。
ただ圧倒されて見とれていた俺は、兄さんに声をかけられるまでぼうっとしていた。
「おい、譲」
「……兄さん」
「何だぼうっとして。知盛の舞にでもやられたか」
「……そうかもしれない」
「そうか」
気付けば舞はもう終わり、知盛殿はしどけない様で酒を飲んでいた。
積もる話があるのだろう、敦盛と経正さんはとっくにその場を辞していた。
「それ程の賞賛、光栄の至り」
「……いえ。本当に良い物を見せて頂いた気がします。
ありがとうございます」
素直に頭を下げれば、知盛殿は意外そうな顔をして悠然と笑った。
「今日の膳は本当に旨かった。
……その礼だ」
「……お前が礼を言うなんて珍しいな」
本当に驚いた顔をした兄さんに、知盛殿は意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺だって礼を言う時もあるさ。『兄上』」
「やけに突っかかるな。
そんなに和議が嫌か」
「まあな。
俺は……もっと戦いたい。
和議が成れば噂の源氏の神子と戦う機会を逃すのだろう?
それが悔やまれるのだが、な」
「そんなに源氏の神子と戦いたいんですか」
「何だろうな……何処か心惹かれる響きだろう?
全てを賭けて戦わなければ負けそうな相手そんな予感があったのだがな」
「……お前が素直にそんなことを口にするとはな」
「素直に問われれば、答えることもある。
それだけだ。
『兄弟』の語りあう時を邪魔するつもりもない。
今夜はこれで失礼する」
立ち上がる仕草まで様になるなんて、どういうことだろう。
悠然と歩くその姿に、俺だってそのひとかけらでも自分に対する自信が持てればとため息をついた。
「あいつが気になるのか」
「凄すぎて勝てる気がしないよ」
「…………あいつは案外ずぼらだし、お前にだって良い所はあるさ」
慰めてくれているのか。
そう気付いた時には話題は変わっていた。
「考えていたんだけどな。
望美のやつ、わざと九郎に武功を立てさせないようにしてたような気がしないか」
「そういえば」
「……義経の最後って、羨まれた頼朝に疎まれて平泉まで追われて討たれて終わるんだろ。
望美はそうならないように、九郎の活躍を潰してたのかも知れねえな。
鎌倉殿にやっかまれずにすめば、九郎には未来がある。
俺たちの知ってる弁慶の立ち往生とかああいうのをやらないで済むかもしれない。
まあ、九郎にしたら辛いだけだろうけどな。
何をやっても失敗するなんて考えたくもねえ」
「鎌倉殿に命じられた熊野との同盟も失敗させたのは、先輩だった」
「熊野との同盟がもし成れば、戦は続く。
今まで海に出る手立てのなかった源氏に平家は追われる。
和議どころじゃない」
「……それに、三草山で福原を攻めようとした皆を先輩が止めてた」
「まあ還内府が福原を出ていたのだから、そういう戦略もあっただろうな。
俺だって福原を叩けるのなら叩こうとするだろうさ」
「そうやって戦が大きくなる芽を先輩は摘んでたんだ。
源氏を勝たせたいと思っている人間に囲まれた中で。
最初から源氏と平家の戦の収束だけを願って」
兄さんは煽るように杯を傾け、継ぎ足そうとしたけれど、
その入れ物にはもう酒は残っていなかったので大きくため息をついた。
「かなわねえな、あいつには」
兄さんが放り投げた杯はからんと音を立てて転がった。
「先輩が正しかったんだ」
「そうだな。
そう思えるようになって……ほっとしたんだろ」
「うん、……先輩を好きで良かったと思ってるよ」
「そうか、……そうだな」
ひっそり笑った兄さんの表情は俺には見えなかった。
気付いた時には、もう朝でしっかりと褥に寝かされていた。
この前のようにやはりいきなり落ちたらしく、兄さんに散々文句を言われた。
「まったくでかいのは図体ばっかりか」
「ごめん」
「まあ、お前は全部これからなんだからな」
頭をくしゃくしゃとされ、ついむっとしてやり返そうとしたら、
一同に笑われそうになったので止した。
そんな俺に、兄さんが何かを放った。
慌てて受け取れば、それは黒塗りの小箱。
「何だよ」
「だから親書だろ。大事に持って帰れよ」
「そんな大事なものを投げるなよ」
「おう、悪い。
……一応いくつかのルートに分散させて熊野には使者を送っている。
でもお前たちが持ち帰るのが正式なものだ。そう思っててくれ」
「将臣殿、お預かりします」
「おう、敦盛頼んだぜ。
これはお前にしか出来ないことだ。
平家の名代として胸をはってろ。いいな」
「わかりました」
「譲、あいつを頼むな」
「……言われなくてもわかってるよ」
「そうだな。
上手くいけば次に会うのは和議の席になるだろう。
それまで元気でな」
兄さんを頼みます。と頭を下げれば、一同は笑って見送ってくれた。
短い滞在だったけれど、良くして貰えたのはそれだけ兄さんが大切にされている証拠だろう。
もう海からこの福原を眺めることは無いかもしれない。
敦盛はじっと見つめると何かを思い切るように背を向けた。
俺ももう一度だけ小さくなっていく福原を見つめた後、背を向けた。