SOMETHING OLD






 −5−

 いつものように、大晦日を過ごして、いつものように元旦を迎えて、
 いつものようにお正月が過ぎていく。
 三が日も過ぎると家の中は、普段の静けさを取り戻した。
 このソファに腰掛けていたな、とか。
 お湯の出る蛇口に感心していたな、とか。
 静かに晴れた陽の差し込む部屋は、小松さんを思い出させた。
 どうしてあの時小松さんが幸せでありますようにと願ったんだろう。
 数日前にいつものようにお母さんが着付けてくれた振袖を着て、初詣に行った。
 瞬兄は文句を言わないので黙って着物を着せられていたけれど、
 動き辛いからイヤだと祟くんは着物を断りお母さんをがっかりさせていた。
 人ごみの中はぐれないようにと都が手を繋いでくれる。
 振袖なんて着られるか!と言う都はいつものように紋付袴姿。
 女の人が見とれて振り返っていくのがおかしかった。
 都も見られているのを自覚しているからより性質が悪いと思う。
 お賽銭を人の隙間から一生懸命投げ入れて、手を合わせる。
 小松さんが幸せでありますように。
 自然にそう思った自分に驚いて慌てて家族の幸せも願う。
 どうして小松さんが先なんだろう。
 もう会えないから幸せを祈りたいのだと自分を無理やり納得させる。
 あの時感じた胸の苦しさを、久々に着た着物の帯のせいにしたけれど、本当は違う。
 ただ会いたかった。
 この家にいるのはほっとするけれど、少し辛い。
 懐かしい思い出の中に、小松さんが潜んでいる。
 ふとした拍子に思い出してしまう。
 でも今本当に辛いのは多分……別のこと。
 かつて小松さんはわたしの部屋を繭、と呼んだ。
 お父さんとお母さんがわたしを守るために用意してくれたとても居心地がいい場所。
 ……どうしてそこを出たいと思ってしまうのだろう。
 今出なきゃという予感が頭のなかをくるくる回る。
 ここを出て、何処へいくかはまだわからない。
 でもこの場所はもう既に自分の場所ではない気がして、少し息苦しい。
 居心地が良いのに息苦しさを感じてしまうわたし自身に罪悪感で一杯になる。
 暖かなこの場所に埋もれてしまいたいのに、
 この場所を出て自分の本当の居場所に行かなければならない予感に突き動かされる。
 明日になったら、この家を出てまた学校に戻る。
 そうしたら、きっと忘れられる。
 こんな気持ちも、あの人の思い出も。
 いつかは忘れないといけない。でないときっとここに戻ってこられない。
 でも本当に忘れられるんだろうか。
 ……好きだと思った人のことを。
 ぼんやりと荷造りするわたしに瞬兄は何かを言いかけてはため息をついた。
 祟くんと瞬兄はお父さんと買出しに出かけている。
 人が少なくなった家は少しがらんとしていて、
 皆がここで過ごしていた時のことを思い出させた。
 いつも小松さんが座っていた場所に座って、ソファを撫でてみた。
 小松さんは、確かにここにいた。あんなに近くにいてくれたのに。

「どうしたの?そんなにため息ついて」
「……お母さん」
「ゆき、何か悩んでいるんでしょ」
「…………うん」
「好きな人が出来たの?」
「えっ?」

 からかうように笑ってお母さんはとなりに座る。
 思わず胸元のペンダントを握り締めるとお母さんはやっぱりという顔をした。
 何だか恥ずかしくなって俯くと、

「その人に会いたいの?」
「……うん」
「会いに行けばいいのに」
「でも、……もう会えないから」
「本当に?」

 お母さんはおどけたように笑う。

「ゆきが本当は諦めが悪いって知ってるのよ。
 本当に会いに行けないの?」
「……」
「ゆきがそんなにため息ばっかりついてるの見ているのは
 お母さんは辛いわ」
「……ずっと」
「ん?」
「ずっとお母さんと話してみたかった。
 小松さんのこと。
 お母さんなら何て言ってくれるかなって」
「うん」

