Back on my feet

You're bringing me down on my knees



  −2ー


 貴方を新しい場所へと誘った桜の時期も終わり、ただ明るく鮮やかだった新緑も色に
 深みと力強さが加わって、……そして紫陽花が咲いた。
 名所が多い地元では、それ目当ての観光客が押し寄せその色を楽しんでいる。
 貴方のいない学校はどこかがらんとしていて、貴方がいないとわかっていても
 長い髪の靡く後姿を目でつい探してしまう。
 胸を締め付けられるような寂しさはじきに慣れると経験で知っていた。
 貴方は新しい環境に慣れて、楽しそうに日々を送っている。
 勉強は大変そうだけれど、今までのようなやらされていた勉強とは違い、
 自分が望んですることだからと気合が違っていた。
 目をきらきらさせて語ってくれる色々なことを一応聞いているけれど、
 あまり頭に入ってこないのは凄いスピードで大人になっていく貴方を目の前にしているからか。
 来年になって、大学生になればそれ程の差は感じなくて済むのだろうか。
 周りに合わせて軽く化粧をするようになり、制服が無くなって着る服も変わってきた。
 貴方は綺麗になっていく。勉強に疲れた、という顔すらどこか色っぽい。
 それ自体が嫌なことではまったくないけれど、暫く意識しないでいられた貴方との
 一年の差をひしひしと感じていた。
 学校に通うことに慣れた貴方は、最近バイトを始めて。
 ただでさえ時間が合わないのに、会える時間はどんどん減っていった。
 貴方はやりたいことを見つけて走り出したのに、俺はいまだに何がしたいのかよくわからない。
 貴方の傍にいたい。それ以外のことにあまり執着がないのはいいことなんだろうか。
 前は自分の将来とか考える余裕がまったくなかった。ただ貴方が欲しくて。
 欲しいくせに諦めていて、諦めていたのに思い切ることができなくて。
 一番大きな目標だった貴方の気持ちを手に入れてしまったことで俺は完全に自分の目標を見失っていた。
 欲しかったものを手に入れて一瞬で俺は満たされた。
 満たされたはずなのに、俺はその幸せにあっという間に慣れ、
 あれ程の努力で手に入れた貴方との関係に倦んだ。
 惰性で付き合ってきたわけじゃない。
 けれどずっと本気で付き合ってきたら疲れ切ってしまう。
 俺も貴方もそういう付き合いは初めてでお互いの距離感をどうとっていいのかわからなかったけれど、
 試行錯誤の末に丁度いい距離感を見つけて上手くいっていた。
 それはついこの前までの話だ。今は状況が変わって俺と貴方の間には距離が生まれている。
 一度ぴたりと寄り添えたから、今その距離がもどかしいのにどうやって距離を埋めるのか考えあぐねている。
 本当は踏み出せばそれで済む。
 距離が出来た瞬間に踏み出していれば一歩で済んだそれが、今は一歩ではすまない距離になっている。
 まだお互いが手を伸ばせば届く距離。
 手を伸ばしたいのに伸ばせないのは俺が沢山のものを抱え込んで手放せないから。
 全部捨てて手を伸ばせば、まだ貴方に届く。
 でも前と同じ距離で俺は満足できるとは思えなかった。
 長年の鬱積した気持ちと、膨れ上がる欲望が抑えきれない圧力で俺の中にある。
 貴方をもう一度引き寄せたら、きっとそれをぶつけてしまうだろう。
 一度それを開放してしまったら蓋をすることは難しい。
 これは貴方が外に踏み出したことで出来た距離なのだから貴方が手を伸ばすべきなんじゃないかとか、
 貴方が俺を想ってくれているのなら手を伸ばしてくれるはずだとか。
 俺を必要としてくれている確証が欲しくて、気付いて振り向いてくれるのを待っている。
 でも結局貴方と俺はお互いの日常に手一杯で手を伸ばすことを先延ばしにしていた。
 俺は貴方が好きで、大事なのは変わらないのにこんな自分でいいのかと迷っていた。
 貴方はどんどん『貴方』になっていく。
 貴方が前を向いて光の方へ歩いていくのを俺は呆然と見送っていた。
 まだ俺は暗い部屋の中にいた。
 その部屋には無数のドアがあり、今の俺に開ける事が出来るドアと、
 まだ閉じられた今は開けることの出来ないドアがあってそれはそのまま俺の可能性と未来に繋がっている。
 間違ってもいいからどれかこれだと思うドアを見つけてトライすればいいとわかっていても、
 俺は見えない何かに阻まれてドアノブに手を掛けることも出来ずにいた。
 貴方の一言で簡単に俺は浮上できるんだろうと薄々気付いていたけれど、
 それを強請る自分の子供っぽさに嫌気がさして口に出す前に思い留まる。
 この現状を自分の力でどうにか出来なければ、いつまでも子供のままのような気がして。
 どんどん進んでいく貴方にどうすれば追いつけるのか、
 そればかり考えているうちにあっという間に6月ももう終わりに近づいていく。
 最後の文化祭だというのに貴方は都合がつかなくて遊びにくることができなかった。
 もっと楽しめたらいいのに、と思いつつ結局様々な雑事に追われているうちに文化祭は終わった。
 せめて夏休みに入るまでには進路を決めておきたかったのに、焦るばかりで何も思い浮かばない。
 貴方とはなかなか会えずに苛々ばかりが募り、たまに会えても言いたいことは何も言えなかった。
 その頃から嫌な夢を見だして眠れなくなっていった。
 初めて見た日はその夢を覚えていなかった。
 けれど弱くクーラーをかけて寝ていたにもかかわらずかいていた尋常でない程の汗が、
 悪夢だったことの痕跡だった気がした。
 久しぶりの感覚に、これが覚えのある夢の感触であることをなかなか思い出せなかった。
 次第にぼんやりとすることが多くなり、考えがまとまらなくなっていく。
 だから予備校の帰り道、背後から声がしても本当に貴方の声だと最初は気付けなかった。
 数度呼びかけられようやく振り返れば、車の助手席にのった貴方が手を振っていた。

