暁鐘
ー3−
源氏の軍が京に入って時もそれなりに経ち、穏やかな日々が続いていた。
九郎さんや景時さんは源氏の勢力圏内に入った京を掌握するため働きまわっている。
大将や軍奉行である二人が動かない今は京の中に蔓延る怨霊を鎮め、龍脈の力を回復するくらいしかできない。
次第に京の民に受け入れられ基盤が出来ていき、もう少し平穏な日々が続いていくのかと思っていた矢先
三草山に平家の陣が張られたとの報告が入り、一気に緊張が走る。
折角掌握できた京を戦で焼くわけにもいかないという判断で、九郎さん率いる源氏の軍は
三草山に出陣することになった。
俺たちは先行した九郎さん率いる隊に同行して、三草山に陣を張り終えたのは夜深くなってから。
京の備えを整えるために後発する景時さんの隊が合流するまでは警戒しつつ各自休んでいるようにと
通達があり、皆思い思いの場所で休もうとしていた。
初陣は宇治川で経験したとはいえ、これが初めての本格的な戦。
源氏と平家がまともにぶつかり合うのはほとんど初めてだと言っていいらしく、
陣の中は緊張感に満ち満ちていた。
今度の戦で平家を率いるのは還内府、平重盛。
俺には信じられないが、もう死んだはずの小松内府が怨霊として黄泉還り、還内府と呼ばれているらしい。
怨霊といえば骸骨武者のようなものしかまだ遭遇したことはない。
あんなおぞましいものが平家を率いているのだろうか。
最近夢見が悪いのか、あまり眠れていない。
具体的な内容は目覚めた時には覚えていないぼんやりとした夢にもかかわらず、
起き上がるときには嫌な汗がじっとりと纏わりつき深く眠れている気がしない。
顔色の悪い俺を心配してくれた人もいるけれど、貴方が行くのなら行かないわけにはいかなかった。
皆還内府の名に怯えている様子なのに、貴方はどこか平然としている。
貴方も初陣ではないのだろうか。じっと待つその様子には余裕すら感じられてまるで名将のようだ。
戦に慣れた九郎さんや弁慶さんにすら少しの緊張が見えるのに、貴方のその様子はどこか異様だった。
俺は三草山までの行軍とと陣の設営そして緊張で少し疲れてぼんやりしている。
休まなければただの足手まといになってしまう。少し眠ろう、と陣の外でじっとうずくまった。
先触れが景時さんの到着を知らせ、陣がざわめいた音で飛び起きてかけつければ、
景時さんがやれやれという様子で状況の説明をしていた。
九郎さんは景時さんの合流したこの時間を生かして、士気が高いうちに夜襲をしようと提案した。
それを渋るような景時さんと積極的に先手を打つべきだという九郎さんのやりとりを、
じっと聞いていた先輩が口を開いた。
「……九郎さん、その陣は罠です」
「なんだと、望美。
そんな報告を俺は受けていない。どうしてそう言い切れる」
「うん、うん、偵察してみる価値はあると思うんだ〜」
先輩の一言は、初めての平家との戦に緊張し、白熱していた軍議の熱をすっと冷ました。
落ち着いた先輩を見て、自分が焦っていることを自覚した九郎さんは羞恥に顔を赤らめた。
これは良くない状況だ、と思っても俺に口を挟める空気ではない。
すかさず景時さんが九郎さんを宥めるように、偵察することを提案する。
そんな二人に先輩はこっそり小さくため息をつくと、
「相手は還内府です。それくらいの罠はあたりまえだと思わないと」
「何ッ」
「そっか、そうだよね〜。……ははは。
……望美ちゃんがそこまで言うならオレらで見てくるよ。
九郎は大将なんだし陣を留守にするわけにはいかないからここを守っていて」
「ええ、景時。僕たちで行ってきましょう。
九郎は待っていてくださいね。大将らしく」
景時さん、弁慶さんに諌められるように九郎さんは一瞬黙り、
それでも我慢できなかったのかぼそりと口を開いた。
「……望美、どうしてそう言い切れる」
「それは龍神の神子だからだ」
苛立つ九郎さんに諭すようにリズ先生が言葉を挟んだ。
九郎さんは師であるリズ先生の言葉に納得いかないまでもそれ以上の追求は諦めたようだった。
「俺はここに残る。たかが偵察に全軍を動かすことはできないからな」
「九郎、頼むよ」
ぽん、と九郎さんの肩に宥めるように手を置いて、景時さんは出立の準備に行った。
先輩は醒めた目をして、陣の外に向かっていく。
貴方はどうしてそんなことを口にするんだろう。
