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暁鐘




 -5-


 慣れない馬での旅は、徒歩よりも緊張に満ちていた。
 俺よりもずっと馬に乗り慣れた敦盛に教わりながら進む。
 夏の盛りを過ぎたとは言え、まだ昼は暑かったものの、
 日が沈めば虫が鳴き、吹く風は次第に湿度がさがりさらりと涼やかになってきた。
 見上げた空もいつの間にか高く、青さが増している。
 気がつけば季節はまた変わっていこうとしていた。
 貴方だけを見つめていた頃は、まわりの景色は目に入っていなかった。
 真っ暗な部屋から出たばかりのように、全てが眩しい。
 少し前までは、まるで行き先のわからない旅だったから折角の景色など
 楽しめる余裕なんてある筈もなかった。
 緊張と焦りで視野の狭さにも拍車がかかっていたんだろう。
 今は、少し肩の力が抜けたんだろうか。
 見慣れない馬上からの眺めは全てが物珍しい。
 景時さんは馬に慣れない俺のために、穏やかな気性の馬を選んでくれた。
 敦盛と供の武士たちだけで進んだなら、もっと旅は捗ったろう。
 少し休もう、と馬を降り草を食ませる間に筒の水を飲み干す。
 今の時期でよかった。盛夏の頃だったらこの旅はもっと辛かっただろう。
 ごめん、と謝れば気にすることは無いと敦盛は笑ってくれた。

「何で俺が敦盛に同行しないといけないんだろう」
「神子が譲を選んだことには意味はあると思う」
「……そうなのか?」
「……私は、平家を見捨てたつもりはないけれど、福原の皆にとっては
 源氏に下った裏切り者だろう。
 私には案内は出来ても……生きて返事を持ち帰れるかわからない。
 それに」
「……それに?」
「九郎殿にしてみれば、私が再度平家に寝返ることもありえる。
 譲はその為の備えなのだ」
「敦盛はそんなことはしないだろう」
「そう譲が言ってくれて嬉しい。
 けれど、なかなか私のような存在を信用するのは難しいだろう」
「先輩は、信じていると思うよ」
「……神子殿の信頼には応えたいと私も思う」

 敦盛は微笑んで、そろそろ行こう、と鞍にまたがった。






 起きた時、目覚めは自分で思っていたよりもずっとすっきりとしていた。
 いつも見ていた悪い夢も見ずに、ぐっすり眠れたからだろうか。
 憑き物が落ちたような、肩の軽くなったようなそんな感じ。
 ……貴方に想いが届かなかったから俺はおかしくなったんじゃないだろうか。
 声に出して笑い、少しでも新鮮な空気を肺に入れる努力をしてみる。
 背筋を伸ばし起き上がれば、外は晴れ上がっていた。
 確かに気持ちは届かなかった。
 でも久々に俺のずっと会いたかった貴方と会えて、何よりもほっとした。
 確かに貴方は変わっていく。
 でもそれは貴方の意思で。時間は留めることは出来なくて。
 俺たちの信じていた未来からは少し違った形になるんだろう。
 貴方が何を考えているのかわからなくて。俺が必要とされなくなる日が来るのが怖くて。
 貴方を信じられなくなりそうなのが何よりも怖かった。
 貴方に好きな誰かがいるせいで、俺たちを疎んでいるんじゃいだろうか。それを一番恐れていた。
 誰かを傷つけている自覚がもしあったのなら、一番辛かったのは貴方だったのかもしれない。
 今までのことをひとつひとつ思い出す。
 貴方はどれほどの傷を心に受けたんだろう。
 それ程の痛みを堪えてまで、貴方の叶えたい願いとはなんだろう。
 その願いを叶える為に力を尽くすこと。それが俺が貴方に出来る最後のことなんだろう。
 貴方は、まだ俺にとって一番の存在だったけれど。
 それでもいつか、かつて好きだった大事な人に変わっていく。
 完全に諦めに変わるまで、貴方を全力で好きでいたと後で思い出に出来るように。
 貴方の為に出来ることをしよう。
 まずは朝餉の仕度からかな、そう思いついて宿の厨房へ向かえば途中で呼び止められた。
 朝弱い貴方がもう起き出しているなんて珍しい。そう思って部屋へ向かえば、
 ヒノエと先輩以外は全員揃っていた。
 何だろう。
 暫く待っていると普段の格好ではなく、きちんと直垂を着たヒノエと先輩が一緒に入ってきた。

