貴方に福音がもたらされますように

May God always fill your heart with happiness



 −5−


 ぼんやりとしていうるうちに時間はどんどんと過ぎていく。
 このまま時間がたてば、あの人を忘れられるんだろうか。
 忘れたいと願っても、幸鷹さんの夢を見た。
 もしこのまま夢からさめなければ、夢の中の京でならずっと二人でいられるんだろうか。
 目が覚めなかったらいいのに。
 こんなに人は眠れるのかと思うくらい眠るようになった。
 かろうじて学校には通っているものの、学校でもずっと眠り続け、帰ってきたらすぐに眠ってしまう。
 お母さんは何も言わずに、学校へ行きなさいとだけ言ってくれるのが今はありがたかった。
 一番辛いのは今。
 わたしは一度12月までの時間を過ごしている。
 その反動が来ているのかもしれない。
 何もしていないのに疲れやすくて、すぐに眠ってしまう。
 鏡の中のわたしはとてもぼんやりとした顔をしていた。
 しっかりしないと。そう思っても今をなんとかしてやり過ごすしかない。
 現実と自分の体の中の時間が、気持ちがかみ合えばまた普通に動けるはず。
 気持ちに折り合いがつけば、きっと前に進めるだろう。
 前に進むことを諦めたりなんかしない。でも今は少し休みたかった。
 彼の泣き顔が浮かんで消える。
 彼が本当にあの人の生まれ変わりだったとして。
 わたしが幸鷹さんの代わりをさせてしまったら、
 彼の人生を無茶苦茶にしてしまうんじゃないだろうか。
 わたしが彼に早く二十三歳の幸鷹さんのようになって欲しいと願って、
 彼が無理に背伸びをし続けるのなら、幸鷹くんの子供時代が無為になってしまう。
 幸鷹さんは十五の歳に京へ渡った。
 幸鷹さんの人生は一度そこで無茶苦茶になってしまった。
 冷静になれば、幸鷹さんがどうして一緒に帰れなかったのかわかるような気がした。
 もう一度人生をリセットされてしまうのなら、わたしだって簡単に決断できない。
 でも、わたしが幸鷹くんに早く大人になることを要求することはそれにとても似たようなことだ。
 幸鷹くんには、彼のペースで生きて欲しい。
 けれどあの可愛いとしか思えない小さな男の子を好きになれるのだろうか。
 友達として、もう一度出会いからやり直した方がいいのかもしれない。
 でも彼はそれを受け入れてくれるだろうか?
 連絡先の紙には、藤原香苗と書いてある。
 こんな話はあの人にしか話せない。他の誰も信じられないようなこんな話は。
 お母さんや学校の友達に話してみてももう一度好きな人に出会えるなんて
 ロマンチックだとか、良かったとか言うだけだろう。
 わたしもそれが他人の話なら輪廻転生して昔の恋人に会うなんて幸せだときっと考える。
 かつて読んだ漫画や小説のそういう展開もドキドキしてとても好きだった。
 でもそれはあくまでも当事者でない場合の意見だ。 
 ……香苗さんはどうやって幸鷹くんとの再会を乗り越えたんだろう。
 今はそれを聞いてみたかった。



 かつて元気だったわたしが、そんな風になっているのを見るに見かねて
 さつきたちは何度も根気強くわたしを外に連れ出そうとしてくれた。
 ありがたいことだとは思っていたし、断るのも疲れて、さつきたちと出かけることにした。
 どうして今ここにいるんだろう、とぼんやりしてみても、
 元気な皆に囲まれてしまったらぼうっとし続けることも難しい。
 学校がない休日に外を歩いているなんて。まるで実感がわかない。
 久々に見る色の付いた視界がぐるぐると回るような気がする。
 いつの間にかに世間はクリスマス一色だった。
 待ち合わせたショッピングモールにはクリスマスソングがもう流れている。
 幸鷹さんとクリスマスを一緒に過ごしてみたいと思っていたことを思い出した。
 さつきの声で急に現実に引き戻される。

「花梨最近おかしいよ?
 皆心配してたんだからね」

 元気出して。
 そういってさつきが差し出してくれたのは暖かいりんごのクレープ。
 こんな時にちゃんと好きなものを覚えていてくれていることが嬉しくて、
 冷え切っていた心の中が少し温まった気がした。

