貴方に福音がもたらされますように
May God always fill your heart with happiness
-6-
ため息をついてツリーを見上げる僕をママは小突く。
もう二ヶ月声を聴いていない。
たまに学校に行ってみても花梨は僕を見ようともしない。
ママはとうとう僕に逢いに行くことを禁止した。
このままじゃ僕はただのストーカーになってしまう。
ため息をついてみても僕には何も出来ない。
すべては花梨次第だ。
花梨が僕を受け入れてくれるかどうか。
かつての私のように忘れようとして忘れられなくてどれほど傷ついたとしても。
その後僕を好きになってくれるかはまた別の話だ。
たとえ僕が幸鷹でも、花梨さんにとっての幸鷹は京で検非違使別当であった私だ。
もしかしたら、花梨が幸鷹を好きでいればいるほどに僕を受け入れるのは難しいのかもしれない。
かといって僕自身が十六年も待てない。
十六年もあれば私を忘れ、誰かと恋をして家庭を築くこともできる。
折角同じ時代を生きているのに、会えないなんて耐えられない。
「ため息ついたって仕方ないでしょ」
「だって」
「……花梨さんだって考える時間が必要だと思うわよ」
「でも」
「コラ」
再びママは僕を小突く。
ハロウィンが終わったショッピングモールは早くもクリスマスの内装だ。
京にいたころ、私は貴方とクリスマスを一緒に過ごしてみたいと思っていたことを思い出した。
「ママ」
「何?」
「クリスマスに花梨……さんを呼べたら呼んでもいい?」
花梨さんと呼ぶ僕が、花梨と呼び捨てにしたい気持ちをこらえているのは、
ママにはまるわかりのようで苦笑いしながら、
「そうね。
花梨さんが来てもいいよって言ってくれたらね」
「クリスマスカードが欲しいな」
「それを渡して、花梨さんを招待するのね。
オッケー。じゃあ見に行こうか、ユキ」
色とりどりのクリスマスカードが並ぶ中、
金色の星がついた綺麗なツリーが飛び上がるカードを選ぶ。
本当はもっと大人っぽいのが良かったけれど、
今の僕が好きなやつを選んだ方が気持ちが伝わるよ、とママが言うので
僕はそれを選ぶことにした。
そろそろ休憩しようか、と入ったコーヒーショップは緑と赤の内装で
クリスマス一色のディスプレイに統一されている。
ママのコーヒーと僕のココアをカウンターで受け取ると、
屋内の椅子は全て埋まっていたのでテラス席に座った。
ママの万年筆を借りて僕は一心に書く。
『毎年いっしょにぼくとクリスマスをすごしてください』
ママには見えないように隠して書いたつもりなのに、
それを見てママが笑った。
「ユキ、それってプロポーズ?」
「そんなことは……ないけど。
でも毎年一緒だったらいいなって」
「くくくっ。マセガキ」
「ママっ」
ママはひらひらとインクを乾かすとそっと封筒の中にしまった。
「花梨さんに会えたら、渡してみようね」
「うん」
「……OKって言ってくれるといいね」
くしゃりといつものように僕の髪をママはすく。
一息ついてココアを一口のみ、目線をあげると、二階に花梨が歩いているのが見えた。
久々に見たその姿に、嬉しくなった次の瞬間僕の心はくしゃりと潰れた。
貴方は知らない同世代の男と歩いていた。
数人で連れ立っているらしいけれど、同じペースで進む二人は
明らかに手を繋いでいるように見える。
席から立ち上がった僕をママは叱った。
「ユキ!」
「でも、ママ」
「座りなさい」
「……でも、僕。嫌なんだ」
「花梨さんには花梨さんの人生があるでしょう?」
かつて私もそう思って手を離した。
花梨が花梨の人生を歩めるように、と。
でもそれは間違いだったんだ。
僕は花梨なしには生きられない。
再び会うために生まれたと思っていた。でも違った。
今度は一緒に生きられるように、僕はここにいるのだから。
僕はママの制止を振り切って走り出した。
エスカレーターを駆け上がったころには息が上がっていたけれど、
花梨を見失わずに済んだ。
花梨は手を繋いでくるその男を嫌がっているように見えて、
僕は少し安堵する。
かつての自分だったらあの男よりも背が高かったかもしれない。