 緊張で喉がこくりと鳴った。

「……け、結婚したいって言われたの」
「あら。
 でもそう言われたってことは、真剣なお付き合いだったのね」
「お母さんがお父さんと結婚するって決めたときどう思ったのかな、とか。
 小松さんを見たら何て言ってくれるかなって、聞きたかった。
 ……お母さんはお父さんと結婚するって決めたとき迷わなかった?」
「私は迷わなかった。
 運命だってわかったから、迷わずお父さんのところにきたのよ。
 ゆきはそういうのを感じたの?」
「最初は冗談だと思ってたの。
 小松さんは年上で、大人で、責任ある立場で、
 皆に必要とされるひとだから」
「そう……。
 ゆきはどう思ってるの?」
「好き。
 好きだと思う。
 でも小松さんと結婚したら、もうお父さんとお母さんに会えなくなるの」
「……そう。
 でもゆきは、その人と一緒にいたいんでしょう?」

 いたい。
 でも、そうなったらもうお母さんには会えない。

「……ゆき、何て顔してるの?
 クリスマスにあげたネックレスもっていらっしゃい」

 ね、とお母さんは笑った。
 自分の部屋からわたしがネックレスを取って戻ってくると、
 お母さんがお土産の暖かい紅茶を入れてくれた。
 お母さんの好きな紅茶。お土産に渡すといつも喜んでくれた。
 ほわっと蒸気と一緒に香りが立ち上る。
 お母さんの紅茶の入れ方はとても上手いと思い、
 不意にアーネストと飲んだ紅茶を思い出した。
 アーネストと飲んだ紅茶は、おうちを懐かしくさせたのに、
 今はあの世界が懐かしい。
 そんなわたしをちらりとみて、お母さんはネックレスを手に取った。

「ね、見て。
 そのネックレス中央の真珠だけ少し色が違うでしょう」
「うん」
「それは私のお祖母さんのものなの。
 最初は一粒真珠の指輪だったんだけど、ネックレスにしたのよ」
「わたしのひいおばあちゃんの……」
「そう。明治の頃のものらしいわ」

 明治。
 小松さんが生きた時代。……生きている時代。

「わたしもゆきのお祖母ちゃんからこれを貰ったの。
 これをつけてウエディングドレスを着たのよ。
 ゆきは、サムシングフォーって知ってる?」
「何?」
「……花嫁が結婚式の当日に身に着けていくと必ず幸せになれる、
 そうね。おまじないのようなものね。
 サムシングブルー 何か青いもの
 サムシングオールド 古いもの
 サムシングニュー 新しいもの
 サムシングボローゥ 何か借りたもの。
 ……ただの験担ぎなのかもしれないけれど、花嫁が幸せになれる
 マザーグースのおまじない。
 だからゆき、これをつけて行きなさい」
「……え?」
「だってお父さんはきっとゆきを離したがらないもの。
 今がチャンスかもしれないわよ」
「お母さん……」
「確かにゆきともう会えなくなるのは寂しいわ。
 でも女の子はいつかお嫁にいくのだもの。
 それが今だとしても、それでゆきが幸せになれるのなら
 お母さんはそっちのほうが嬉しいの」

 ゆきの気持ちは良くわかっているから、とお母さんはウィンクした。

「あなたは優しい子だから。
 他の人の気持ちを考えすぎて、
 自分のことをすぐ後回しにしてしまうでしょ。
 だから本当に好きな人が出来てその人の隣が一番幸せならそれを選んで。
 その人と幸せになるって約束して。
 もう二度と会えないのなら、お母さんやお父さんが心配しなくて済むように」
「うん、……約束する」

 さあ、良く顔を見せて。笑って。
 お母さんはきゅっとわたしを抱きしめて微笑んで、
 このネックレスが貴方を幸せをもたらしますように。
 そういってネックレスをかけてくれた。
 かすかに鈴の音がした。
 音を頼りにソファを立ち上がり、玄関に向かう。

「行くね」
「行ってらっしゃい、ゆき。
 ……幸せにね」




「白龍!」

 龍神の力は皆の為のもの。
 自分の為に使うなんていけないことだと思う。
 だけど。

「白龍、お願い!」
『ようやく呼んでくれたね。
 聞こえているよ、わたしの神子』
「私、小松さんのところに行きたい。
 小松さんの傍にいたいの」
『本当にいいの?
 もうこの神子の生まれた世界に二度と戻れないかもしれない。
 でもそれが神子の願いなら、叶えるよ』
「いいの?」
『かつて選ばれた神子たちは役目を終えるとき、
 願いを叶えられているのが習いだった。
 わたしもわたしの神子の願いを叶えたい。
 今なら叶えられる。だから、叶えるよ』

 扉を開けると白い光が見えた。
 振り返るとお母さんが手を振っていた。
 振り返らずに行きなさい。
 お母さんがそう言ってくれた気がして、わたしは迷わず光の中へ飛び込んだ。




背景素材:空に咲く花

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