リズ先生は龍神の神子だからだと言っていたけれどやっぱりおかしい。
もし仮に龍神の神子だから戦の流れが読めるのだとしても、あんな言い方をしなくてもいい筈だ。
貴方に何がそこまで厳しい物言いをさせているんだろう。
『それに気付かなきゃ……負けるぞ』
不意に兄さんの口にした言葉が蘇る。
九郎さんは鎌倉殿、源頼朝より名代を預かるれっきとした源氏の大将だ。
その面子を潰すような発言は反感を買うだろうし、士気にも影響は出るだろう。
いくら源氏の神子として平家の怨霊を浄化するための旗頭として担がれたとしても、
貴方にそれほどの口を出す権利があるとは思えなかった。
「間違ってはいないけど。少し手厳しいかな」
振り向けばヒノエがぼやいていた。
ヒノエは先輩が六波羅で出会った八葉だ。
ほとんど同じ歳にもかかわらず、自信に満ち、饒舌なヒノエを
嫌いではないものの、好きにはなれなかったのは軽い調子で貴方を口説くから。
肝心の先輩は褒め言葉も口説き文句も全て笑顔でそれとなくかわしているから
全て無駄になっているのだが、ヒノエはかえって振り向かせようと張り切っている。
古典からの引用が多いのはそれなりに教養がある証拠。
着こなしも隙のつくりかたが心憎い。俺にはあんな着崩し方は出来ないし、似合わない。
そんなところにも育ちのよさが妙に表れているような気もする。
口が軽い割りに義理堅いのは上に立つ人間の特有の癖なんだろうか。
結局本当の意味で若輩なのは俺くらいなんだろう。
融通の利かない俺をからかって遊ぶくらいしか暇なヒノエにはこの陣中ではすることがない。
軽口を叩くことも許さないような空気が陣中には満ちている。
「九郎の戦略も少し一本調子過ぎるから、戦女神には単調に見えるのかねえ。
神子姫様は本当に戦上手だな」
「……どうなんだろうな」
俺は弓弦の調子を確認し、矢の本数を確かめながら曖昧に返事をした。
戦上手。貴方に一番似合わない言葉だ。
もしもの為に、と師匠が鏑矢をくれた。
山ノ口の陣が本物でもし捕捉されたらこの矢が生死を分けるかもしれない。
じっと見つめ、息を吹きかけ小さく鳴るのを確認して矢筒に戻す。
「まあ、こっちもあいつの為に命張って頑張ってるんだからさ。
もう少し労いの言葉とかあっても良いと思うけどね。
神子姫様の戦女神のような凛々しい横顔も美しいとは思うけど、
たまには花のような微笑も見せて欲しいな。
……まあ、オレにだけでいいけど」
「昔はもっと良く笑う人だったんだけどな」
「へえ」
オレにだけという言葉を素通りして答えれば、信じられないという眼差しでヒノエは俺を見た。
優しくて、人を傷つけるとか考えられない、明るい笑顔の似合う人だった。
貴方は微笑んでみせるけれど、あの人を幸せにするような微笑みは見せなくなった。
ここで過ごした日々はもう短いとは言えないけれど、かつての貴方の笑顔を今は遠く感じた。
瞼を閉じれば貴方の笑顔と、上機嫌で俺を呼んでくれた声が甦るのに。
今も貴方はただ一人誰も寄せ付けないような空気をまとい、じっと前を睨んでいる。
その横顔を綺麗だとは思う。
けれど振り向いていつもの笑顔を見せてくれたらどんなに幸せだろう。
最後にあの笑顔を見たのはいつだったのか。もう一度それを見ることは出来るんだろうか。
弓の点検をしながらそんなことを考えていたら、躊躇いがちに朔が声をかけてきた。
「……あまり望美を悪く言わないであげて欲しいの。
あの子には色々重責があるのよ。それをわかってあげて」
「龍神の神子であるあいつには色々あるんだろ。それはわかってるさ。
……まあ、朔には女同士で打ち明け話をしているんならいいさ。
望美はあのままじゃ本当にこれから孤立しちまうぜ。
……まあ、孤高の戦女神っていうのも落としがいがあるか」
「ヒノエ」
「神子姫様の心からの笑顔は花も恥らう艶やかさだろうから。
オレは一度拝んでみたいと思っただけだよ」
茶化したヒノエがわかってるよ、と笑顔を見せたので朔はほっと息をつき、
貴方の方へ駆けていった。
振り返った貴方は朔には穏やかな顔を見せる。
『あいつさ、好きなやつがいるんだろうな』
貴方は確かに恋をしている。多分俺の知らない誰かに。
この陣の中にはその誰かはいない。不思議とそれはわかった。