「今、帰り?」
「はい、先輩も?」

 満面の笑みを浮かべ、貴方は俺に会えて喜んでいるのがわかって、
 暖かいものがこみ上げてきた瞬間、ぐしゃりとその気持ちは萎む。

「誰?後輩?」
「となりに住んでる……」
「ああ、おさななじみのゆずるくん、ね」

 その言い方と馴れ馴れしい目線に一瞬むっとしたけれど、感情を抑え込んだ。
 まるで余裕がないと伝わってしまうのも癪だからだ。
 俺に会えたことにうかれている様子の貴方は彼の言うことを聞いていなかった。
 慣れた様子で助手席を勢い良く降りて、俺の隣に走ってくる。

「今日もありがと、日置くん」
「じゃあ、また明日」

 ひらひらと車に手を振って、貴方は自然に俺の腕につかまった。
 貴方は笑顔で楽しそうに何かを話している。
 俺は必死で相槌を打っていたけれど、内容がまったく入ってこない。
 今の貴方の格好はとても綺麗で、少なくとも制服姿の俺と並んで歩くよりも
 あの車の助手席の方が似合う気がした。
 寂しいと言えば良かったのに。
 一度言い逃した言葉はぐずぐずと心の中に燻り続け、出口を求めてぐるぐると俺の中を駆け回る。
 自分の中にある理想の彼氏像のようなものに縛られ続けているのか、
 貴方の前ではつい良い子になってしまう。
 何の問題もないカップル。そう見せようとしているのが自分でもありありとわかる。
 誰に向かってそんなことをしているんだろう。
 貴方の言葉の端はしに聞きなれない名前がいくつも挙がる。
 俺の知らない誰かに向かって、牽制をしていたのかもしれない。
 問題などないと、誰にも付け入る隙はないんだと。貴方を誰にも渡さないと。
 付き合っているとは言い難いくらい貴方と俺の距離は離れていたことに気付いていたのに、
 貴方にその自覚はまだないようで、俺はこっそりと安堵のため息をついた。


背景画像:空色地図

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