「ありがとう」
「最近ずーっと寝てるよね。
 前そんなことなかったのに、どうしたのかなって。
 皆心配してるよ?」

 うんうん。と皆が頷く。
 皆の気遣いは嬉しかったけれど、でもこの状況には困ってしまう。
 さつきとさつきの彼と、あとクラスメイトの三浦くん……つまりそういうことだ。
 三浦くんは最近凄く優しい。
 優しくしてくれている記憶はあるのに、何処までも曖昧なのは、
 やっぱり現実と夢の境界線がぼんやりしているせいなんだろう。
 それは良くないと思うし、三浦くんの優しさに甘えたくは無い。
 そして、今やっぱりわたしが会いたいのは幸鷹さんだった。
 でも幸鷹さんを忘れたいと思うのなら、
 積極的に帰ってきた現実に適応すべきなのかもしれない。
 普段のわたしならきっと楽しめたと思う。
 さつきはわたしの好きなお店にちゃんと寄ろうって誘導してくれるし、
 さつきの彼も、三浦くんもすごくいい人だし楽しい。
 わたしの歩くスピードに会わせて三浦くんは歩いてくれるのに、
 わたしが考えていたのは幸鷹さんのことばかり。
 こっちに戻ってきたら幸鷹さんはどんな服が似合ったんだろう、とか。
 二人で何処に行ったのかな、とか。
 時々そうやって意識を彼方に飛ばしてしまうわたしを三浦くんは根気強く
 エスコートしてくれていた。
 映画を見ようという話になって、隣に座った時彼が手を繋いできた。
 数度自然を装って離してみたけれど、三浦くんは何度も手を繋いできた。
 手が触れてわかった。
 わたしが欲しいのはあの手だけだ。
 好きでも嫌いでもなかった筈の三浦くんに今嫌悪感しかわかない。
 今わたしが受け入れたいのは幸鷹さんだけ。
 他の誰でもない。
 一度ダメだとわかってしまったら、もう一緒にいられなかった。
 なりふりかまっていられない。
 もう、帰りたい。
 でもさつきやさつきの彼は本当にわたしのことを気遣ってくれるし、
 今日は我慢して、後でちゃんと断らないと。
 繋がれた手から伝わる生暖かい嫌悪感をこらえながら歩けば、彼の声がした。

「花梨さん!!」
「幸鷹くん!?どうして?」

 反対側の空いている手をぎゅっと握る。
 幸鷹さんなら、きっともっと冷たくて力強いんだろうな、と思った。
 きっとこのままどこかへつれていってくれるんだろうな、と。
 そして幸鷹くんの目を見た。
 彼はとても悲しそうな顔でわたしを見上げていた。

「おい!誰だよ。
 高倉、どうしたんだよ」
「ちょっと、花梨、この子誰?」
「君、迷子?」

 さつきの彼が優しく話しかけると、幸鷹くんはふるふると首を振った。
 迷子は、わたしだ。
 わたしが決められないから、幸鷹くんまで迷子のままなんだ。
 わたしはどうしたいの、何を選ぶの?
 まだ、わからない。でも今はここにもういたくない。それは確かだ。

「ごめん、帰る!」
「ちょっと、高倉」
「花梨!」

 わたしは強引に三浦くんの手を解くと、幸鷹くんの手を引いて走り出した。
 幸鷹くんの手のぬくもりがわたしの中の苛々をどんどん沈静化していく。
 幸鷹くんがそんなに早く走れないことを思い出して速度を緩めると、
 幸鷹くんは肩で息をしていた。

「幸鷹くん、大丈夫?」
「花梨さんは足が速いですね」
「どうして?」
「……花梨さんが他の男と手を繋いだりして、嫌だったんです」

 顔を赤らめてそっぽを向いた彼になんだかかなわないなと思ってしまった。
 汗をかいて顔がびっしょりになっている。
 鞄からタオルハンカチを出して顔をそっと拭ってあげれば、
 幸鷹くんの瞳から大粒の涙があとからあとから零れた。

「懐かしい。
 僕の好きだった貴方の侍従の香りがします」

 そういって泣き笑いした彼と幸鷹さんの面影が重なった。
 その顔に、その言葉に胸が詰まって何も考えられない。
 でも今胸の中に浮かんだ感情の中に答えがあった気がした。
 一階のコーヒーショップで香苗さんが待っている。
 送っていこうと幸鷹くんに手を差し伸べると嬉しそうにその手を握った。
 小さな手から暖かさが伝わる。
 この手は前みたいに自分を包んではくれない。
 でも、一生懸命好きだと伝えようとしてくれた。
 小さな手は熱い。少し冷たかったあの手のひらとは違う。
 けれど伝わってくる気持ちは同じだった。
 笑いかければ、嬉しそうに笑い返してくれる。
 その瞳は一生懸命貴方が好きだと言ってくれている。
 手の大きさなんて関係なかったんだ。
 じっと見つめれば、幸鷹くんは照れたように微笑んでくれた。


背景画像:空色地図

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