貴方は誰を求めているんだろうか。
その恋は実るんだろうか。貴方のその顔を見ている限りその道程は険しいものなんだろう。
貴方の恋が実ったとき俺はいったいどうなってしまうのだろう。
そんなことを考えていたら出陣の声がかかり、俺は陣の外の隊へと合流した。
貴方の言った通り平家の陣の敷かれた山ノ口の陣はもぬけの空だった。
陣にたどり着く前からその陣は罠であると、その静まり返った様子でわかった。
景時さんは敵の罠を見抜くことが出来、余計な戦をしなくていいことを喜んだけれど、
本当に貴方の言う通りだったことにひっかかりを覚えたのは俺だけではないようだった。
リズ先生の助力もあり、敵本陣の場所を把握することができたけれど、
本陣への足どりが重かったのは多分気のせいじゃない。
貴方を無条件で信じていた頃に戻りたい。ふとそんなことを考えた自分に愕然とした。
貴方を信じたいのに、その頑なな態度がそれをさせてくれない。
貴方を信じたいと願う自分自身に苛々する。
俺こそ貴方を信じていなければならないのに、貴方を疑うなんて。
貴方の傍を皆が離れても俺だけは貴方を信じて守る。
この世界に来てからそう心に決めていたのに、それが揺らぐなんて。
でも、もし貴方が間違った方向へ行こうとするのなら俺は止めなければならない。
止められなければ、俺はきっと後悔するだろう。
最後まで貴方の味方でいたい。でも味方でいるということはどういうことなんだろう。
貴方を信じている俺はいったいどうしたらいい。
考えても答えは出ないまま、本陣へ帰還した。
大将である九郎さんに偵察の報告をし、再度軍議が始まった。
還内府がこちらにいるうちに手薄になった福原をヒノエが攻めることを提案し、
弁慶さんが間道の存在を明かした。
決着をつけられるのならそのほうがいいと軍議が福原攻めに傾き始める。
けれど、景時さんは慎重だった。
軍奉行の景時さんは福原攻めには鎌倉殿の許可を仰ぐべきだと言う。
鎌倉殿の信頼の篤い景時さんにはきっと俺たちにはわからない事情があるのだろう。
ヒノエや弁慶さんに揶揄されても景時さんは普段とは違い一歩も引かない態度を見せた。
……その態度を見て九郎さんは思うことがあったのかもしれない。
勝機を逃がさず、福原攻めを宣言する。
その軍議に入るから俺たちには待機しているようにと九郎さんから言い渡された瞬間、
貴方のついたため息で軍議の空気が凍りついた。
「望美、お前言いたいことがあるんじゃないのか」
九郎さんの表情と声は硬い。
貴方は迷いもせずに言った。
「鹿野口の還内府を攻めましょう。このままでは京が危ないです」
「福原を平家が掌握している限り、京は狙われ続ける!」
「福原を攻めても、還内府に挟みうちにされたら勝ち目はあるんですか」
「ぐ……」
言い返せない九郎さんに、一瞬景時さんは複雑そうな顔をしたけれど、
軍奉行としての立場を守れることにほっとした様子で、
「九郎。折角の勢いに水を指すみたいで悪いけど、
ここは還内府を攻めるべきだと思う。
望美ちゃんの意見に賛成。……君まで攻めようなんて言ったらどう止めようかなんて考えたよ。
ありがとう」
「いいえ」
ぽん、と景時さんが肩に触れた手をごく自然に振り払って貴方はその場を立ち去った。
慌てて朔が追いかけていく。
景時さんはやり場のなくなった手を、苦笑いしていつものようにぶらぶらさせてみたけれど、
その場の空気は和やかにはならなかった。
弁慶さんは少し困ったように笑うと綿密な軍議に入りますので少し待っていてください、と
やんわりと俺たちを下がらせた。
時間をもてあまし、陣の外に出てみたら貴方の声がして立ち止まる。
盗み聞きなんてと思ったけれど、途切れ途切れに貴方と朔の話し声が聞こえた。
声のする方向を覗いてみれば、貴方は朔の肩に頭を乗せ泣いているようだった。
朔にあやすようにして撫でられている貴方はさっきとはまるで別人のようだった。
朔と目が合えば、朔は静かに首を振った。
ここは邪魔をしないほうが良い。俺はその場を静かに立ち去った。
軍議が終わり鹿野口に向けて出陣が決まった。
夜襲なので鬨の声もあげずに静かに軍は先鋒と後続に別れ本陣を出る。
貴方は何処か蒼白な顔をしていた。声をかけても何も答えてはくれない。