自分を余裕で見下ろせる男に少し身震いしたけれど、僕は花梨さんを呼び止めた。
「花梨さん!」
「幸鷹くん?どうして?」
もし、僕を選んでくれるのなら。
今じゃなくてもいい。
いつか選んでくれるのなら。
僕の握った手を振りほどかないでいて。
今の僕には貴方の手を握り締めて振りほどかされないでいるだけの力はない。
全ては貴方次第だ。
貴方は急に飛び出してきた僕を見て驚いているようだった。
貴方はきっと今の僕がかつての私だったらどんなにいいかと考えているんだろう。
一瞬遠い目になった。
君、迷子?連れらしい男が僕に問いかける。
憤慨してみても確かに僕は迷子にしか見えないのかもしれない。
……でも、僕から花梨の手を二度と離さないと決めた。
僕は祈るような気持ちで花梨を見上げた。
貴方は息を吸い込むと僕の手を握り返し、凄い勢いで駆け出した。
「ちょっと、高倉!」
「ごめん、帰る」
「花梨!?」
友達なのか数人がこっちを見たけれど、花梨はわき目も振らずに走り出した。
その勢いに僕は付いていくこともできずに、半分引きずられるようにして走る。
そんな僕に貴方は気が付いたのか、スピードを緩めてくれた。
友人たちが見えないところまで来たところで花梨は止まった。
ぜえぜえと肩で息をしながら見上げれば、花梨は僕を見て少し笑ってくれた。
「幸鷹くん、大丈夫?」
「花梨さんは足が速いですね」
「どうして?」
「……花梨さんが他の男と手を繋いだりして、嫌だったんです」
せっかく再び出会えたのに。
かつての八葉の中で私を選んでくれたのに。
貴方が他の男と行ってしまうのを僕は見ていられなかった。
汗をかいた僕の顔を花梨は鞄から出したタオルハンカチでそっと拭ってくれた。
この香りは。
記憶の底から僕の求めていた薫りが立ち上り、こらえきれずに溢れ出した。
突然泣き出した僕を貴方は困ったように見つめる。
でも、湧き出した感情が僕の心を揺さぶって僕は泣き止むことができなかった。
「懐かしい。
貴方の侍従の香りがします」
「……!
幸鷹くん」
「僕は貴方と別れてから侍従の香を使うのを止めていました。
貴方を思い出すのが辛くて」
泣き続ける僕を貴方は見つめていた。
「……そう。
どうしてここにいたの?」
「ママと買い物に来ていて。花梨さんたちを見かけたんです。
ママはいっちゃだめって言ったけど。僕は嫌で嫌で仕方なくて。
じゃ、勝手にしなさいってママは怒ってあっちのお店でコーヒー飲んでます」
僕が指差した店を花梨が見下ろすと、ママがこっちに気付いたのか
ヒラヒラと手を振って見せた。
送っていくね。
貴方は少し照れたように僕に手を差し伸べてくれたので、
僕はその手をしっかりと握った。
「やるじゃん、ユキ」
僕を小突いたママの目にはうっすら涙が溜まっているように見えた。
カウンターでキャラメルマキアートを受け取った花梨がテーブルにつき、
気遣わしげな顔で、ママは花梨を見つめた。
「ごめんなさいね、本当にこいつ性質が悪いワガママよね」
「そうですね」
「花梨!」
心外だとママと花梨を見つめてみても、
二人は見つめあったまま僕を見てくれず僕は少し冷たくなったココアを飲み干した。
「……一度決めたら絶対に覆らない。そういう意思の強いところが好きでした」
「……うん。幸鷹は昔から本当に頑固だった」
「きっとそうやってたった一人で生きてしまったんだろうなって。
どんなに想っても、もう幸鷹さんには逢えない」
「うん」
「幸鷹くんには、幸鷹くんの人生があって。
わたしが幸鷹さんのかわりにしてしまったら、
幸鷹くんの人生を犠牲にしてしまうような気がして怖くて」
「……そうね」
「わたしにとっては幸鷹くんと幸鷹さんは違うひとで。
でも、同じで。
どうしていいのかわからなくて。
でも幸鷹くんの前で、こんな話……」
「このチビにどれだけ理解できるかわからないけど。
花梨さんの言葉でどんなに傷ついたとしても。
こいつが……私の弟が貴方に強いたことなんだもの。
私は聞かせるべきだと思うわ」
ママが静かに言った言葉に花梨は目を見開いた。
「貴方に選ぶ権利がある。
私の弟が貴方のことを突き放して、私の息子が貴方に会いたいと言っても。