「どうしたんだ、ヒノエ、その格好は」
「オレもやるときはやるんだよ。今が正念場だからな」
「ヒノエ、………………いいんですね?」

 弁慶さんの問いかけに、ヒノエは神妙な顔を崩していつものようにニヤっと笑って応じた。
 弁慶さんは姿勢を正すと、

「熊野別当と龍神の神子が揃って皆を集めるなんて、何があったんですか」

 九郎さんはきょろきょろと見回し首をかしげた。

「熊野別当、何処にいるんだ」
「ここにいるだろ」
「ヒノエが熊野……別当?」

 九郎さんは思いもよらない展開に目を白黒させて周りを見回した。

「弁慶、お前は知っていて俺に何も言わなかったのか」
「ヒノエは僕の甥、現熊野別当藤原湛増。
 熊野には熊野の事情があります。
 僕にも口に出来ないことくらいあるんです」
「お前ッ」
「まあまあ、九郎、抑えて」
「俺は、お前を信じていたのに!
 お前まで俺を……」

 弁慶さんに掴みかかろうとした九郎さんを景時さんが押さえ込んだ。
 弁慶さんはまっすぐに九郎さんを見つめ、微動だにしなかったのはもう隠すつもりもないからだろう。
 隣に座っていた敦盛が目を伏せたのは、敦盛も知っていたからだろう。
 かつて幼い頃を熊野で過ごし、ヒノエとは幼馴染のようなものだと言っていたから。
 リズ先生はじっと考え込むように、先輩を見守っていた。
 勿論貴方もヒノエが熊野別当であることは知っていた。
 知っていたからこそ貴方は昨日『中立』の答えを持ち帰ることが出来たのだから。
 でも、どうして今日なのだろう。俺は疑問を口にした。

「どうして、今日なんですか。
 昨日そうやって九郎さんに会うことだって出来たはずでしょう」
「昨日では駄目だったからでしょう?」
「……そうだよ。
 昨日ではまだ答えは出ていなかったんでね」
「…………何の答えだッ」

 景時さんに押さえつけられたまま、呻くように九郎さんは疑問を口にした。

「景時さん、はなして上げてください」
「望美、そうやってお前は俺を馬鹿にする気か」
「……これからする話は大事な話だからちゃんと聴いて欲しいんです」
「何をだ」
「九郎!しっかりなさい。
 いつもの君らしくもない。そんな姿兵に見られたらどう思われます?
 君は鎌倉殿から兵を預かる総大将。もっとしゃんとして下さい」
「……九郎、悪かったよ。
 はなすからちゃんと座って」
「……景時、お前も気付いていたのか」
「……うん、法皇様がヒノエの顔を見て驚いていたからうっすらとはね。
 確証はなかったんだけどさ」
「……皆それ程驚いていないということは、俺以外は気付いていたんだな」
「……九郎、君は真っ直ぐ過ぎます。
 少しは人を疑ってください」
「どうして仲間を疑える!」

 ぷいと横を向きつつも、九郎さんはどっかと座りなおした。
 苦笑いしつつ、景時さんもそのすぐ横に腰を下ろす。
 ヒノエは先輩が頷いたのを確認して話し始めた。

「龍神の神子より源平の和睦の仲介を依頼されたんでね、それを受諾することにした」
「どういうことです?」
「なんでも、全てをお見通しな麗しい神子姫様によれば、
 しばらくすると法皇殿が音頭を取って和議を呼びかけられるそうだ。
 その時に本当に和睦が出来るように根回しを始めたい。
 昨日望美とオレがした本当の話はそれだったんだよ」
「……それで『暫定的中立』という返答ですか。
 間違ってはいませんが、ヒノエ、君は本当に人が悪いですね」
「昨日まで本当に『暫定』だったんだから仕方ないだろ。
 本宮にやった烏が返答を持ち帰ったのはほんのついさっき。
 これでも急ぎに急がせたんだぜ。
 熊野としては中立を望んでいる。
 それが和睦という長期にわたる中立状態が保障されるのなら願ったりだったからね。
 オレはその話にのるつもりだったんだけど、オレの一存では決めきれない。
 だから一晩待ってもらったのさ」
「和睦、だと?
 そんなことが出来るか!
 どれだけ戦って来たと思っている!
 平家をここまで追い詰めてようやくここからという時にそんなこと出来るか!」

 立ち上がって九郎さんは否定する。
 けれどそれに誰も同調する者が出ないのを見て、九郎さんはショックを受けているようだった。

「九郎いい加減にしなさい」
「先生……!」
「今はまず堪えることだ。ちゃんと座りなさい」
「はい」

 リズ先生に諌められ、しゅんとなった九郎さんは力なく腰を下ろした。
 そんな九郎さんを横目に景時さんと弁慶さんは冷静に受け止めているようだった。

「九郎はそう言いますが、……出来ないことではないでしょうね。
 不可能な話ではありません」
「……は、鎌倉殿が何と言うだろうね。
 オレにはどうしたらいいのか判断がつかないよ」
「和睦が成ればいい。けれど、……清盛殿は承諾されるのだろうか」