ここを下ればすぐに鹿野口という山頂に差し掛かった頃、火矢が飛んできてあたりは火に包まれた。
あっという間に火は燃え広がり後続の部隊との連絡が途絶える。
火の勢いに兵たちの動揺が広まり騒然となった。
必死で九郎さんは火の勢いを抑えるように指示を出すけれど、動揺した兵たちには
うまく伝わらない上、冷静に対処もできるわけもなく火の勢いは増すばかり。
貴方は何かを思い切るような顔をして言った。
「……先に進みましょう」
「後続が遅れている、見捨てて行けるか!」
「じゃあ敵が到着する前にその火は消せるんですか」
「それは!」
「……九郎。
望美さんの言うとおりです。
彼女の言うとおりだと僕も思います」
「弁慶……!!」
「このままでは先鋒の精鋭部隊も火に包まれることになる。
そうなれば全て終わりです。
九郎、貴方はそれを鎌倉殿にどう申し開きをするつもりですか」
「くっ……」
「ごめん、九郎」
「景時……!!」
「仲間をそんな簡単に切り捨てていいんですか!」
後続の部隊には俺に親切に声をかけてくれた人だっていた。今なら助けられるかもしれない。
そう思いながらも紅く染まっていく森、燻されて呼吸も難しくなってきた空気に包まれ、
ここを早く抜け出したい気持ちを堪えつつ、思わず口に出してしまった俺を
弁慶さんと景時さんは苦渋に満ちた表情で見つめた。
それは甘えだとわかっている。けれど今助けられる仲間を見殺しになんて出来ない。
そんな迷いを断ち切るように、貴方はハッキリと言い放った。
「でも、それしか道はないんだよ」
九郎さんは顔を背け、下を向いた。
弁慶さんは九郎さんの肩に手を置き、ぐっと握る。
「出来ることなら僕だって助ける道を選びたい。
でも戦は勝って生き延びなければ何の意味もないんです」
「…………そうだね」
「道は定まったな。
九郎、……覚悟を決めなさい」
リズ先生が静かに言った一言で、九郎さんはハッとなった。
覚悟を決めるように目を閉じ、
「我々先鋒のみで敵陣を叩く!振り返らずに前に進むぞ!」
「おお!!」
九郎さんがどれほど後続の部隊を救いたいと願っているのか、兵たちにはわかっているようだった。
そんな九郎さんだからこそ、部下はついていく。人望がある。
悲壮な決意が先鋒の部隊をひとつに纏め、敵陣へ向かって再度進み始めた。
それが戦なのだといわれれば、そうなんだろう。
でも俺には貴方が仲間を見捨てる決断をさせたことが信じられなかった。
貴方はどうしてそんなことを言えたんだろう。共に戦って来た仲間を見捨てるなんて。
仲間、という言葉が浮かんだ時に、自分が今までに無くこの軍に愛着を感じていることに気付く。
師匠のもとで稽古をする時に見かけた顔、この戦いでお世話になった人。
新兵同然の俺に声をかけてくれた人。一緒に命をかけているという連帯感。
目にしてしまった火の勢いと、耳に残る呻き声。
愛着を持ち始めていても、一番大切なのは貴方だ。貴方以外を俺は選べない。
……そんな俺はただの情け無い男なんだろうか。
すべてがぐるぐると回り、ヒノエに声をかけられて不意に現実に引き戻された。
どうして、と問い詰めたかったけれど、何と訊けば貴方は答えてくれるのかもわからなかった。
鹿野口に敷かれた平家の本陣は、還内府がいるとは思えないような静けさで俺たちを迎えた。
還内府はもうこの陣を退いたと平経正は答える。
還内府をここで抑えることが出来なかったことに九郎さんは失望を隠せない。
火責めにされた仲間の為にも戦うと逸る仲間を抑え、貴方が提案したのは兵を退くことだった。
兵の消耗が激しく、後続の部隊も絶たれた今お互い兵を引くことは悪い提案ではないと、
景時さんは考えているようだった。
どれほどの思いで救えたかもしれない部下を置き去りにしてきたのだろう。
九郎さんはなかなかそれを受け入れられないようだったけれど、
結局三草山から平家を撤退させることには成功したのだからと言いくるめられ、
渋々互いに兵を引くことを認めた。
平経正が穏やかな顔で戦を回避出来てよかったと言い兵を引いたのを見届け、
こちらも退却の掛け声が上がる。
火責めを生き残ったものたちを回収しながら来た道を戻れば、
三草川の河原で戦闘があったと報告が入る。
……やっぱり戦闘を回避した判断は正しかったと理解できていても九郎さんの表情は硬いままだった。