Back on my feet

You're bringing me down on my knees



  −3ー


 電灯をつけなくても街灯の光が窓から入り天井はうすぼんやりと明るい。
 寝転がったまま天井に向かって手を伸ばしてみた。
 確かに貴方は俺と会えて嬉しそうだったのに、それで満足できない俺はどうかしている。
 バイブがメールの着信を伝える。着信したのは貴方からのメールだ。

『会えて嬉しかった。おやすみ』

 暗闇に光るディスプレイに浮かぶ貴方からの言葉はじんわりと俺の胸を暖める。
 でも今欲しいのはそれじゃない。
 襟ぐりの大きく開いた服からは綺麗な鎖骨が見え、卒業した頃より少し伸びた髪が肩に揺れていた。
 少し痩せたのだろうか、それとも働き出したからか掌の感触が変わっていた。
 俺はいちいちそんなことも反応して、それにもっと触れてみたいという衝動を必死に握りつぶす。
 いつものように少しお茶でも飲もうかと考えていたけれど、貴方の信頼と期待に満ちた表情を見て止した。
 俺がどんなことを考えているかも知らないでそんな無垢な瞳で見つめないで欲しい。
 親が眠っているようなこんな時間に貴方を誘って、何もしないではいられないのに。
 ただでさえ余裕がない今自分を止める自信がない。
 貴方はそんなことを俺が考えているなんて微塵も気付いていない。
 いや、実際に思いもよらないからあんな風に無防備に車の助手席に乗っていられるんだろう。
 貴方にとって彼はただの友達で。
 バイトが終わって一人で帰るのも心配な時間帯だから送ってくれる人、
 いつか貴方はそんなことを言っていた。
 どうせ俺が迎えに行くと言っても、勉強の邪魔したら悪いとか言って遠慮するに決まっている。
 貴方が呼べば俺はすぐにでも行くのに。
 ……ぐずぐずと自分の部屋でそんなことを考えるよりもずっとその方が安心できるし、
 きっと勉強にだって集中できるだろう。
 貴方を迎えに行くまではとか時間に区切りも出来るし、いい気分転換になるかもしれないのに。
 でも自分が抱えているこの気持ちが劣等感なのか、焦りなのか、ただの独占欲なのかわからなくて、
 出口が見えない気持ちを持て余していたけれど、今日それがはっきりと形になった。
 今までぼんやりとしか意識しなかったその相手の名前と、顔が驚くほどの存在感で飛び込んできた。

『ああ、おさななじみのゆずるくん、ね』

 いつも聞いてるよ、という風に馴れ馴れしい視線を投げかけてきたあの男。
 たかが一歳の差。
 けれどあいつは同じ学校で同じバイト先で俺よりもずっと貴方との時間を共有している。
 貴方を助手席に乗せられて、俺よりもずっと貴方との共通の話題を持っていて。
 久々の感情がひたひたと胸に押し寄せてくる。
 もう兄さんはいないのに。こんな思いはもうないと何処かで安心していたのに。
 また繰り返すのか。いつまでもそれは終わらないのか。
 そう思うだけで胃がキリキリと痛んだ。

『ああ、おさななじみのゆずるくん、ね』

 反芻したくもない男の声が耳の中に残って離れない。
 俺は貴方の中でどんな存在なんだろう。まだ安心できる幼馴染のままなんだろうか。
 貴方は俺を好きだと言ってくれた。二人で過ごした時間だって決して短くはない。
 でも貴方は俺をまだきっと『男』として意識していないんだろう。
 そもそも『男』として意識することもまだ理解していないのかもしれない。
 貴方のそんなところも好きだ。でも時として苛々する。
 警戒心をむき出しにされて、距離を置かれたり気まずくなったりするのも嫌だ。
 貴方の気持ちを置き去りにして無理強いしたいわけでもない。
 でも貴方は俺のことを誰かに言ったりしているんだろうか。
 彼氏がいると言ってくれているんだろうか。
 今日貴方は、幼馴染と言ったあいつに、彼氏だと言ってはくれなかった。
 彼氏と紹介してくれたら少しは自信がついたかもしれないのに。

「……俺って勝手だな」

 まだ風呂にも入っていないし、試験勉強もしないといけないからまだ眠れない。
 起き上がって窓の外を見れば、いつものように貴方の窓の電気は消えていた。
 寝る前にさっきのメールは打ってくれたんだろう。
 今返事をすれば起こしてしまうかもしれない。
 携帯電話を充電器に戻し、ベッドから立ち上がった。
 中途半端に記憶を掠める貴方の匂い、掌の感触、腕に触れていた体温。
 ……今日はなかなか眠れないかもしれない。
 貴方は物足りなさそうな顔でおやすみと言って家に入ったけれど、
 俺がどんな思いであれで止めたのかはわからないだろう。
 唇にキスをしていたら。きっと止められなくなる確信があった。
 だから頬に軽くキスを落とした。
 なのに貴方の首筋からのぼった香りが今も頭から離れない。
 よくわからないけれど貴方からはいつも甘い香りがする。

「本当に貴方は仕方のない人だな」

 そう呟いてみても、本当に仕方ないのは俺だ。
 離れたくないと引き止めてみたり、こんな風に突き放すようにしてみたり。
 どうしていいのかわからない気持ちを持て余す俺は貴方を困らせているのかもしれない。
 でももっと困ればいい。
 好きという気持ちが行き場を求めて溢れ、途方に暮れている俺と同じくらいに貴方も。
 でなければ不公平すぎる。
 想いに愛情に公平も不公平もない。両想いになれば幸せでいられるのだと思っていた。
 貴方と一緒にいるだけで幸せでいられるんだと。
 確かに今幸せだ。でも苦しくないといえば嘘になる。
 想いを告げられないのと、肥大した気持ちが行き場を失うのとどっちが苦しいんだろう。
 だからと言って貴方を手放す気持ちはまったくない。
 抱きしめたいのに、抱きつぶしてしまいそうで。
 貴方がそれを望んでくれるかも、貴方にそれをどう伝えたらいいのかも俺にはわからなかった。
 そして繰り返す夢を見た。
 あの時に見た夢のように、徐々に細部が明らかになっていく。
 回数を重ねれば重ねるほど長くなり、結末が見えていく。
 暗いから夜遅いのだろう。
 俺と貴方の家の前に『彼』の車が止まり、貴方は慣れた仕草で助手席を降りる。
 運転席側の窓にまわった貴方と『彼』は楽しそうに何か話していて、
 貴方を『彼』の腕が捉えるところでいつも目が覚めた。
 それ以上見ていたくないからか、それ以上見る度胸がないからか。
 その夢はかつて見た夢のようにどこか現実の匂いがした。
 近い未来それが実際に起こるという警告。屋島の夢は、貴方が死ぬ夢だった。
 それを替えたくて手を伸ばし続けてそれは俺が死ぬ夢に変わった。
 けれどその夢の中に俺は出てこない。その夢は途中で終わるから、結末はわからない。
 貴方は『彼』の車に再び乗って、何処かへ行ってしまうのか。
 それとも『彼』が貴方を捕まえるんだろうか。
 日に日に顔色の悪くなる俺に親はどうしたのかと聞いてきたけれど、
 悪夢のせいだとは言えずに、ただ寝苦しいんだと答えた。
 何が俺にその夢を見せているんだろう。
 貴方の危機を知らせるために、また星の一族の力が俺にそんな夢を見せているんだろうか。
 人は眠れなくなると単純におかしくなっていく。
 自分が正常な判断が出来なくなっていくのを自覚していても、眠るのが怖かった。


背景画像:空色地図

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