 ざわざわとし始めた皆を真っ直ぐに見ていた貴方はおもむろに口を開いた。

「運命を変えることは難しいことだと思う。
 だから皆の力が必要なの。
 わたしに、力を貸してください」

 貴方が頭を下げたのを見て、さらに皆はどよめいた。

「何故お前が頭を下げる。
 お前には直接関係ないことじゃないのか」
「わたしは……龍神の神子としてこの世界に呼ばれた意味を考えてた。
 それで、出た答えがこれだったの。
 ただ源氏が勝って、平家が滅びるだけならわたしは必要なかったと思う」
「お前は平家を勝たせたいのか。
 ……お前は源氏の神子じゃなかったのか」
「……平家が怨霊を生み出していたからそれを止めなければいけなかった。
 この世界に来たときに、源氏の皆と出会えたから今のわたしがある。
 それは凄く感謝しているんだ。
 でも、九郎さん。
 わたしは源氏の神子じゃない。……白龍に選ばれた龍神の神子だよ」
「うん、そうだね。
 貴方は私の選んだ愛しい神子。私の太一だよ」

 白龍の嬉しそうな笑顔に、九郎さんは苦渋の表情を浮かべ、顔を背けた。

「和睦なんて、俺に出来ることは何もない。
 したい奴は勝手にすればいい。
 死んでいったものたちに源氏の勝利を捧げるつもりで今まで戦って来た。
 俺は皆にどう顔向けすればいいんだ。
 和睦しましょう、はいそうですかでは皆の気持ちは収まらないだろう」
「わたしが選ばれてここに来た様に、
 八葉の皆が宝玉に選ばれたことには理由があるの。
 和議は全員の力が無ければ出来ない。
 ……九郎さんの力は絶対に必要なの。
 長く続いた戦いのせいで、源氏と平家の間には埋めるのが難しい溝がある。
 特に直接戦って来た軍の皆の気持ちは和睦じゃ抑えきれないと思う。
 九郎さんにはその軍を抑えて欲しいの」
「景時の方がそういうのはむいているだろ」

 顔を背けた九郎さんの正面に貴方は腰を下ろした。

「……これは九郎さんにしか出来ないことなの。
 景時さんは軍奉行だから勿論皆信頼してる。
 でも九郎さんの声に皆ついてきたんだよ」
「悔しいけど、……望美ちゃんの言うとおりだよ、九郎。
 皆九郎について行きたいって思ってるんだからさ。
 それに、望美ちゃんはオレに鎌倉方の説得をさせたいんでしょ?
 オレにはそれで手一杯だよ」
「そうですね。九郎が一番適任だと僕も思いますよ。
 僕は各方面の対策を練らなければならないといけませんから、
 兵の鎮撫は九郎にお願いしたいですね。
 ……それに」
「……それに、何だ」

 ニヤリと笑ってヒノエが答えた。

「和議の調印式をすると見せかけて騙まし討ちなんて古来からありふれているからね。
 そうさせない為にも九郎が踏ん張らないとまずいだろうね」
「和議の席で騙まし討ちだと!
 それでは信用が……」
「あーあー、本当に真っ直ぐだねぇ九郎は。
 そういう考えをこれっぽっちも思いつかないんだからさ。
 少なくとも鎌倉殿や、福原は騙まし討ちは考えると思うぜ。簡単に決着が着くからな。
 こっちも熊野の存続をかけて全力を尽くすんだ。
 源氏の大将も誠意を見せて欲しいね」
「ヒノエ……」
「もう熊野は全力を上げて和議に向かって進み始めてるんだ。
 あんたのちっぽけな矜持の為に止まることなんてありえないぜ。
 それに景時の方がよっぽど大変だと思うぜ、あの鎌倉殿を説得するんだからな」
「そうだね。
 今から気が重いよ」
「兄上には俺からも口添えを……!」

 意気込んだ九郎さんに、笑顔の弁慶さんはやんわりと釘を刺した。

「九郎。
 君が二つのことを同時にこなせる程器用だったとは僕は知りませんでしたよ。
 今は大事な時。君は君の役目を全うすべきでしょう。
 脇目もふらずに全力で、ね」
「そうか。それもそうだな」