選ぶのは貴方。
同情とかしないで貴方の心のままに決めて頂戴。
私の弟の我侭で貴方の人生をめちゃめちゃにすることはないのよ。
……私は今はユキと会えて嬉しいと言えるけれど、貴方と私の立場は違うわ。
私は幸鷹と再び家族になったけど、貴方は所詮は他人なの。
他人だからこそ……貴方にも我侭を貫いて欲しいわ」
「でも……」
「貴方はやさしい娘ね。
でもそういう優しさにつけこまれないで。
あの子は一度決めたら突き進んでしまう。
それだけの意志の力も、実現させる力も持たされていたから。
諦めることを知らないのよ。
結局貴方を諦めた振りして、こうしてちゃっかりもう一度なんて。
許せないわねえ同じ女としては。
でも、そこまで想ってもらえるのならそれも女冥利に尽きるのかしら」
花梨はひとくちキャラメルマキアートを飲むと、鞄から小さな袋を取り出した。
「さっき」
「……うん?」
「さっき、誰もこの香を知らなかったのに、幸鷹くんにはわかったんです。
この香が侍従だって。
これ、幸鷹さんが好きだって言ってくれた香なんです」
「ふうん、あら随分落ち着いた薫りなのね」
「……わたしには似合わないくらい大人っぽい香だと思ってました。
でも、幸鷹さんが好きだから。
幸鷹さんに似合う自分になりたいって思いながらこれを使っていました。
思いが通じて、一緒に生きようって、言ってくれて……」
「うん」
「でも、色々あって、別れることになってしまって。
最後に、幸鷹さん『私を忘れて下さい』って言ったんです。
でも、戻ってきたら幸鷹くんが『逢いたかった』って」
「……本当に酷い話ね」
ママはため息をついて僕を見下ろした。
「花梨さん」
「何ですか?」
「……ごめんなさいね。
でもどうして貴方みたいな普通の子を幸鷹は愛したのかずっと疑問だったけど、
今何だかわかった気がするわ。
貴方の前では幸鷹は素直にならずにいられない。
貴方と別れた後で幸鷹はきっとそれを思い知ったのね」
「……はい」
「はぁ…………………………、
貴方が犠牲になることはないんだけどね」
「でも、幸鷹くんとまた出会えたんですから。
これから一緒に過ごしていけるんですから。
……時空を隔てた先にいるんじゃなくて、こうやって一緒にいられるほうが、大事です」
「うん」
「だって、後悔は全部幸鷹さんが引き受けてくれたんですから」
大粒の涙が堪えきれずに溢れ出した花梨の肩をママがぎゅっと抱きしめた。
本当に馬鹿なんだから。
ごめんなさいね。
そう繰り苗しながらママは花梨の背中をさする。
僕はどうしていいのかわからずに、ただうろうろと花梨の傍にいるしかない。
でも何かしたくて、そっと手を握れば。
花梨は僕の首にしがみ付いて泣き出した。
僕がかつての私なら、きっと胸を貸してあげることも出来ただろう。
その腕で抱きしめてあげられただろう。
でも今の僕には、何もかも足りなくて、花梨の頭を抱いてあげることくらいしか出来ない。
優しく撫でてあげられたらいいのに、僕の手はどうもたどたどしくて、
そろそろと花梨の髪を撫でる僕をママは苦笑いして見たけれど、
ママの目からも一筋の涙が零れ落ちた。
不器用なその手つきに気が散ったのか、花梨は少し落ち着いて照れたように笑った。
「泣いたら少しすっきりしました」
「……ずっとちゃんと泣けてなかったんでしょ」
「そうかも」
えへへ。
花梨の笑顔を久々に見たような気がしてぼうっと見つめていたら、
ママに小突かれてはっとなった。
ママはウィンクして僕に封筒を渡す。
「ユキ。大事なこと忘れてない?
次に花梨さんに会えたらお誘いしようって言っていたでしょ?」
「あっ」
僕は封筒を花梨に手渡した。
花梨は封筒からカードを取り出して見つめている。
「あの、もし良かったら。
クリスマスパーティをするので、来て下さい。
僕はずっと貴方とクリスマスしたかったんです。
これでやっと夢が叶います。
これからもずっと僕とクリスマスを祝って下さい。毎年」
花梨は大事そうにそのカードを鞄にしまうと、小指を僕の前に差し出した。
僕がおそるおそる小指を伸ばすと花梨はそっと小指を絡め、
約束、と微笑んでくれた。