 弁慶さんは先輩に片目を瞑ってみせる。
 景時さんはあからさまにほっとした顔をしていた。
 九郎さんが鎌倉殿に和睦を持ち掛ければ、最悪反逆罪に問われ追われることになりかねない。
 和睦の成功の鍵は九郎さんがいかに目立つことなく進められるかにかかっているんだろう。
 九郎さんの成功は、鎌倉殿を刺激しかねない。

「じゃあ、皆協力お願いします」

 ほっとしたように笑顔を浮かべた貴方に一瞬皆が見とれていた。
 ぺこりと頭を下げた貴方に、皆ははっとなって応じ細かな話し合いに入った。
 これが貴方がしたかったこと。貴方の願い。
 それをはっきりと告げられて俺の視界まで明るくなっていくようだった。
 ようやく指し示された目標は一筋の光となり。
 行き場をなくしていた八葉たちの気持ちがようやく報われるときが来て、
 皆が生き生きとしていた。
 話がなんとかまとまったことに安堵しつつも、なんとなくその輪に加わることも出来ず、
 少し距離を置いて見つめていた俺と敦盛の前に貴方は座った。

「譲くんと、敦盛くん」
「はい、先輩」
「なんだろうか、神子」
「二人にも大事なお願いをすることになる。
 ……一番危険な役目だけど、二人にしかお願いできないの。
 聴いて貰えるかな」
「何だろうか、神子。
 私に出来ることがあるのなら何でも言って欲し
「俺もです。先輩」
「……二人には福原へ使者として向かって欲しいの」

 福原。平家の本拠地。
 そんな重要な役が巡ってくると思っていなかった俺は一瞬ぽかんとしてしまった。

「敦盛はわかりますが、俺が、ですか」
「……この役目は敦盛くんと譲くんにしか頼めないことなの。
 さっき言ったよね。この和議には全員の力が必要なの。
 敦盛くんと譲くんの力で助けて欲しい。……いいよね?」
「私に出来ることは全力を尽くそう」
「ありがとう、敦盛くん。
 ……譲くんは?」
「俺も全力を尽くします」

 きっと多分それが俺に出来る最後のことだろうから。
 じっと見つめれば、貴方は少し悲しそうに微笑んだ。

「……後でヒノエくんに親書を書いてもらうからそれを届けて貰うことになると思う。
 景時さんに準備をお願いしておくから、準備出来次第、出発をお願いするね」
「……わかった、神子」
「わかりました。先輩」





 弁慶さんが練った草案をもとにヒノエが書き上げた親書を携え、
 熊野の水軍の船に乗り福原を目指した。
 港には誰の目があるかわからない。
 途中まで陸路を行き、約束の場所で落ち合い乗船する。
 熊野と平家も中立の密約を交わしていたと知ってはいても、
 見えてくる福原の港に浮かぶ軍船を見れば緊張が走った。
 隣に立つ敦盛は動揺も見せずにまっすぐに福原を見つめていた。

「……ここにはもう二度と戻ることはないと思っていた。
 私に許される事ではないのだと。
 次に来る時には源氏の軍と共に攻め入る時なのだと思い定めていた」
「……」
「生きて帰ることは難しいとしても、やはり住み慣れた場所を目にするのは
 嬉しいものだな、譲」
「生きて帰れないなんて言うなよ。
 敦盛に何かあったら先輩が悲しむ」
「……そうか」

 穏やかに笑う敦盛を軽く叩いてみた。
 驚いた敦盛に笑いかけてみせる。精一杯の俺の強がりだと敦盛もわかったようだった。

「これからが、本番だろ。
 ちゃんと返事を持ち帰らないとな」
「そうだな。譲。
 神子が譲に見せたかったものを、私は見せなければならないのだから」
「……何だよ、それ」
「すぐにわかると思う」

 岸から小舟が乗り入れて、このまま錨を下ろし、
 俺と敦盛だけ降りるようにと平氏の兵が告げたのでそれに従う。
 護衛について来てくれたものたちにそのまま残って貰うようお願いをして、
 俺と敦盛は小舟に移り岸を目指した。
 浜辺には一目で武将だとわかるいでたちの人物が待っていた。

「知盛殿」
「…………敦盛、息災だったか……?
 経正が、案じていたぜ」
「ご無沙汰しております」
「まあいいさ。
 俺が還内府殿に仰せつかったのはお前たちの出迎えだからな」

 優美な仕草とゆっくりとした話し方は、甲冑姿にそぐわないくせに、
 まったく隙が見当たらない。
 これが平知盛。
 与えられた馬に乗り、平家の本拠へ向かった。
 案内されたその広間で敦盛と二人で待っていると、還内府があらわれた。
 声をかけられて、頭を上げればそこにいたのは有川将臣、俺の兄だった。


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